2015/3/25〜28まで滞在したバリ島。
雑誌Marie Claire5月号(2015/4/21発売) のインタビューを和訳しました。
意訳です。誤訳あったらごめんなさい🙏
ソウル出発の時⤵️
波の音が聞こえるバリ島の静かなリゾートで彼に会った。
ヒーラーが終了してから約1ヶ月経っていたが、休む間もなく、インタビューの連続、イベントにも登場したりしていた。
海外でのイベントはファンが殺到して、セキュリティが理由でキャンセルになったりした。同時にミュージカルの地方公演もこなしていた。プライベートでは、しばらく会えなかった友人たちと食べたり飲んだりしていたし、短い旅行にも出かけていた。
そんな中、休暇でバリ島に来た。
バリ島での日々は単調で、遅く起きて、ゆっくり朝食をとり、泳ぎ、また眠る。
好きな漫画の本を読んでまた眠る。そういう怠惰な毎日を過ごすつもりだったらしい。
しかし、ヒーラー終了後、彼への関心は爆発的に高まった。バリ島の空港にさえも、一瞬でも彼を見たいとファンが何時間も待っている姿があった。
空港から何時間も運転して到着したリゾートでも彼に写真をねだる人がいた。
J:「今までこの仕事をして来て、こんなことは初めて。
視聴率はあまり高くなかったのに、こんなに好かれてるなんて。
でも僕はもうヒーラーじゃない。撮影の楽しかった思い出だけが残っている。
僕は前と何も変わってないのに。
前はあまりオファーがなかったから、来るものをやるしかなかったけど、今はいくつも来る。何が変わったんだろう」
撮影中の彼は明るい若者に見える。笑ったり、冗談もよく言う。
でもそれは彼の努力によるものかもしれない。
J:「撮影現場ではいつもみんな忙しくしている。僕だけが頑張るのではなく、みんなで作り上げるものだから笑う努力をする。気がついたら、それが僕の本当の人柄となっていた。」
しかし彼は誰にでも心を開いて、気さくに話せる人ではない。
先日、長いこと一緒に働いて来たスタッフを自宅に招き、母親が用意した食事を振る舞った。一つの作品が終わると、長いこと会っていなかった高校時代の友人と笑ったり冗談も言って、楽しい時間を過ごす。こういう面は会ったばかりの人には見せない。
インタビューの為に目の前に座っている彼を見ると、高校時代に授業が休講になるようにとコンセントに箸を突っ込んだ人と同じ人とは思えない。
長年の友人であるマネージャー曰く、十代の彼は”勉強が出来る、いい子”だったと明かす。
母親を泣いて説得した演劇コースへの大学進学を経て、役者になった彼。
J:「ルーキーの頃は本当に大変だった。演技力は演技をすれば身につくものではない。
芸能界に入ってから、僕は先輩達にしがみついて、よく泣いた。シャイな性格がより難しくしていたと思う。でも今はだいぶ慣れて来たと思う。
前にインタビューをされたときは、答えが短くなってしまった。’何が好きか’と聞かれても’サッカー’としか答えてない。あの頃はなんで自分のことを話さなきゃいけないんだと思ってた。でも今は違いますよ。今は自分の考えを話して、自分が演じた役のことをより深く知ってもらえるようにしている。演技の仕事をするためには、我慢して対応しなくてはいけないことが沢山あることを学んだから
写真撮影のために私たちは暖かいバリ島の色々なところへ朝から日没まで移動した。サーフボードを持って海辺を歩き、バイクで走り回ったりした。
彼が望むバケーションになっていると思ったら、
J:「休暇でどこかへ出かけるときは、あまりあちこち行かない。よく寝て、よく食べ、いい景色を眺めるだけ。そういうのが好き。でも同時に、バックパッキングに行きたいとも思っている。バイク旅行もいいな。3〜4ヶ月、自由に旅したい。ハーレーみたいなバイクを30歳になる前に乗り回してみたい。時間ができるかわからないけど。」
実際、30歳になるまであまり時間が残っていないし、来年にも入隊するかもしれない。彼は入隊前に、「お金を沢山稼いで、バイクの免許を取って、一度でいいからハーレーに乗ってみたい」と言っていた。でも恐らくその夢は幻だろう。
J:「時が来たら入隊する。戻ったら、もっと面白いことが起こるというぼんやりした希望を持っている。だから、その時が来たら淡々と入隊して、戻ってくる。
(訳者注: この頃は2016年に入隊を予定していたが、結局一年ずれた)
J:「今まで着実に一歩ずつ進んで来ていると思う」と彼は語る。
でも本当は、一夜にして大スターになるのが夢だったそうだ。
J:「役者になった時、ドラマの主役をやって、一気にスターになりたかったけど、ダメだった(笑笑)。でもそのこと以外は、自分なりの道を着実に歩けていると思う。
自分でわざと週末のドラマシリーズ、デイリードラマ、ミニシリーズ、時代劇と選んだわけではない。気づいたらそうなっていた。
デビューしてから出演したドラマは視聴率が高く、逆に怖かった。
もし次の作品の視聴率が低かったらどうしようって。だからオファーがあってもすぐには受けられなかった。
その時先輩から、視聴率を考えて作品を選ぶなら、役者じゃないって言われた。
それで勇気をふり絞り、選んだ作品が“僕らのイケメン青果店”だったけど、視聴率が1%すら取れなかった。
その時、かえって安心した。初めてわかったんだ。
視聴率が低くても、演技をしっかりやって、最後まで責任を持って自分の仕事をすれば、その経験からも何か学べるんだということを。
オンエアが終了しても、役者チ・チャンウクは消えないということも自覚したんだ。
今彼は一夜にしてスターになる夢じゃなく、新しい夢を持っている。
J:「一夜でスターになれなかったから、今度は一夜で金持ちになろうとしたんだ(笑笑)。でも、それも無理。宝くじを買うと、他の人は100円か200円くらいは勝つのに、僕は100円すら当たらない(笑)。
今は幸せな役者になりたい。
役者の仕事が楽しくて興味深いことであり続けることを願っている。
作品の評価は自分だけでは測れない。みんなと楽しく働いても、結果がついてこない時もある。だからってそれで人生が変わるわけではない。でも人との繋がりは残る。
もっと年を取って、父親になった時、今のようなカッコイイ役を演じられないかもしれないけど、その時も演じる役を楽しんでやりたい。そしてやりたい役をこなせるシニアになりたい。」
詳しくは話してくれなかったが、彼は少年時代に辛い体験があったようで、
J:「 時が過ぎて友達に会うと、楽しい思い出が蘇るけど、中には今思い出しても辛くなる記憶がある。でも大切なのはこれからで、きっとこれからは幸せになれると信じてる。
たとえ困難に直面しても、対処できるスキルを身につけたから。
以前は何か問題が起こると不安になったり心配したりしていたけど、自分なりに乗り越える方法を学んだ。多分、気楽な性格になったんだと思う。」
そう言って、彼は日常に戻って行った。
帰りの朝空港で⤵️
滞在していたリゾートホテル⤵️
このプールで夜一緒に泳いだのは、誰だ〜
チャンウクのインスタで確認してね😂
©️Magazine Marie Claire Korea May 2015/Glorious
和訳:YuYa