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夕方ジェネレーション

 武蔵森学園は、最寄り駅を【武蔵森学園駅前】という何ともわかりやすい構造をとっており、この学園から電車を利用しようとすれば徒歩10分と無いそこまで歩くことになる。

 本日学園を後にする面々は全てこの駅を利用して帰路に着くため、結局のところ学園門を出た輩は共にそこまで行動が同じくするのだが。


「…何で黒川達が来ることになんのさ!」


 その道すがらの張り上げた声は、確かに若菜結人のものであった。




 空は茜を通り越し紺碧、いや、それはもはや今後予報される天候のせいかもしれない。何かと天候が気になる性質の英士は、その空を見上げ妙な感覚がすると、恐らくその時問いかければそんなことを返してきただろう。
 だがしかし、そんな空は気にせず、むしろ自分の気持ちと本日は重要な【家主】である結人は今から同行する、いやしようとしている輩について大いに抗議をした。しかもそれは、大事な大事な妹に対して、だ。これはまた珍しい構図なのではないかな、と。
「何でそんな嫌がるのよー」
「嫌がるっていうか、あいつと俺ら別にそんなに友達じゃないし!」
「じゃあこれを機に友情育んだら?」
 チームメイトなんでしょ?としたり顔の妹に結人はうぐ、と言葉をつぐんだ。自慢ではないが、うちの妹は可愛いぞ、と双子のくせしてそんなことを言う兄だ。こうまで迫られると一種気圧されているんじゃないか、と勘ぐられてもおかしくないくらいにたじろいでしまう。
 だが、だが、だ。


「とにかく、だめーーーー!!!」


 理由なんていちいち言ってられるか、とその声からはそんな悲鳴が見えそうな気がした。
 自分の大事な幼馴染二人や、妹の大事な親友である映理はまだいいとしよう。だが、両親が居ないこの空間にまさかそれ以外の人間を呼ぶとは、一応は責任感が許さなかった。
 そしてこれは、きっと結人の中では形になっていなかっただろうが、何より【せっかく】の空間に、ある種【部外者】を呼んでたまるかと、そんな叫びを抱えていた。

 必死の攻防を柾輝は一種引きながらその光景を見守っていた。余りにも結人の意見は正論だ、と感じながら。


「ほれ見ろ、オレら完全に邪魔じゃねえか」
「でも梓はいいって言ったよ?」
 ていうか、梓からのお誘いだよね?
 と、翼は練習の疲労など何のその、余りにも煌く笑顔でそう、柾輝にのたまった。
「別に柾輝だけに行けって言ってるんじゃないから」
「お前さっき『うちの柾輝をよろしくね』って若菜に言っただろ」
「やだなあ、僕は別に柾輝みたいにお世話されるなんて、これっぽっちも!感じてないからそう言ったまでなのに」
 勘違いするなよ、と笑顔の中の冷たい殺気に気づいてしまう。自分はお世話になるけど心配や面倒をかけるような人間じゃない、と暗に自分の度量の大きさを表す翼を何と無しに柾輝は憎いと感じた。
「梓が柾輝だけを呼ぶわけ無いじゃない。俺やロクも一緒だって。ねえ?」
 まるで天使か菩薩か。そんな一見裏を感じさせない笑顔のまま、未だ口論真っ只中の梓を遠巻きに呼ぶと、怒りを納めぬ兄を放置して梓は翼と同種の笑顔で歩みを寄せてきては、「ねー」と翼に同調する。


「そうそう、柾輝だけじゃないよ。翼ちゃんもロクもだよ?」
「お前さっき俺だけに声かけたじゃねーか」
「それはたまたま柾輝がすぐそこに居たからですー」
「はあ!?明らかに違ったっつーの」
「あたしちゃんと、『三人も』って言ったもん。大体柾輝だけ呼んでどうすんのよ。よくよく面子見て考えてよね」
「ていうか若菜がどう見ても俺だけ呼ぶって勘違いしてんじゃねえか」
「結人には翼ちゃんもロクも来るって言ったもん」
「ちょ、あれは明らかに『聞いて無い』って顔してんぞ、向こうで」
「それは今結人頭に血が上っちゃってるからよ」


 梓と翼は似ているんだ、と六助は言葉も発さずに光景を見ながらそんなことをひっそり思っていた。むしろこの場は敢えて発言を控えようと、そんな風にも思ったのかもしれない。
 小柄な体躯に似つかわしくない【口撃】は、電光石火のように隙を見つけると降り注ぐ。寸分の反論すら与えない内容に何度言いくるめられただろうか。
 思えば、出会った頃の梓はもう少しだけ、もう少しだけ大人しかったのかもしれない。活発さという点では今と変わりは無いが、よく回る口は段々と達者になってはいまいか。
 そして六助は、そんな変化を少なからず翼の影響があるのだと思っている。
 恐らく翼自身は、無自覚に梓を自分と近しい種だと感じているのではないか。だからこそ、何故か生まれた絆。いや、これはある種の師弟関係か、と苦笑が漏れてしまう。
 だからこそ、ここは黙っておこうと、目の前の口論と、そしてそれをどこか楽しげに見守る翼を見てそう決意していた。


「ねえ、ロクは来るよね?」


 くるん、と栗色の頭と瞳が注がれた。梓だ。
 突然振られた話題に六助は一瞬身じろぐと、横からは翼の無言の視線が注がれる。これは痛い。たまったものではない。よくもまあ柾輝はこの中を反論していたものだな、と尊敬の意すら抱きたくなってしまう。
「あ…と、そりゃ、俺も翼と柾輝が行くってんで、梓がオッケーなら行きたいんだけどさ」
「ほら柾輝、ロクも行くって!」
「まだ言い終わってねえだろ!」
 ホラ見たことか、言い終わる前にまた口論が始まってしまう、と六助は次の言葉に迷ってしまった。さてどうやってこの中を抜け出そうか。
「やーありがたいんだけどさー、俺んちって美容室じゃん?いい加減手伝いしねーと怒られるんだわ」
 悪いな、と六助は内心どこかで慄きながらも本当に本当の理由を告げた。横で翼が一瞬舌打ちをしていたのは気のせいだ、と感じながら。
「えー、来れないの?」
「兄貴は先にやってんのに、俺だけ無理だろ」
「むー。ごっちんに頼んでおけばいいじゃん」
 またこいつは妙な仇名をつけて。六助は自分の兄が梓から「ごっちん」呼ばわりされていたのか、と改めて溜息をついた。だがいやいやそうもいくか、と六助は「ごめんな」と頭いくつ分も違う梓に必死に謝罪をした。何してんだ俺、と内心思ったり思わなかったり。
 さすがに畑家の事情を梓も知っているためか、無理強いは出来ないと悟ったのか諦めたようで「また遊んで?」と本当に寂しそうに告げてきた。そうだな、と返事をしながらも今日は別に遊んでいたわけでは無い、とそれは後になって気づくのだが。


「六助来ねーじゃねーか」
「だからって柾輝は来ないとは言わせない!」
「三人、っつったのお前だろ!」


 そして再び始まるバトル。梓と柾輝のこれはある意味仲間内では有名かもしれない。接点など無いに等しい二人が、何故かこうして言い合う図は滑稽だ。
 普段から明るすぎるほど明るい梓と、普段は余り激昂しない柾輝と。
 だがそれがどうしてか、口論をする。仲が悪いのとは違う何か。それは同級生のように、幼馴染のように、兄と妹のように。どう表現して良いのかわからない、もはや【悪友】としか表現できないのだろう。それがきっとぴたりと当てはまる関係。
 始まりも終わりもわからない。近からず遠からず。邪魔にならない。それがきっとこの二人。
 だがそれは逆に言うと、延々と続くそれになってしまう。


「ていうか柾輝、今日僕んちに泊まりに来るって言ってたのに、僕が行ったら来れないでしょーが」


 しかしそれを止めるのはやはり最強、と称される翼その人なので。
 そんな事情があったのか、と梓は完全に勝利を確信したし。
 六助は翼と梓のコンビネーションを見て「ああ、チビッコギャング、だ」と絶対言えない表現を呟きながらも、柾輝の若干の哀れさに合掌した。





 そしてそんな騒動を見終えて再び絶叫するのは結人だった。
 何ということだ、どうして映理だけでなく彼奴らまで来るのだ、とこの時ほど自分は何か悪いことをしたか?と振り返りたくなることは無かったかもしれない。
「…若菜」
「何、渋沢」
 低く、穏やかな声。結人の知る中でこんな声を出すのはこの場では一人しか居ない。どうせ同じ【渋沢】なら妹を激しく所望する、と。
 ゆっくり怪訝な表情を隠しきれずに振り返るとそこには穏やかな中にも隠しきれない気配を持った渋沢・兄。


「やはり映理は実家に戻らせてもらう」
「はあ!?」


 青天の霹靂。
 そんな言葉がぴたりとくる克朗の発言に結人はいきり立ってしまう。ここにきて何て展開だ、と結人は瞬間顔色をなくした。
「ちょ、どういうことそれ」
「いや、普通だと思うぞ?」
 親御のいない家に、しかも今日出会ったばかりの人間の家に、更に言うと人見知りの気を覚える大事な大事な妹をそんな不遜な輩の中に放り込むわけにはいかない。
 正論だ、と確かに結人自身も思う。が、あの集団の中に映理がいないという事実と、更に言うとこちらこそ大事な妹を【一人】にさせるわけにはいかない。
 二つの意見が結人の中で渦巻くが、結局のところ映理にいてほしいんだという本能が勝る。そんな深いところまで、結人自身はきっと考えるはずはないけど。
「というわけで、せっかくの誘いはありがたいが、映理はこのまま俺と共に帰ることにするよ」
 またな、とにこりと微笑むと映理の腕をぐいと引いて歩き出す、が。


「兄貴、私梓の家に行きたい」
「映理…?」


 突然の映理の反抗。反抗と言うにはささやかすぎるかもしれない、が克朗には随分とショックだったのかもしれない。
 映理はぴたりと歩みを止めると困ったように、どこか迷ったように再度「行きたいの」と呟いた。


「せっかくの夏休みだし」
「でも映理、あの集団の中だぞ?」
「梓いるから平気よ」
「若菜に悪いじゃないか」
「…あそこは双子揃って大丈夫みたいだけど」
「急なことで父さんも母さんも心配する」
「さっき電話したから平気」
「俺もせっかく帰れて、家族全員揃うのに」
「別に一泊ぐらいいいじゃない」


 そろそろと始まったのは、今度は渋沢家だった。そしてよく見ると、映理の声は段階的に大きくなっているのに果たして克朗は気づいているのか。いや、克朗としてみれば大事な妹を守るのに必死でそれどころではない。
 あー、とひっそりその光景に竹巳は息をついた。行き過ぎた兄妹愛、いやシスコン。学習してくれ、と己の主将と呼べる人物に祈る。


「でも、家の手伝いだってあるのに…」
「私は兄貴がいない間ずっと手伝ってたわよ!!!」


 あ、終幕。
 竹巳は苦笑交じりの顔で思わず視線を逸らした。見れば同校の面子は揃って同じ仕草をしているではないか。それは禁句だったぞ、と克朗に言ってやりたいな、と。
 克朗のシスコンは時として映理を抑制するから、映理が怒るのも無理は無い。更に先ほど了承を得たことに対して、兄の手によって消されるというのが許せなくて。恐らくは反抗期。
 確かに目つきを先ほどより鋭くした映理はずい、と克朗に詰め寄る。


「さっき兄貴は良いって言ったじゃない」
「それはお前、」
「男に二言は無いわよね?」
「だけどな……」


 ずい、ずい、と一言一言詰め寄る映理を結人は頑張れ、と応援する。映理にその気があるのが何よりも強いから。


「私ももう14よ!!」


 いい加減にしてちょうだい、なんて最後の詰めの一言を夕暮れの中に黒髪を翻して。そこで完全に兄克朗・沈黙。ある種妹に勝てないのは、否めない。




 騒動はそこで完全に終了したらしく、「どうでもいいけど、もう帰ろうよ」とぽそりと呟いた英士の声で歩みを再開するあたりどうなのだろう、と。
 夕暮れの中を歩く中学生は、相当の数なのか。いつの間にか両手では足りない人数になってきているではないか。


「あーあー、オレらも引退かよー」
「引退っつっても、練習には参加するけどな」
「まあなー。高等部あるし」
「げ、高等部行ってもみんな一緒か」
「だって、サッカー続けるだろ?」
 ぽつりぽつりと、感慨深い言の葉を散らすのは武蔵森の3年の面々だ。
 先日ついに全国大会を終え、完全には中学サッカーを【引退】した彼らだが、何せ武蔵森はエスカレーター式だ。またこの顔ぶれは季節を巡れば再会し、あの緑のフィールドを駆け巡るのだと思うとそれはそれで楽しみになってくる。
「先輩たち、練習来るんすか?」
 何気ない疑問を投げたのは、歩きながら道路で竹巳と共にパスをしていた誠二だった。危ないから辞めろと何度注意されてもやめないあたり、だいぶサッカー中毒だ。
 そしてそのまま器用に正確に、蹴り出されたボールを受け取った根岸靖人は、「おう!」と元気一杯に返事をしながらそのままボールを更に中西秀二へ。
「お前がさぼってないか、たまに見に行ってやる」
「さぼるわけないっしょー!だって俺、部活無いと死んじゃうし」
 と言う誠二だが、それでも時折抜け出して遊びに行きたそうにしている事は有名だから。


「むしろ先輩たちが高等部に上がって俺らも行った時、俺のが強かったりして!」
「言ってろ」


 そして強烈なシュートがストライカーの辰巳良平から繰り出され、「強烈!」と言いながら誠二は楽しそうにそのボールを受け取る。




 モノクロの、このボールが絆だから。
 楽しげにそれでも声を上げる彼らを見て、梓はふ、と押し黙ってしまった。
 とりあえず兄と柾輝を説き伏せたことに満足した後、後方よりボールを蹴り合う姿を何と無しに追ってしまっていた。
「梓?」
 そんな幼馴染の様子に気づいたのか、横で歩みをゆっくりにしていた英士は心配げに覗き込んでくる。何か、寂しいことでもあったのか。これでも見てきた立場だ、それぐらいの変化には気づけるから。
 と、梓は何でもない、と慌てたように首を振るとまた少しして視線を戻す。英士はその先を追うと、ああそうか、と一人納得をしてしまうのだが。
 梓が武蔵森のマネージャーをやっていることを知っているから。引退した3年生が寂しく写るのは仕方ないことだな、と。
「寂しい?」
「え?」
「だってあの人たち、梓の先輩たちでしょ」
「ああ、うん。そうだねえ」
 へら、と気まずい笑みは少し困惑させてしまった証。英士は小さく微笑むと荷物を梓の手から取り上げた。
「英士?」
「行って来れば?」
 見れば、いつしかその輪の中には映理も混じっていて、恐らく映理もまたその少なくともある寂しさから、竹巳に引き込まれるように混ざったのだろう。
 確かにそこにあるのは梓の愛してやまない【武蔵森学園サッカー部】だったから。ずっとずっと一緒に居た顔ぶれと、その空気が大好きで。
 もう、感じることが出来ない空気。
 英士は「ほら、」と優しく呟き荷物は持って行くからという台詞を残すと梓を押し出した。


「……ありがと、」


 そうして、夕暮れの中ふうわりと笑う梓を愛しいと思った。
 踵を返して駆け出して、輪に混ざる梓がそこにいて、それは英士の知らない生活を見ているのだと。


(だって、寂しそうにしてんの嫌だしね)


 ふ、と自嘲気味な笑みはきっと誰も見ていない。単に梓に笑っていて欲しいという、それだけの行動。
 輪の中の梓の笑顔。それはどこまでも楽しそうで、まるで夏空のように澄み切っていて、その空に向かって咲き誇る大輪の向日葵のようで。
 それがあればいいと思った。それだけでいいんだと、英士は荷物を抱えなおしそう、呟くのだった。
 だからまだ予想が出来なかった。梓の笑顔がそこで誰に向けられているのか、なんて。むしろまだ気づきたくなかったのかもしれない。

本日の予定、未だ未定

 嵐の前の静けさ。

 ふとそんな言葉が頭をよぎるのは何もこの空の暗さのためばかりではなかろう。湿気を帯びる空気にどんよりとした黒い雲、時折乱暴な轟音を立てる風、夏の風物詩とはいうものの迷惑なことには変わりない。どうせならば太平洋へと進路を変えてくれればと思ってしまうのは何も明日の洗濯物を心配する主婦達ばかりでもない。
 本日が退寮期限となっている武蔵森学園中等部の正門には大きな荷物を抱えた学生たちの姿が見え、ひと時の『夏休み』の到来を暗示していた。
 そんな彼らに混じるのは運動着にスポーツバッグを背負う少年たちの姿。帰省しようとする制服姿の生徒たちの中その姿は一際目立つものであり、また如何せん本校の生徒ではない以上どうしても『浮いて』しまうのは仕方がない。本人たちも多少居心地が悪そうな表情で、思わず歩みが速くなるのは否めない。
 加えて空もなにやら怪しい雲行きと来た、夏の天気は変化が激しく先ほどまで西の空に見えているという程度に過ぎなかった暗鬱とした雲がまもなく頭上に到達しようとしており、あと数刻もすればあの雲は大きな雫をこぼし始めるであろう。その前には家路に着きたいものだと。

 


 映理はそんな空を見上げながらぼんやりと歩みを進めた。周囲で楽しげに談笑を交わすのはよくなじんだ武蔵森サッカー部の面々、これからしばらくは顔を合わせることもなくなるであろうが別段感慨が沸くわけでもなく、いつもどおりの帰り道にただ身を任せた。
 ただいつもと違うのは――――親友と笑いあう見慣れない三つの影。
 いや、見慣れないとは言葉が違うかも知れない。今日一日いやというほど見たというか、仕事の都合上顔は覚えた三人は親友の幼馴染だという、なるほど彼女のサッカー好きは筋金入りかと納得もいった。しかし生来の人見知りのこともあり自分から関わろうという気は起きずに何となく距離を置いて歩くこと十数分、校門が視界に入ってくる。
 校門をでればしばらくの間仲間たちとはさようなら、別々の夏休みが幕開ける。全寮制ゆえ仕方がないとは思うものの一抹の寂しさを感じないわけでもない。何せ学校にいる間は勉学か部活、寮も敷地内にあるとなれば遊びに行くこともあまりないのだから。いや、それ以前に自分には店の手伝いという大関門が待ち構えているのだけれども。
「……侘しい夏休みだこと…」
 これがうら若き女子中学生の夏休みかとも思うけれども。
「どうしたの映理、ため息なんてついて。」
「んー?まぁ夏くらいは遊びたいなぁって思って。」
 竹巳の声にぼんやりと返事をしながら一つのびを。いや、本当は夏休みこそ手伝わなければいけないということくらいは理解している。全寮制のため日ごろは学校に追われて手伝うことは叶わない、少なくとも自分は『学生生活』を満喫させてもらっているんだけれども。
 しかし、遊びたい、と思ってしまうのはその年齢の性。


 映理がぽつりと吐いたそんな言葉に一瞬顔を輝かせたのは竹巳だった。先ほど浮かべようとした誘いの言葉を親友に邪魔されて、そして再び訪れたチャンスを無碍にするにはあまりにも勿体無い。幸い『こなきじじい』は現在前方でキャプテンとの会話に夢中になっており、こちらに意識は向いていない。
 チャンスは、今。
「あ、だったら映理、俺と――――」
「ねぇねぇ映理ー!!!」
 
 忘れてた、敵は一人ではなかったのだ。

 なんともお約束的な展開に思わず竹巳は苦虫を踏み潰したような表情で後ろを振り返る。今度はくっつかれているのは自分ではない、という事実が違うのみで状況としては先ほどとぴたりと重なる。映理の背中にくっついた梓――ナップサック以外の荷物を持っていないところを見ると兄たちが持っているのであろう――その姿はまさに『こなき娘』と言ったところか。
「…梓、暑いわ。」
「うん、くっついてみたら私も思いのほか暑いなって思った。」
 日は暮れ始めているとは言えども今は盛夏、そりゃ人肌ほど心地の悪いものもないだろと眉間に皴を寄せたまま竹巳は内心突っ込み、一つため息を漏らす。もう運命に邪魔されているとしか思えないと感じながら。




 そんな竹巳の様子に二人の少女が気付くはずもなく、背中から降りた梓と並列しながら映理は歩調を緩める。差のある身長からくる歩幅の差こそあれども、それをのんびりあわせるのもいいものだと、そんなことを暑さで若干朦朧とする頭で考えながら彼女に先を促す。

「映理さ、一日くらい暇ない?」

「暇?」

 微妙な質問だ、と思わず顔をしかめる。何せ店とは言えどもいわば自営業である。暇を作ろうと思えば何とかならなくはないが、時期が時期だ、暇がないといえばない。しかし明日からは兄もいるわけで。

 そんな彼女の複雑な表情を読み取ったのか、梓は満面の笑みを浮かべると「うきうき」という擬音すら聞こえてきそうな表情で映理の顔を覗き込む。

「あのね、うち両親旅行いっててさ、せっかくだから泊まりこない?」

「……私ら寮で同室だって分かってる?」

 はっきり言って状況はまったく変わらないのだが。

「それとこれとは全然違うもーん!」

 まぁたしかに、『寮での共同生活』と『友達の家にお泊り』はその根本からして違う、お泊りには共同生活にはない意味もない楽しさが介在しソレが年頃の少女ともなれば共有するちょっとした秘密のことなどで盛り上がったりして見せたり。

 映理とて状況が許すならば是非行ってみたい。梓とは入学以来の親友でありながらも彼女の家に足を運んだことはないし、正直興味はある。どうせならばその機会に一緒に買い物に行ったり遊びに行ったりするのも悪くない、サッカーから一歩はなれて女の子同士ソレらしい遊びをするのも楽しそうだ。

「んー…いきたいなぁ。こういう時でもなきゃ機会ないもんね。」

「でしょでしょ?一緒ご飯作ったりしようよー!」

 梓の自宅は武蔵森の最寄駅からおよそ電車で一時間の位置と聞く、渋沢家からすれば二時間弱ほどの距離であろうか。帰ろうと思えば時間はかかるものの帰れる距離であるし、それ以上に夏休み特有の誘惑。

 

 映理はしばし悩んだように従順したのち、先方を歩く兄の服の背中をついと抓む。妹の意図はどうやら正確に兄に伝わったようで――必要以上に嬉しそうだとほかのメンバーは語るが――首をかしげて妹を省みる。妹のほうはといえば若干きまづそうな表情でありながらも兄を見上げると。

「ねぇ兄貴、私梓のうちに泊まりにいってもいい?」

「今日か?」

「うん、今から。」

 着替えも何もないが今日日コンビニの品揃えは異常なほどに良い、着替えのジャージくらいならば家主に借りれば問題ないと付けたし伺うように兄を見上げる。

 いや、何せ過剰なほどに過保護な性格であることは誰よりも映理自身が理解している、今も妹の願い出になんとも複雑そうな表情、おそらく家の手伝いとかそういう次元の話ではないところで悩んでいるのが分かるだけになんとも返事が恐ろしい。

「一人で平気か?」

「………私、もう14歳なんだけど。」

 幼稚園の頃と変わらぬ態度、変わらぬ対応、兄の向こう側に見える先輩たちや東京都選抜の選手たちのなんとも複雑そうな視線をありありと感じるだけに凄まじいほどの居心地の悪さを感じながら映理はじっと耐えた。もうがんばった、そう自分を褒めてやりたいほどに。

「いいか、迷惑をかけたらだめだぞ?明日迎えに行くからな?何かあったら電話するんだぞ?」

「………………………はい。」

 搾り出した答えとともに目一杯眉間に皴がよったことはこの際気付かない振りをする。






 相変わらずの兄妹愛だ、などとなんとなくずれた感想を目の前の光景に抱きながら梓は必死に笑いをかみ殺した。

 極度の過保護とその過保護を嫌がりながらも拒否できない親友の組み合わせは武蔵森、ことさらサッカー部においては日常ともいえる光景。それを見て呆れるか笑みをこぼすかの反応の差こそあれどもなんとなく見ていると落ち着くのは此処こそが自分の『ホーム』だからなのであろう。

 自分の双子の兄も大概過保護だという自覚はあるが、端からみれば同じように見えるのだろうか。同じ年と一歳の年の差という差はあるであろうが、それを微笑ましいと感じるか呆れるかは人それぞれであろう、別段興味はないけれど。

 何はともあれ本日の若菜家に来客が一人決定。いつもとは違う感じに楽しい夜になりそうだとすでにわくわくしてしまう。

「何なに?今日映理ちゃん泊まりにくんの?」

「結人、うん、くるよー。」

 へとりと肩に頭を乗せてくる双子の兄にふりかえりながら答える。うむ、兄がどうも親友のことを気に入っていたらしいことには気付いた、それもそのはずだ、電話や帰省の度に同室の友人の話をしてきたのは自分だしその話を通じて兄自身知っているつもりにもなっていたのだろう。


『へぇ、お姉ちゃんみたいな子なんだね!』

『うん!きっと結人も気に入ると思うよー。』


 その事実自体は梓的にも大いに歓迎する。大好きな兄が大切な友人を気に入るのはもちろん嬉しいし――それ以上にはっきりいって面白い。いや、自分に二卵性とは言えども良く似ている兄を映理が異性として意識するとは正直まったく思えないのだが、状況的に面白いことは大歓迎である。 

「結人、あの子が気に入ったみたいだね。」

「だねー。」

 なにやら嬉しそうな兄を見て英士も同じ感想を抱いたのであろうか、梓はにやにやと小悪魔的な笑みとともにそんな幼馴染に返答する。あいにくと英士と一馬は親友とは相性があまりよくなさそうではあるが――面白さという意味では同意をするに間違いないという確信はある。

「ねぇ、英士。英士たちも泊まりこない?久しぶりだしさ。」

「いいけど…迷惑じゃないの?ただでさえ渋沢…だったよね、も泊まりにくるんだろ?」

 映理を渋沢、と呼ぶ人間には久しぶりに会ったななどと頭の一部で思いながら、大丈夫だと返答する。むしろ久しぶりに幼馴染とゆっくり話せることは自分としても楽しみが増えるようで楽しみだ、と付け足しながら。

 となれば久しぶりに料理をする腕にも気合が入るな、と一人満足げに微笑んで。


「……あ。」



 そんな時、ふと頭にある考えが浮かんでしまったのが、おそらく間違いだったのだ。




「ねぇ柾輝!」

 ふと後ろを振り返り目に飛び込んできたのはけだるそうな足並みで歩く色黒の少年。一瞬考えた後、梓は飛びっきりの笑顔とともにその前方に回りこんだ。

 もれなく頭から振ってくる容赦のないチョップはサイドステップで避けるものの、さらに横から飛んできた翼のでこぴんを避けられなかったことに後悔をしながらも、梓はめげることなくその子悪魔的な笑みを深くして一言のたまった。

「柾輝たちも泊まりおいでよ。」

「……はぁ?」

「だから、三人とも泊まりおいでって。」

 おお、なんと予想通りの反応だ、そう思いながらも梓は今一度そんな言葉を付け足す。


 黒川柾輝、この人物は正直言って梓の中でも予想外のブラックホースであった。

 フットサルの中でであった悪友、飛葉中サッカー部悪がき一同、その中でも一際大人びておりアウトローな性格をした黒豹を連想させるその男。どちらかといえば『お嬢様』の部類に入る映理とは到底合いそうにないと思っていた飛葉中サッカー部一同だが、案の定相性はあまりいいとはいえそうになり。


 が。


 『サンキュ、――-映理』


 これは予想外の展開だった。

 想像以上に面白い、悪友と親友の組み合わせ、そんなこと想像もしなかったけれどもいざ目の前に組み合わせとしてみてみると。

「泊まりおいでって、映理もくるよ。」

 これは弄らないなどと勿体無くて我慢できそうにない。


 
 そんな梓の心情を知ってかしらでか――いや、おそらくはまったく同じコトを思ってのことであろうが――梓の言葉ににやりと笑ったのは翼だった。

 彼は一つ視線を同じ目線の高さ音少女と合わせると、二人にしか見えない意地の悪い笑いを交し合う。

「いいね。柾輝は行けばいいじゃん」

 さすが翼ちゃん、分かってる。

 梓は思わず飛びっきりの笑顔でその言葉に応酬する。

「何で俺だけ」

「折角の梓のお誘いだよ?受けておいでよ」

「だから何で!」

 一方柾輝本人はといえば非常に不服そうというか、意味が分からないといった感情を表情一杯に広げて翼に攻め寄る。その恵まれた身長から小柄の翼を見れば見下ろしているような感じになるのだが。


 「何?僕に逆らうわけ?」


 うわぁ、翼ちゃん最強。



 そうつぶやかなかっただけ梓はその瞬間の自分を褒めたくなった。


 

 そんな小柄な少年の怖さは身をもって知っているのか、柾輝は一瞬言葉を詰まらせる。反論が思いつかなかったというよりは翼の笑顔の裏に漂う異様なほどの殺気のためというほうが正しい。梓もあの笑顔を前にすればいつもの言葉が出てくるかは自信がない。

 とは思えども、此処でしっかり『確保』をしなくては面白さは半減する、瞬時にそう判断すると梓は柾輝の意思など無論確認するまでもなく、笑顔で先方を歩く映理に飛びつき「「柾輝もくるってー!」と報告をする。その瞬間兄が不思議に思うほどいやそうな顔をしたけれども、今回ばかりは我慢してもらうことにしよう。

「待て!まだ何も俺は…」

「じゃ、柾輝楽しんでおいで。若菜、うちの柾輝よろしくね。」

 どうせ柾輝にこの際拒否権などないのだ、そして結人は自分には極端に甘い、後で文句を言われても「だめ?」とお願いすればいいだけの話。複雑そうな映理の表情も一層自分の悪戯心を刺激するだけだと思いながら、彼らは武蔵森学園を後にした。





 その後に始まる、物語の幕を開けたとも気付かずに。

いまだ、熱帯性低気圧

「西園寺監督」

「あら、中村コーチ。どうかしましたか?」

「やはり台風が近づいているみたいです。…今日は少し早いですが、切り上げたほうがいいかもしれません」

「そうね…何かあってからでは大変だし、お家が遠い子も居るでしょう。コートも早く武蔵森に返したほうがいいですし…」

「では、今日はここまでにしましょうか」

「そうしましょう。時間が無いとは思いますが、あの子達のことだから、何とかなるでしょうし」


 にこりと、鮮やかに笑う女監督西園寺の言葉に、選抜コーチの中村も了解の意を唱えた。






 西の空が重く垂れ込めてきた。これは夕暮れの垂れ込め具合とは異なるものだと、日々太陽と親睦を深める彼らならすぐに気づいただろう。

 朝から厳しいほど降り注いでいた太陽光は、確かに午後になっても勢力を衰えることなく襲い掛かり、気温としては今夏一番の暑さであった事は相違無い事実だ。だがしかし、その暑さは日本特有の湿気を含んだ暑さでもあり汗がとどまることを知らないように噴き出してきたのもまた事実。同時にその頃から、風が出た。それが冷風ならありがたいのに彼らは恐らく思ったことだろう。熱風、と称するにちょうどいい頃合だったのが恨めしい。

 そういえば台風情報が少しずつ夕方のニュースを占める時間帯が多くなってきたな、と。日本ではこの時期から9月にかけて台風が数多く発生するし、海ももうお盆を明けるとくらげが大量発生するのは周知の事実。ニュースでは日々気象予報士が「熱帯性低気圧が発生。台風への変化に注意してください」と予報する。

 現在、噂の台風は関西方面を日夜勢力を増大化しており、予報ではこのまま海沿いの関西方面を抜けて本州を舐めるように中京地帯、そのまま関東から南の太平洋へと抜けていくだろうと気象庁は発表していた。だが関東地方、しかも沿岸に接近するのは恐らく確かで、雨風が出ることくらいは誰しもが予想する。

 そんなことはまだまだ先だろうとは思っていたが、少しばかり風が出てきたことに西園寺は一抹の不安を覚え、また日中の暑さからの選手たちの消耗度合いを加え本日の練習は打ち切ることへと決断を出したのだ。



『っっした!!!!』


綺麗な整列を見せた選手たちが克朗の号令で一斉に頭を下げ、フィールドの隅にまで届くような気持ちのいい声を上げた。それを合図にぞろぞろと、疲労のせいか緩慢な、しかし開放されての充実で軽やかな足取りを各々に取り出した。汗と泥にまみれながらも手に手に荷物を取り、この後はどうする?などと楽しげな会話を繰り広げている。また次回の召集があるまでは、戦士はしばしの休息を得るのだ。

 選手は確かに終わりだ、が。監督を筆頭の首脳陣と、臨時マネージャーに対する本日のお礼を兼ねたミーティングはもう少し続きそうだった。


「渋沢さん、若菜さん。あなた達から見て彼らはどうかしら?」

「そうですね…体はやっぱり丈夫ですよね。あれだけの人数の事故で大きな怪我人もありませんでしたし」

「技術面もさすがずば抜けてますね!うちのガッコ、全国区ですけど平均値では断然選抜のが上でしたよ」


 二人の臨時マネージャーの言葉にさすが、と舌を巻く反面その感想が素直に嬉しかった。にっこりと花開くような鮮やかかつ妖艶な笑みには大人の女性の色気を感じずにはいられない。

 その鮮やかな笑みの内心、西園寺は本気で彼女たちが【欲しい】と思う。さすがは名門校のマネージャーを勤めるだけあり、業務にはあせることなく従事できる上にこの洞察力。桐原監督は何ていい子達を育てたのだろうと、ここにはいない武蔵森の監督に感心をした。

 なおかつ、都選抜には彼女たちの肉親もいる。顔見知りもいない狼の群れにいたいけな羊を飛び込ませるには若干の不安もあったが、あの状態なら立派な二人の【騎士】が彼女たちを守るのではないか。と、西園寺は人知れず先ほど視界の端にいれたあの騒動を思い出しては一瞬吹いてしまった、が。どうやら周囲は何も感知しなかったようで「何でもないわ」とまた綺麗な笑みを浮かべるだけであった。

 二度目の礼を映理と梓は今度は二人揃って言うとようやく背を向けることができた。こんな騒動はもう二度とごめんだとは映理が、あの資料だけは欲しかったと梓が、内心ごちていることなどは首脳陣の【大人達】は知らない。


「さーて、ようやく私も解放されたわ…」

 明日からは兄も帰省することだし、二人慌しく店番をするのだろうなと思うとやれやれなんて、独り言が零れてしまう。むっとする暑さの中、明日からのことを考えると憂鬱になる一方こんな気苦労はしないで済むのだなと思えばやはり実家が一番だと感じる。寮生活は嫌いではない。気の置けない親友達と日々かしましく暮らすのは、この時期ならではだときっと後になって思うのであろう。

 そういえば、同室の相方は今は人もまばらな寮に残っていたのだと思い出し、ちらと目線を横に向ける。恐らく荷造りなど適当なことが思い出される。部屋の片づけが極端に下手な奴だからと思い出すと頭痛がしそうだ。

「…梓、あんたは今日帰るんでしょ?」

「え、うん、まあ。寮もしまっちゃうし、」

「『先輩も帰っちゃうし』?」

 急に話題を振られ、笑顔の中にどこか隠し切れない寂しげな表情を浮かべながらの梓に映理は一つつつくと、過剰なほどの反応を見せられた。これはさっき会った【先輩】が作用しているのだと、知っているからこその笑いがこみ上げてくる。


 帰省日初日、家の都合があるという理由も込めて早々に実家に帰路を進めた映理。

 退寮日ぎりぎりまで残っている梓。

 共にその間の部活には出席していたとはいえ何とも対照的な行動に誰もが首を傾げたが、だがしかし己のことに精一杯な年代だ。そんなことを深く追求してくる輩など誰もいなかった。


「けなげねー。【愛しの先輩と少しでも近くに、一瞬でも長く、側に居たいから】寮に残るなんて」

「うっさい!それにあたしそこまで言ってない!」

 にやりと意地悪げな笑みを浮かべるのは、通常なら梓の専売特許でもあるのだが、この時ばかりは映理に主導権が移り軍配も上がる。こうなってしまうと梓はもう何も言えなくなる。事情をすべて知っている映理相手ならではの光景だ。

 梓の気持ちがわからないとは言わない。だが、わかるとも言えない。映理にとってはそんな対象など居ない。いつでも異性というと兄が一番に上がり、そしてげっそりとする。だからどうして梓が克朗にある種の憧れと尊敬という念を抱くのか、そして、


 どうして亮が好きなのか。


 そんなことはどうにもわかる心理は持ち合わせていない。年頃の娘がそんなことでいいのかと恐らく問う輩も居るであろう。現に映理は女子寮では格好の的だ。

 娘三人寄ればかしましいとはいうが、何せ女子中学生しか居ない女子寮は日夜そんな話題で溢れかえる。バスケ部の某先輩がかっこいいだの、陸上部の某君が最近は目を引くだの、とうとう告白したされただのでそこかしこで盛り上がっているなんて慣れた光景。もちろん映理も梓も巻き込まれるのは、何せ優秀で人気高いサッカー部の中に居るマネージャーなのだから当然で。手紙を渡して欲しい、紹介の仲介役になって欲しい、気になる人のプロフィールを教えて欲しい。そんな質問は日常茶飯事で苦笑を浮かべてしまう。羨ましいと言われようとも、あの労働量をこなしてみろとは言えなかった。

 中でも、映理の兄であり主将である渋沢克朗は人気が高かった。大人びた容姿と柔らかな物腰、優しい性格は特に後輩層から人気が高い。いっそ彼女達に家での怠惰な姿を打ち明けようかとも思ったが、実家でも怠惰な兄など早々見たことが無かったことを思い出し軽く欝になる。

 無駄なライバル視をされることも無いとは言ず、それは人懐っこい性格の梓に向けられるのも特に多い。

 エースFW藤代誠二は梓の親友で2年A組所属のクラスメイトだ。

 あの子犬のような性格と、しかしプレイ中のやんちゃで、かつ男前な――梓はそうは思わないが――表情が人気を博しているのだと、上から下から質問攻めと同時のライバル視。梓にとっては誠二など単なる友人の一人でしかないし、むしろこの忙しい生活の発端でもあると思い出す。だから言えない、昨年春に誠二に誘われからマネージャーをやっているなどという事実は。

 妙なライバル視はいずれかにして妙な誤解を生む。誰だ誠二と自分が付き合っているなどと噂を流したのは、と自室に戻ってから荒れた梓を見たのは記憶に新しい。そしてその後、妙な誤解はサッカー部内にまで流れ一時期やりきれない時期があったが、ある時本気でぶちぎれた梓を顔を青くしながら誠二が必死に止める、という図式を見たとき、部員の誰もが誤報だと理解した。


(だからって…あの態度でわからないんだから、うちの部員達の鈍さ度合いも大したもんだわ)


 竹巳がこの場に居て、その声を聞いていたら「自分のこと棚に上げてよく言う」位はこぼしたかもしれないほど、映理は鈍いと言われている。






 梓の荷物を取りがてらの女子寮への帰路。映理には久々に見る風景だったが、その道すがらにもっと見慣れた人物達が、大きな荷物を手に手にその場に溜まっていた。


「映理」

「あれ笠井」


 その人だまりの中でも一際仲の良い人間は先ほど僅かな再会をした竹巳で。彼を筆頭に見かけた買出し面子が揃いに揃っていた。まだ帰っていなかったのかと首を傾げるが、恐らく親友の誠二でも待っているんだろうなと納得した。

「お疲れ。今から帰り?」

「うん、梓の荷物引き取りに行かないと」

 あの子も今日退寮だからと一言添えると、「ならここで一緒に待ってようよ」と何とも気のいいことを言ってくれるではないか。確かに何も二人で行くことは無いんだよな、と思い出し梓を見るとこっくりと頷き駆け足で女子寮方向へ背中を向けた。

「はい映理、ご褒美」

「わ!アイスだ~」

 不意に目の前に差し出されたのは安っぽいデザインの、しかしひんやりと冷えたアイス。これは確か先ほどの買出しのときに見たものではないか。あのまま食べるわけにもいかず竹巳に返したのだからもう跡形も無く溶けていると思っていた。と首を傾げるが、そろりと横目で見た竹巳がくすりと笑うとそれだけでわかってしまう。

(…わざわざ冷凍庫入れておいてくれたんだ)

 わかるほどに通じ合える。親友だ。

 ご褒美だと言われれば断る理由も、そして体も持ち合わせていない。渇きと熱気で充満している己には、袋を破く時間ももどかしく、ようやく口に一口含んで体中を渦巻く清涼感にほうっと息をついた。爽やかな味は恐らく柑橘系のあの味。

(ガリガリ君、グレープフルーツ味)

 さすがわが親友、ここまで欲しいものを感知してくれるなんてと涙が意出そうなほど優しい親友に感謝して、バンバンといささか強すぎる力でその背中をたたいた。「ぐっ」と苦しそうな声はこの際聞こえない振りをして。


 シャクシャクとアイスを噛み砕くいい音がする。勢いもありこれはもうものの5分としないうちに食べ終えてしまいそうだったが、その間もゆっくりとした空気で竹巳は映理に話しかける。

「映理は休みはどこにもいかないの?」

「んー、店番かなぁ」

「そっか、忙しいもんね」

「そうそう。それにどこ行っても混んでるかなとか思うとちょっとね」

 そっか、と竹巳は何か言いたげに口をつぐんでしまう。何か言葉を選んでいるのかと思い、その時を待っているとようやくにして口を開かれた。

「映理、あのさ」

「うん」

 しゃくんと、また一口冷たい固形物を口に放る。


「じゃあ、一日ぐらい俺と―――」

「たっくみ~~~~!おっまたせーーーー!!!」


 出た、妖怪こ泣きじじい。もとい藤代誠二。

 悲しいくらいのタイミングの良さに竹巳の続けようとした言葉は誠二に吸い込まれ、映理の耳に届くことは無かった。図体のでかい子犬が、可愛そうな不運な黒猫の背中にのしかかっているようだと思ってしまう辺りどうなのだろうか。

 サッカー部のジャニーズの異名をとる二人がじゃれているなど、女子寮の面々が見たらどう思うのだろうかと映理はどこか冷めた目つきでそれを見ていた。

「せ、誠二!重い!」

「お待たせ~。さって、帰ろうぜ♪」

 背中に張り付いた誠二は大きなアーモンド形の瞳をくるりと返してきらきらした笑顔を向けた。映理の手元に素敵なものを見つけたとたん、映理はそれのすべてを口に放ってしまったのだが。

「映理ちゃんいいもん食ってんね」

「笠井がくれたのよ」

「えー!竹巳、俺のは!?」

「無いよ。映理のだけ」

 ごくん、と瞬間的に飲み込んでしまった。食べてしまっておいてよかった。こんな光景を今はこの場に居ない相方に見つかっていたらきっと誠二と揃っての騒がしい光景になっていただろうから。

「三上先輩!俺のは?」

「あるわきゃねーだろバカ代」

「ひっでーーーー!!!」

 何のために頑張ったのか。自分のためだろという突っ込みは誰しもが伏せた事実。


「藤代、梓は?」

「梓ぁ?」

 きょろきょろと周囲を見渡していた映理であったが、この子犬は居るのに、もう一匹の子犬は見つからないといった表情を見せる。誠二の来た方向なら、恐らく途中で梓とすれ違うか合流するかは予想をしていたのだがどうやらそれは無かったらしい。

「ああでも、さっきすれ違ったからもうすぐ来るんじゃない?」

 そんな能天気な声がするや否や、向こうから茶色の塊が何やら大荷物を抱えて走ってきた。たかだか十日の帰省に一体何をするつもりなのだと問いたいところだが、そこはやはり女性の一括り。女性は皆一様に荷物が大きくなることなどは予想できたことだった。そして塊は時折荷物の多さに躓いたりするものだから、見届けていた面々は一瞬凍りついたりするもの。

「映理~~~、お待たせ~~~~」

 ようやく群衆の群れにたどり着いた塊。ご主人様のもとにたどり着いた子犬。どんな表現があてはまるだろうとりあえず親友に、映理はうん、と一つ答えた。本当に、アイスを食べきっておいて良かったなどと思うのは息せき切って真っ赤な顔をしているせいだ。

「梓お疲れ!」

「誠ちゃんお疲れ!」

 ハイタッチをする二匹の子犬に面々はやれやれといった表情をしながらもどこか見守る瞳だ。それもそのはず、ここから十日間はこの光景を見られないのだとも思えばそんな瞳にもなるだろう。

 たった十日間。されど十日間。

 そんなの、尺度をつけられるものではないことくらいわかるが、全国大会が終わりどこか寂しさの残るこの群集は3年生がほとんどだ。ふと思い出すと先日の全国大会が脳裏に蘇る。引退では無いが、事実上の引退に当たる。もう大会で見ることができない背中は、2年生には眩しさと寂しさを若干ながら感じる。もっとも、そんなことを言えば恐らく拳骨の一つや二つと、まだまだ健在だという皮肉が返ってくるのだろう。


「何だ梓、帰るのか?」

「うん、帰りますよ。ネギ先輩も帰る?」

「……何でお前らは揃いも揃って『根岸』って言えねーんだ」

 たった一文字足すだけだろうと言いたい顔だが、梓にとっても映理にとっても、【根岸靖人先輩=ネギ先輩】に間違いは無い。親身をこめての呼び方なのだから可愛い冗談だとでも思ってくれていいのに。

「でもお前、その荷物…多すぎだろ」

「そーお?」

 さすがにそれに気づいたのか、まだ肩を落としながらの言葉に梓は首を傾げるだけ。しかし梓は「でも、」と言葉をつなげた。


「今日は荷物持ちが居るもん」


 え、と問おうとした時にはもう一つの茶色の塊が近づいてきていた。

 茶色の塊は一つであったが、影は全部で三つ。そのどれもが先ほどのフィールド上にあった顔だったことはすぐにわかった。何故ならそれは、何も今日だけで知っている顔ではなくそこそこに有名となっているものだったからで。

 靖人を始めに「あ」と思わず声を上げてしまう気持ちは誠二にはわからなくもない。かく言う自分も恐らくよそに行けば同等の存在になるのだろうけども、いかんせんここは母校で、先輩面子にとっては単なる可愛い後輩で。そんな反応が欲しいわけではないけれど。

 しかしその存在たちにどうして梓は気軽に手を振って答えているのだろうと不思議になる。

「結人ぉ!」

 しかもその名まで告げて、だ。一際驚きを隠せない靖人に同室の中西秀二は落ち着けと諭すだけ。

 梓は荷物をその場に置くと走り出し、そのもう一つの茶色の塊にえいやとばかりに飛びついた。さすがにその光景には声を上げて驚いてしまうのは靖人だけではなかった。事情を知っている映理と誠二だけが思わず苦笑をあげてしまう。そうして連れ立ってこちらに来る面々は、改めて見るとどうしてかやはり豪華だと思ってしまうのは、恐らく知らず知らずに自分と比べてしまっているから。


 若菜結人。

 郭英士。

 真田一馬。


 名前など自己紹介をされなくても知っていると。

 だがしかし、その中にどうして梓が居るのかはそこは言われなくてはわからないと。

「荷物持ちって…なるほどね」

「うん。でしょ?」

 はは、と乾いた笑いを浮かべた映理だが、この分では一緒に帰ろうともしかしたら支度をしている兄に自分も荷物持ちをされないかと、どこか嫌な予感が浮かび上がる。そういうところだけは平等な扱いをする兄に苛つきを覚えながら。


「あ、映理ちゃんお疲れー。一日ありがとね」

「あ、いえ。お疲れ様…です」

 屈託なく笑いかけてきたのは結人で、そんな彼をどう呼んだらいいのか――何せもう一人【若菜】がいるのだから――、またどんな言葉で、どんな反応をしたらいいのかわからないと、映理は思わず体を強張らせてしまう。がその反面、よく見知った笑顔と雰囲気が何となくどことなく兼ね備えている苦手意識とは遠い気がして。

 まあそうそう会うことはないだろう、と思いながらも何せ梓に連なりどこで顔を併せるかわからないとも思ってしまう。

「映理ちゃん、違うでしょ?」

 と、不意に眉を寄せた結人がずいと映理に一歩近寄った。ひっと声を上げそうになったがそれはあまりにも失礼なんじゃないかと思い直し、「何がですか?」ととりあえず反論だけはしておいた。顔を見て早々否定されるとは何てことだ。

 結人は、梓と顔を見合わせ天を仰ぎ腕を組みよし、とうなずく。ああ何て百面相。何て見慣れた光景。こっそり映理と誠二は傍らからそれを見ていて思った。


「結人」

「は?」


 俺結人、とでも言いたいつもりなのかこの男は。

 一瞬の苛つきが映理に芽生え、馬鹿にされているのかと思う。いまさら自己紹介なんていらないとばかりの視線を向けて。

「だって、俺と映理ちゃん同い年でしょ?」

「ええ、まあ」

「それに一日一緒に居たでしょ?」

「そうですね」

「そんで映理ちゃん、梓の親友でしょ」

「一応は」

 矢継ぎ早の質問には簡素な答えしか出てこないのが人というもので。一歩一歩、まるで詰め寄るような結人の質問に映理は思わず目を白黒させてしまう。そうして、結人は「わかってるじゃないか」とでも言いたげにぷう、と頬を膨らませた。まん丸でつつきたいフォルムは梓とやはり同じだと。

「結人、だよ」

「はあ?!」

 だから何が言いたいんだ。

 思わずそう声を上げそうになったとき、「そうだよ」と梓の転がしたような声がした。


「結人だよ映理!」

「そう映理ちゃん、結人だよ」

「はああぁあ!?」

『ゆ・う・と!』


 違うのは声の高さだけ。リズムもイントネーションも、詰め寄る仕草も瞳も印象も丸かぶりな光景に、映理はドッペルゲンガーに襲われる、と無意識に兄であり自分の騎士でもある克朗に内心助けを求めそうになった。

 しかしその背後で「あ」と一言声を上げたのは暑い暑いと不満を漏らしていた近藤忍だ。それに気づた、隣で同様でだれながら光景を見守っていた亮が反応する。


「若菜なんだ」

「ああ?」


 不機嫌が輪をかけて不機嫌な返事をする。見慣れた不機嫌な光景に忍は一瞬おののくものの、だから、と話を続けた。いつの間にか武蔵森の面々は彼の言葉に注目していた。

「だから、若菜なんだよ」

「あいつがだろ?U-14の若菜だってことくらいわかるよ」

「そうじゃねーって、若菜なんだよ」

「近藤、何が言いてーんだ!」

 暑さと見慣れぬ光景と煮え切らない答えしか見せない忍に靖人はいきり立ち地団駄を踏みそうになる、が、それをやんわりと声だけで抑えたのは今まで黙って話を聞いていた辰巳良平だった。しかも制したというよりかは、話に気づいた、とでもいった声だけで、だ。


「【若菜】梓か」

「そう。さすがは辰巳」


 ようやく話がつながったことに安堵した忍はいきり立つ靖人に目だけで「わかったか?」と伝える。だがそれだけではわからないと言いたげな表情の彼に、秀二はやれやれと助け舟を出すことにしてやった。

「いいか、ネギ」

「【根岸】」

「ネギだお前なんか」

 同室の輩にまで言われるとは、とがっくり肩を落とす靖人に知るかとばかりに話は続く。

「何で映理が、うちの部で名前で呼ばれてるかはわかってるな?」

「そりゃだって、うちには【渋沢】が既に……って、あ!」

「そうだ。ようやくわかったか」

「そうか…梓も【若菜】なんだ」

 うんうんと納得する靖人に誠二はいつの間にか竹巳から離れたのか、ひょいとその好奇心旺盛な瞳を覗かせ、まるで我が事のように自慢げに、ようやく真実を伝える。

「そうっすよ!梓と若菜は双子なんす!」

「双子!?」

「よりによって双子か」

「あーそうか、そういや二人ともお前とタメだもんな」

「へへー」

「そりゃ…名前で呼んで欲しいわけだよ」

 区別つかねーもんな、との秀二の言葉に頷きあう面々は、しかし二卵性にしては似すぎているのではないかと首を傾げたくもなるのも事実。見た目だけでもかなり似ている二人だが、もうこの時点だけでオーラが似ていると思ってしまう。同時に、何故梓があそこまでにサッカーに熟知し、精通しているのかもわかった気がする。何せユース選抜が身内に居るともなればさすが、と。


「……すっげーーーー…梓、U-14と同じ苗字かー!!」

「おい、こいつ簀巻きにして川に捨てて来い」


 そして、いまだ的外れな回答を導き出してしまった靖人には怒気を孕みまくった亮の声と、全国大会を制した名司令塔の黄金の右足がプレゼントされた。










 きらきらの茶色の瞳が映理を襲っている。しかも二つ。

 映理にはいまだに何が何だかわからないと、今にも怒りだしそうな泣きそうな瞳だったが、もう気迫に押されどうにかなってしまったのか。はたまたドッペルゲンガーにとうとうやられたのか。

 ぐるぐるした視界の中思わず「ゆう、と」と呟いてしまうと結人は梓と同じヒマワリの笑顔を映理に向けた。

「そう、結人!よろしくね映理ちゃんっ」

 映理の手をしっかと握りぶんぶんと握手をする結人は満足そうにそう言った。もう何がよろしくで何がよろしくされないのか映理には半分ほどしか理解できない。うんうんと思わず頷くと結人は梓を見て、梓も結人を見てにこーっとヒマワリの笑顔を向け合った。いつからここはヒマワリ畑になってしまったのかと、妙な錯覚に襲われる。


 ぐるぐる回り巡りまわる世界の中の映理を心配げに、そしてそれに対峙していた強引とも言えるヒマワリボランチをじっと見つめるのは竹巳だった。

 何も言わない。何も聞かない。だが竹巳を取り巻く空気はどこか不穏だと気づくのは、この場には誰も居ないのかもしれない。

 梓と同じ笑顔。映理に向ける屈託無いその笑顔。苗字が同じで雰囲気が同じで、ああ双子なのかと先に誠二に紹介されていたから妙な納得をした目の前の二人。

 いつも見る梓とその笑顔は被る筈なのに、どうしてか結人のその笑顔には妙な胸騒ぎを覚えた。

 何か自分にとって良くないことが起こる。今日を境におかしなことになる。直感はあくまでも直感だ。だが、人間の第六感は時として予想を裏切るのは、試合中でも良く知っていた。それは選手としての直感が告げるもので、大事にしろと言われたことはある。

 だが今日の直感は選手としてではない、いわば【笠井竹巳】としての直感だ。


 このままではいけない。

 このままでは何かが狂う。



 竹巳の中を渦巻く不穏な空気は、まるで今日の天気のようだった。

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