おはようございます。

 

もう師走も半ばですね。

自分も人並みに忙しい(「ビンボー暇なし」の類ですウシシ )ですが、それなりにまあ元気に過ごしております。

 

 

 

 

以前に「性的なこと」を語る是非(2)を書いてから半年以上経ちました。

今日はちょっとその続きを書こうと思いますが、前回の文は特に、本音を書いているとはいえ、備忘録的・自己満足的に書いていることから、とても分かりづらいし、少し誤解を招いたかもしれません。

 

「性的なことを語ること自体が良くないことだ」と捉えられたかもしれないのですが、実は自分が言いたかったことは結果的にはむしろ真逆です(←もうわかりにくいですよね滝汗)。

 

 

<子どもの前・家族・フォーマルな場>で軽々しく性的なことを語るべきではない、というのはまさしく言いたいことなのですが、「性的なこと」というのは、このブログの当初から最も強調していることとして言ってきた通り、人間存在の本質なのです。

ですから、古今東西最も語られ得ることだし、それがなければ人類はもう滅びていたはずです。

ただ、それを、トイレはトイレでするように、然るべきところでやろう、ということなのです。

 

実は、ネット空間はまさにその場所ですから、大いに語るべき場所でしょう。

行き過ぎた性描写は、例えば子どもには触れさせないようにしたいですが、子どもが成長する過程で「性的なこと」に触れるのは、真面目に語られる場合はお母さんからでも良いでしょうけど、おそらくそれは今では特に、ネットからでしょう。

そして特に、こっちのような「マイノリティ」の属性がある子の場合は、(自分だけではないと知る)ネットこそが救いの場です。

自分は、オクレバセナガラ、まさにそうだったわけです。

大袈裟に言えば、ネットのおかげで、いま生きているくらいなのです。

 

 

 

 

そもそも自分がこの話題を書こうとしたきっかけは、自分が成長期の頃にテレビを見て感じさせられた強い違和感があってのことです。

自分の先輩世代の方や同年代の人は覚えていると思いますが、ちょうど平成になった頃から、特に欧米(アメリカと言っても良い)のセクシュアルハラスメント系のニュースが激増したことがあります。

「レイプ」という語がテレビで躊躇なく使われ始めるようになった時期です。

 

まあこれは単純に、日本なのに欧米のニュースばっかりになったとか、ワイドショーやニュースを見れば性的なことではなくても団欒にはそぐわないが話題ばかりになったという、メディアの問題でもあります。

 

ただ、昭和の頃は自己規制だったのかどうかはわかりませんが、基本的には深夜でないと、テレビでは性的なことは流れませんでした。

ちなみに、中学生くらいの時、隠れて深夜のエロい番組見て、翌日塾の友達と「アレ、エロかったね」などと話し時ほど、楽しかったことはありませんグラサン

 

アメリカ的なもの(例えばO・Jシンプソン事件のような報道)が、なぜか日本でもスタンダードになったバブル以降が、かえって日本人の了見が狭くなったきっかけのように感じます。セクハラは悪いに決まっていますが、はっきり言えば、真昼間から「レイプ」だとか「セックス」だとか「ラブホテル」だとかいう言葉をテレビが連呼する方が、よっぽどセクハラでしたよ。

 

 

 

そして、そういうことに<子ども>が触れてしまうことの、おぞましさです。

何と言えば良いのか、美しくないのです。

ここでやや難しいのは、<子ども>とは何歳くらいまでのことを言うのか?

まあ、親との会話が減ってくるような年齢、つまり中学校の途中くらいまでの子(=だいたい小学生まで)と言って良いと思います。

小学生に、上に書いたような語を、聞かせたくないものだし、親子で話題にしたくないものだし、必要でもないでしょう。

自分もある程度年を取ってきたこともありますが、「見ざる・言わざる・聞かざる」ということは、あると思います。

 

 

 

やはり、「ハレンチ事件」をお茶の間の時間のニュース(話題)にすべきではないです。

不快極まりないというのもあるけれど、この30年結局は、そのことで良くなっていないどころか、人間の本質を見ないで単に人をバカにしたり変態扱いするだけで終わり、見ているフツーの人たちはまた日常に戻るだけでしょう。それで事が解決しているようには思えません。

 

テレビのような公の場では、いわゆる「ゾーニング」にするか、真剣に議論する場として設定するか、子どもに触れさせないようにするか。

ネット時代の今、実はこれは可能でしょう。

敢えて言えば、ちょっと前の日本人というのは、それをするくらいの美学を持っていました

 

 

 

 

ちなみに、先程も書いた通り、然るべき場では、「性的なこと」は語られて当然です。

<子ども>でなくなるような時期(=思春期)に、「性的なこと」に関する知識は「持つべき」に急変するわけですが、ネットがない時代は、それは映画や小説といった芸術こそに、その機能はあったものです。

 

ネット時代になり、その危険性もありつつ、「性的なこと」にまつわる情報にたくさん触れ、それを友人などと交わす中で、むしろ「正しい知識」、以前よりは「より深く多様な知識」を(実はわれわれ大人も含めて)知っているのが、今の子どもたちでしょう。

いま、そしてこれからも、ネットこそ、性に関する話が本音で公に出来る適切な場なのです。

そのことで全体としては幸せな人は増えていると思っています。

 

 

 

まあ、今日の結論って、テレビを見なければ良い、ってことになっちゃうかもしれませんニコニコ

テレビはイケメン少年ばっかり映していれば良いのですグラサン