おはようございます。

 

今月は特に速かった!

いま書かないと、今月は確実に抜けてしまうと思い、あわてて書きます。

もちろん、誰も待ってはいないし、月一で書く決まりもないのに…。

自分が生きてる、一つの証として。

 

 

 

 

以前から書こうと思っていたこと。

つまり、下書きに埋もれていたことを書いておきます。

(※なお、議論はしません。同意できない人も多いかもしれないので、そういう場合は読み進めないでいただきたいです。)

 

実は、子どもの頃から、あまりよくわからないけど、よく聞いた言葉。

 

 

 

<不倫>

 

 

 

結論から言うと、いまは、「不倫は悪い」と思っています。

ただ、以前は(ほとんど)悪いとは思っていませんでした。

それは、

 

 

①そもそも(自分としてはネット時代以前に「こっち」だったことで)恋愛とはほぼ無縁だったこと

②結婚をしていないこと

 

 

で、若い頃から含めて、不倫という事について考える必要もなかったからでもあります。

また、こっちに出始める前と出てから10年くらいの間は、基本的に<ポリアモリー>が自然だと思っていたことがあります。

まあ、生物学的に言えば、「複数の人の興味が出る」のは、「ごく自然なこと」だからです。

性のルールで大切なのは<同意>です。

もちろん、その本能的なものが社会で体現されてはならないのですが、その「本能的な(ある種の)真理」を直視しないと、ルールも決められないはずです。

基本的に、いまの世の中は、このことをしていない(本質を認めない)から、末法なまでに乱れているとも思っています。

 

こっちの人同士では、子どもが生まれることはないし、結婚制度も(基本的には)ないので、そもそも不倫という語がないのです。まあ一般社会でも「恋愛にルールはない」とは言いますね。

そして、結婚にはルールがあるようです。

 

 

 

 

ただ、自分は「こっち」を自覚する前から、性(セックス)に関しては、ポリアモリー的な考えしかありませんでした。

ヤッたこともないのにね(笑)

自分は多分高校生くらいの頃から、かなり一貫して、子どもができるまでは問われないが、子どもが出来て<家庭>ができたら、ダメだと思ってきました。ごく自然に。

 

子どもがいない場合を、<家庭>とは考えていないわけです。

事情がある場合でも事情がない場合(=自由意思)でも、自分のように、結婚もせず(できず)子どもがいない場合でも、親がいるので、それは<家庭>である、と。

自分は<家庭>を持たなかった(持てなかった)が、<家庭>がある、というわけです。

子どもが存在すること

<親子=家庭>ということか。

親を知らなかったり、親が行方不明だったり、親と死別したり、とんでもない親だったりしても、つまり生まれたからには<家庭>があるということです。

家庭が良い悪いという話は、また別問題です。

 

 

 

不倫が悪いのは、<親子=家庭>を壊すからだと思うようになったのです。

お互いが家庭をもちながらの不倫は、やはり自由意思では収まらないのではないか。

不倫云々は置いといて、子どもの頃から「結婚して子どもを育てる」というのは、ごく当たり前のことだと思っていました。

実現することはありませんでしたけどね。

思春期以降は、さきほどもちょっと書いたように、同意が大事だがそのもとではセックスするのは当たり前だとも思っていましたが、自分がもちろんGという概念すらなかった高校生くらいからも、もし子どもができたら、そういう遊びはやるものじゃない、という感覚は、ありました。

 

 

そして、こっちデビューしてだんだんオジさんになってくると、不倫をしているような話をちらちら聞くにつれ、子どもがいる場合は「ああダメじゃん」と思いつつも、「もし自分なら不倫を一度もしないでいられるのか?」とも必ず考えました。

大切なことを確認すると、どんなにタイプであっても、セックスは数か月で飽きるものです。

敢えていえば、そうでないと主張する人は、マイノリティーです。

 

 

 

だから、等身大の人間的に言えば、不倫をするならば徹底的に秘密を貫け、ということになるかもしれません。

人類で一番古い商売と言われる売春を否定できないのも、それはある種の不倫防止=家庭を守る、子どもを守ることになるからです。

本当にバレずにやった場合は、ある意味で、家庭を必死で守ろうという営みでもあり、人間の弱さを考えたとき、美学とも言えるのではないでしょうか。

ナザレのイエスの、「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず石を投げなさい」の逸話のように。

 

 

 

 

ただ、不倫が悪いなら、結婚していないことや、ましてや子どもがいないことは、もはやけた違いに罪深いということになるんじゃないかと、ある時からふと気づくようになりました。

公には言われませんが、実は、結婚してるしてないが、恋愛できるできないが、社会の根本的な人間評価であること、これは世間の事実です。

ああ、自分で書いてて耳も胸も痛いグラサン

まあでも、人の気持ちは変えられないものです。

そんな中で、楽しく生きていくのであります爆  笑

 

 

自覚はしているので、謙虚に、ひっそりと生きてる人(わたくしのような人爆  笑)は大目に見てくださいねハートのバルーン