渋谷駅周辺では旧穏田川(北東から南西向き)と旧宇田川(北西から南東向き)が合流しています。合流後、渋谷川は北西から南東向きに流れます。そのため渋谷駅周辺は氾濫低地のため盆地状になっており、その周りには急な坂を上がると台地があります。

1.渋谷駅周辺の台地

 参考:http://www.gsi.go.jp/
 国土地理院地図:色別標高図にチェックして、該当場所で右クリックしますと、その地点での標高がでます。
 渋谷駅辺りの標高は約15mです。
 
参考:東京都 建物おける液状化対策ポータルサイト
 http://tokyo-toshiseibi-ekijoka.jp/chireki/chireki_search.html
 土地条件図にチェックしてみますと、台地(オレンジ色)・川跡(ピンク色)など分かります。

(1)NHK放送センターのある神南の台地(標高30~35m)
 公園通りを登っていくと渋谷区役所や税務署がありますが、ここの標高は約32mです。渋谷駅との標高差は約17mになります。この台地は東縁の旧隠田川のキャットストリートの低地と西縁の旧宇田川の流路の低地に挟まれた先端が三角形状になっています。この台地の北側には代々木公園と明治神宮があり、その東側には旧隠田川、西側には河骨川の低地があります(標高20mくらい)。その北端では旧代々木川の低地(標高約28m)があります。

(2)松濤・神山町・富ヶ谷の台地(標高30~35m)
 旧宇田川(標高約20m)の西側は松濤・神山町・富ヶ谷の台地があります。南側には松濤支流・神泉支流(標高20~22m)の低地があります。西側は駒場など台地が続きます。北側には神山支流の低地(標高22mくらい)があり、さらにその先には代々木八幡駅周辺の低地(標高21mくらい)(宇田川本流・富ヶ谷支流・初台支流・河骨川などの合流する低地)があります。
 
(3)神泉町・円山町・桜ヶ丘・南平台町の台地(標高30~35m)
 神泉支流の南側は神泉町・円山町・桜ヶ丘・南平台町の台地があります。東側は渋谷川沿いの低地(標高14mくらい)になります。南側は南平台の湧水源(標高22~24m)からの川跡(鶯谷町を通る)(標高17mくらい)の低地があります。南平台町の西側は目黒区青葉台2・3丁目になりますが、目黒川の低地(標高12mくらい)沿いに急崖が続いています。この急崖の縁に「西郷山公園」がありますが、この公園から崖線の様子を眺めることができます(高台は標高約35m、階段を下ったところは約20m、急崖の標高差は約15mあります)。

(4)神宮前5丁目・渋谷1・2・4丁目の台地(標高25~35m)
 西側を隠田川(北東・南西向き)・渋谷川(北西・南東向き)(標高約15m)に半円形に囲まれ、東側は笄川(標高20~16mくらい)、その手前の「いもり川(青山学院大の南側に湧水源があったようです)」(標高22~14mくらい)の低地があります。特に渋谷川と「いもり川」に囲まれた台地は細長い逆三角形状で、馬の背のようになっています。南側は渋谷川が恵比寿の近くで向きを東に変えるため、その低地が境になります。

2.渋谷駅再開発、東口地下の雨水貯留施設

 現在、渋谷駅周辺では数棟の高層ビルが建築中で、工事の音が響き渡っています。これらの高層ビル群や広場の拡充、観光バスのターミナルの整備などが完成すると、今までの立体交差等でビルが点々と繋がり、迷路のようなカオス的なイメージから、整然と高層ビルが重なり合って谷を埋め立て、もはや谷地であるということを忘れてしまう人工的な単一の巨大構造物という観を呈するのではないでしょうか。。盆地状の氾濫低地という軟弱地盤に「剣山」のように高層ビルの「杭」が打たれ、地下には巨大な雨水貯留施設も作られているようです。まるで現代の土木建築技術で軟弱地盤を強制的に補強しているようにも思えます。
 
参考:変貌を続ける街、渋谷:再開発で2020年前後に大きく進化
http://www.nippon.com/ja/views/b07801/
「…東横線の地下化をきっかけに、駅周辺の再開発事業を中心となって推進しているのは、渋谷を本拠地とする東急グループである。「エンタテインメントシティSHIBUYA」を掲げて、駅東側に劇場やオフィスが入る「渋谷ヒカリエ」を2012年にオープン。他に7つのプロジェクトを実施している。」
「…スクランブル交差点を見下ろすタワービルは、「渋谷駅街区」の東棟。地上46階・地下7階建て、高さ230mと、渋谷ヒカリエより約50m高い。2019年度に完成予定で、現在すでに駅と一体で工事に入っている。2027年度までには2期工事となる中央棟と西棟も完成予定で、全体のデザインアーキテクトには日建設計、隈研吾建築都市設計事務所、SANAA事務所と、有名どころが名を連ねる。
 東棟の最上部には、屋外と屋内に展望施設が設置される。超高層ビルの屋上を全面的に活用したものでは、日本最大級の規模となるという。スクランブル交差点を眼下に、北は代々木公園越しに新宿のビル群、東は六本木や都心方面、西は富士山への眺望が広がる。このビルの完成によって、渋谷の観光地化がいっそう加速するだろう。」
「2020年前後には、東西の駅前広場も整備されていく。スクランブル交差点と並ぶ渋谷の象徴といえば、「ハチ公」の銅像。その像がある駅西側の「ハチ公広場」は約1.5倍に拡充される予定で、タクシー乗降場が地下に集約されるという。
同じ西側の「東急プラザ渋谷」跡地を含む「道玄坂1丁目駅前地区」に建設されるビルには、1階に空港リムジンバスが乗り入れるバスターミナルができる。バス発着所がこれまでより駅に近くなり、鉄道との乗り換えの利便性も向上する。併せて、手荷物預かりや集配、外貨両替、観光案内などの施設が整備され、渋谷で手薄だった観光支援サービスが一気に拡充する予定だ。(引用終わり)」
 
参考:渋谷駅の地下で今、何が起きているのか
http://toyokeizai.net/articles/-/78542?page=2
「豪雨による渋谷地下街の冠水は、今や夏の風物詩となってしまった感がある。
 7月24日午後4時ごろ東京都心を襲ったゲリラ豪雨の影響で、渋谷駅の地下街が冠水。一部の改札口が閉鎖され、職員総出で水のかき出し作業に当たった。そこへ東急田園都市線の人身事故も重なり、駅構内は仕事帰りのサラリーマンであふれかえった。
 渋谷では、本来なら地下を通る東京地下鉄・銀座線が地上3階を走っている。このことからもわかるように、渋谷駅はすり鉢の底のような低い場所にある。そのため、雨水が溜まりやすく、過去には渋谷駅前の道路がひざの高さまで冠水したこともある。」
「昨年、本格的な工事がスタートした渋谷駅再開発は、冠水対策も念頭に置いている。現在は渋谷駅東口の地下25メートルの深さに、約4000トンの雨水を一時的にためることができる貯留槽を整備中だ。
 1時間当たり50ミリを超える雨が降った際、貯留槽に水をためて、天候が回復した後に排水する仕組みである。2019年度ごろの完成を目指して、現在工事を急いでいる。
 4000トンという貯留量は、25メートルプール8個分に相当する。完成すれば、今回のような渋谷駅の冠水リスクは大きく減じられるに違いない。」
「実は、東急百貨店東横店東1号館は渋谷川の上に建てられていた。現在同館は解体され、地下を流れる渋谷川が姿を見せている。今回の地下工事は、この渋谷川を移設し、空いたスペースに東口地下広場と貯水槽を整備するという大がかりなものだ。(引用終わり)」

参考:渋谷駅は一日にして成らず 「谷底」変遷から見える過去と未来
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK1002F_Q2A710C1000000?channel=DF130120166138
「東急の「親玉」五島慶太はル・コルビュジエに師事した坂倉準三に渋谷駅の大改造を任せる。都市は休むことなく常に工事中で、駅も改良工事を繰り広げていった。銀座線の電車のためのブリッジに倣ってか、坂倉は人間のためのブリッジである人工地盤の考え方を駅ビルに積極的に導入していく。しかも計画は次から次へと継続的に行われていった。
 1954年、大きな湾曲面をもつ当時日本一高かったビル、西館と百貨店間を結ぶ跨線橋(こせんきょう)が完成。1956年、東横百貨店を増築し、東側の連絡橋が完成。キューブの上にプラネタリウムのドームが載った東急文化会館(現在ヒカリエの前身)も開館。1960年、キューブに冠を載せた井の頭線の京王ビルと京王線連絡橋が完成。1964年、東急東横線ホームの上屋である連続かまぼこ屋根が完成(ただしこれは坂倉ではなく東急電鉄の設計)。坂倉の死後の1970年、クセナキス窓のファサードを持つ西口駅ビル(現南館)が完成。その変化していく様は、渋谷駅が生き物のごとく増殖するようであった。坂倉が関わった時期である1951年から1969年までは、日本経済が飛躍的な成長を遂げた高度経済成長期の約20年間とちょうど重なる。渋谷の谷のシャーレの中でブクブクと泡を立てながら様々な形態を付加していく渋谷駅が見える(引用終わり)」

 ル・コルビュジェの弟子の板倉さんという建築家が約20年かけて、あの独創的な渋谷駅周辺の構造物を設計していたようです。

3.渋谷の繁華街の始まり「百軒店」」

 渋谷の繁華街の始まりは、西武の堤康次郎さんが開発した商業地区(百軒店)によるもののようです。その後、西武と東急の開発競争により今の渋谷の様相になっていったようです。

参考:百軒店
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E8%BB%92%E5%BA%97
「1924年(大正13年)に東京府豊多摩郡渋谷円山町の「円山三業地」に隣接する形で開発された商店街である。
西武の前身である箱根土地の堤康次郎が旧中川伯爵邸を分譲し前年の関東大震災で被災した下町の名店を誘致(この商法は後に五島慶太が渋谷東急文化会館開業において東急沿線在住の客が銀座・浅草まで出掛けずとも済むよう名店を誘致したことへと繋がってゆく)、まだ郊外の田舎町に過ぎなかった渋谷町は被害が微少だった事もあり、聚楽座(劇場)、キネマ座(洋画封切館)、上野精養軒、資生堂、山野楽器、天賞堂など117店が集まった。」
「戦後は「名曲喫茶ライオン」(1926年開業)も甦り、喫茶店、バー、飲み屋、大衆食堂、洋食店そしてテアトル渋谷、テアトルSS、テアトルハイツとテアトル興業系の映画館が建ち並び大人が集う繁華街として再びかつての盛況を取り戻していった。この頃は他の盛り場同様に百軒店にも流しの歌手が渡り歩いていたがそれらの連中には北島三郎もいた。
1964年東京オリンピック開催前後はなんといっても渋谷=道玄坂=百軒店という構図だった。現在では賑わっている渋谷の各地域は人気(ひとけ)のない寂々とした様相を呈していた。そんな百軒店にも転機が訪れる、1967年に東急の二代目五島昇が渋谷区立大向小学校跡地で東急百貨店本店を開業させ、谷底にある駅から谷の上まで人が流れる渋谷の新たなる街としての表情を意図した事業であった、遅れを取るまいと翌1968年には百軒店を開発した西武が宇田川町の殺伐とした映画館跡地に西武百貨店渋谷店を開業、これによって開発が遅れていた宇田川町は西武のみならず東急をも巻き込んでしのぎを削る開発が成されてゆく事となる。
百軒店は1970年代に入ると「スイング」「音楽館」「ブレイキー」「DIG」といった通好みのジャズ喫茶がオープンしジャズファンの気を引くも1973年には渋谷パルコがオープン、1975年には西武のイメージ戦略で井の頭通りからパルコへのアプローチとなる小道がスペイン坂と称され、西武百貨店からセンター街への回遊性が確立する。こうして街の中心は完全に百軒店を離れ公園通りなどへと移り変わっていった。その後の百軒店はマンション、風俗店が混在するようになり、東京テアトル系の映画館跡地を含めかつては料亭が軒を連ね花街として華やかさを漂わせていた円山町そのものがラブホテル街へと変貌を遂げ現在に至っている。(引用終わり)」

 参考:色街の円山の繁栄は「弘法大師」のおかげ・・
 http://water.travel.coocan.jp/shinsen.html
 参考:円山町の歴史と変遷
 http://maruyamacho.net/about-maruyama/maruyama-history
「円山町は大正2年(1913)には、 芸妓置屋24戸、芸妓60名、待合茶屋13戸をもった1万5千坪が三業地(料理屋、待合、芸妓屋の許可地)として指定されました。(引用終わり)」
 参考:三業地(花街)
「…料理屋・待合茶屋・芸者屋(置屋)がまとめて「三業」と称されるため、花街のことを「三業地」ともいい…(引用終わり)」

渋谷区洪水ハザードマップ
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/anzen/bosai/hasai/pdf/kozui_map201704.pdf
 旧宇田川・隠田川の流路は水色・緑色、合流する渋谷駅周辺には青色(水深2m以上)の場所があります。
 
参考:東京都 建物おける液状化対策ポータルサイト
 http://tokyo-toshiseibi-ekijoka.jp/chireki/chireki_search.html
 土地条件図にチェックしてみますと、旧宇田川・隠田川の川跡ともピンク色の「盛土・埋立地」(沖積層)になっています。合流地点の渋谷駅ではその範囲が広がり、渋谷川沿いも旧宇田川。隠田川より幅が広いです。


参考:東京都防災マップ 渋谷区
 http://map.bousai.metro.tokyo.jp/map.html?lat=35.6639320694&lon=139.6980500279&tab_mode=2&zoom=13
 神南・道玄坂に急傾斜地崩壊危険箇所があります。西郷山公園の崖など目黒川沿いの急崖にもいくつか急傾斜地崩壊危険箇所があります。

 参考:渋谷区地震防災マップ
 https://www.city.shibuya.tokyo.jp/anzen/bosai/hasai/pdf/kikendo2014.pdf
 

 参考:東京都液状化ポータルサイト
http://tokyo-toshiseibi-ekijoka.jp/other_data.html
渋谷区
http://tokyo-toshiseibi-ekijoka.jp/pdf/113_shibuya-ku.pdf
 こちらのボーリングデータを見て、土質・N値など確認しましょう。

 参考:換算N値と地盤 スウェーデン式サウンディング試験換算N値と地盤(ジオテック�様)
https://www.jiban.co.jp/service/kouji/kouji02.htm
砂質土の場合はN値5以下が軟弱、粘土質の場合N値3以下が軟弱とのことです。

 参考:ボーリング柱状図とは?
 http://www.shimane.geonavi.net/shimane/boring.htm
 
参考:9. 地盤液状化 液状化危険度 
 http://dil.bosai.go.jp/workshop/03kouza_yosoku/s09ekijyoka/liquefaction.htm
「液状化は,締まりの緩い砂質層の存在と地下水による飽和,という2つの条件の組み合わせがある場所で生じます.砂丘以外のところでは,地層はごく表層を除き地下水で飽和しているとしてよいので,結局,砂質層が分布するか否かの把握が危険度判定の基礎になります.ボーリングデータにおける地質の記載では,シルト質砂・礫まじり砂・貝がらまじり砂などいろいろな表現がなされていますが,砂の文字が入っていれば液状化の可能性があると判断してよいでしょう.液状化が最も起こりやすいのは細粒・中粒の砂で,その粒径が揃っているほど液状化の可能性が大です.締まりの程度はN値によって判定します.砂層の深さにも関係しますが,N値がおよそ20以下であると液状化発生の可能性があり,N値が10以下であると液状化の危険性は大きくなります.深くなると液状化の影響は地表にまで達しなくなるので,問題になるのは深さ15~20m以内の砂層です(図9.2 液状化発生条件).液状化しない地層(泥層など)が上に載っていると(厚さおよそ3m以上),噴水・噴砂が抑えられるので,地表面の変形は生じません.(引用終わり)」
 液状化を考慮すると、土質が砂交じりである場合、N値が20以下ですと可能性があり、N値が10以下ですと危険性が大きくなるようです。

参考:http://www.gsi.go.jp/
 国土地理院地図:色別標高図にチェックして、該当場所で右クリックしますと、その地点での標高がでます。
 台地と川跡の低地の標高差を確認してみましょう。