『NHKスペシャル 激動の日本列島誕生物語』宝島社を読了しました。
その中で以下の4つの大きな出来事が紹介されていました。
1.大陸からの分離(日本海の成立)
2.火山島の衝突(伊豆、丹沢など)
3.世界最大規模のカルデラ噴火(西日本の連続的な噴火、山地形成)
4.「東西圧縮」による東日本の隆起(山地形成)

3.世界最大規模のカルデラ噴火(西日本の連続的な噴火、山地形成)
「紀伊半島で起きた超巨大カルデラ噴火…1400万年前、日本列島にはほとんど山はなく、湿地が広がり、ゾウやワニの祖先が暮らしていた。
超巨大カルデラ噴火が始まると、地下に溜まったていたマグマが、南北40㎞、東西23㎞にわたる半円形の裂け目の噴火口から一気に噴出し、内部の大地はは大きく陥没した。そして周囲には大量の火山灰が降り積もり、カルデラ噴火の裂け目に残ったマグマは、固まって硬い岩となった。
火山からの噴出物はやわらかいため、風雨によって削られ、風化し、あとにマグマが固まった硬い岩が残った。それが一枚岩など熊野地方に多数存在する巨石になったのである。
巨石が並ぶ半円形は、カルデラ噴火の火口の裂け目そのものだったのだ。
この超巨大噴火では、噴火のあとも膨大なマグマが地下に残っていた。
その一部が冷えて固まったのが、紀伊半島の中央部から南部にかけて地下に存在する、巨大な花こう岩の塊なのである。」
「…花崗岩がさらに、日本列島を山国に変える、思わぬ出来事を引き起こしていた。
じつは花こう岩は、地球内部・地殻をつくる岩石より密度が低い。つまり、まわりの岩石より軽いので、長い時間をかけて浮き上がり、少しずつ大地を持ち上げていくことになる。
最初、地下深くにあった花崗岩は、1千数百万年かけて10㎞以上も上へと浮かび上がり、持ち上げられた大地によって今日のような高い山々がつくりだされたのである。
最新の調査によれば、紀伊半島で起きたような超巨大噴火が、1400万年前の同時期に、西日本の広い範囲で起こっていたことがわかってきた。
紀伊半島だけで3カ所、九州地から東海まで西日本の広い範囲で連続して起こっていたのだ。
こうした西日本の広い範囲の地下では、超巨大カルデラ噴火のあと、紀伊半島と同じように、膨大な花こう岩がつくられた。
この大噴火によってできた花崗岩が浮かび上がることで、西日本一帯に高い山々が生まれていったのである。
このようにして生まれた高山の代表が、標高1982m、西日本の最高峰の愛媛県の石鎚山であり、宮崎県北部の大崩山だ。」


「では、なぜ1400万年前に巨大噴火が集中して起こったのだろうか?
…日本列島のもとが大陸から引きちぎられて、現在の場所へ移動しいた時代、今の沖縄付近にあったフィリピン海プレートも東へ引っ張られ、引っ張られたことで中央に巨大な割れ目が生まれた。
その割れ目から高温のマグマが溢れだし、フィリピン海プレートは表面温度が1000度にも達するプレートになった。
そして1400万年前、移動してきた西日本の大地が、熱いフィリピン海プレートに衝突したのである。
高温になっていたフィリピン海プレートに乗り上げたことで、西日本の地盤は急激に熱せられ、大量のマグマが発生。そのマグマによって、超巨大カルデラ噴火が同時期に多発したのである。(引用終わり)」
 
 日本海形成の時に、フィリピン海プレートは東に引っ張られて断裂し、そこから高温のマグマが溢れ出して、高温のプレートになったとのことです。そしてそこに乗り上げた西日本の各地に超巨大カルデラ噴火をもたらしたようです。
 
参考:西南日本下の断裂したフィリピン海プレート
 
「西南日本の地震、火山、地形発達を考える上で沈み込むフィリピン海プレートの形状は決定的に重要である。近年の研究によって中国地方や近畿地方の下にフィリピン海プレートが存在することが明らかになってきたが、本研究ではさらにそのプレートが近畿地方と中国四国地方の間、旧拡大軸に沿って断裂を起こしていることを明らかにする。この断裂はおそらくは 2-4 百万年前のプレート運動方向の変化がもとで始まっただろう。運動変化に伴いプレートは九州地方の下で西方から曲げられ、その弾性的な応答として中国地方の下で一端沈んだプレートを持ち上げるような変形が起きる。東の端が固定されている場合、この変形はプレート内の最弱部である旧拡大軸への応力集中を引き起こし、そこでプレートを断裂させると考えられる。」
 「…断裂したフィリピン海プレート、およびその過去数百万年の移動史は他の地球科学的知見とも調和的である。断裂の位置は近畿地方西部のヘリウム同位体異常地域の西縁にあたる。断裂面を通路としてマントルから地下水が上昇していることが示唆される。断裂に伴って中国地方ではプレートが上昇し、近畿地方ではプレートが下降する。この運動はマントルウェッジを媒介として地表での地形形成にも影響するだろう。例えば大阪湾の沈降はその表れと考えられる。隠岐の島の東方に見られる北北西走向の崖状の海底地形は丁度断裂面の延長にあたる。隠岐の島直下にもレシーバー関数イメージからプレートの存在が示唆されるので、ここが沈み込むプレートの北端かもしれない。2-4 百万年前は西南日本の火山活動や地形形成史が大きく変化した時点である。この時期に地下でプレートの断裂が始まったとして西南日本の形成史を再検討する必要があるだろう。(引用終わり)」
 
参考:南紀熊野ジオパーク
 
 
参考:石槌山
 
参考:大崩山