『NHKスペシャル 激動の日本列島誕生物語』宝島社を読了しました。
その中で以下の4つの大きな出来事が紹介されていました。
1.大陸からの分離(日本海の成立)
2.火山島の衝突(伊豆、丹沢など)
3.世界最大規模のカルデラ噴火(西日本の連続的な噴火、山地形成)
4.「東西圧縮」による東日本の隆起(山地形成)

2.火山島の衝突
「…約1500万年前、日本列島がまだ2本だったころ、今の関東あたりは、東日本と西日本を隔てる海峡だった。その沖合には、島々が一列に並んでいる。これらはの島々は海面から山頂だけ出ている巨大な火山である。
 海面下では噴出するマグマによって枕状溶岩が生まれている。そして、火山のまわりにはサンゴ礁が発達していた。これらの島々は海面下を含めると数千メートルの、富士山ほどもある海底火山である。
 あるとき島々は、フィリピン海プレートに乗って北上を始めた。そして、大陸から引き裂かれたて、現在の位置に移動してきたばかりの日本列島に、衝突を始めたのだ。」
「…伊豆の島々の衝突が始まったのは、約1500万年前だと考えられている。最初の頃に衝突したのが、甲府盆地の西の櫛形山地のあたり、次いで御坂山地、丹沢山地にあたる部分が衝突し、最後の衝突で現在の伊豆半島が生まれた。
 長い時間の中で、火山弧の衝突で生まれた関東山地、丹沢山地などからは大量の土砂が流れ出し、東日本・西日本の二つの陸地の間にあった海に流れ込んだ。その土砂は後に隆起し、今の関東平野のもとになった。(引用終わり)」

 丹沢山地・伊豆半島だけでなく、その前に御坂山地・櫛形山地も衝突していたようです。
 これらの衝突による影響と約300万年前からの「東西圧縮」(太平洋プレート説・フィリピン海プレート説・アムールプレート東縁変動帯説などあり)により関東山地や東日本の山地が形成されたようです。

参考:富士山の基盤:丹沢山地の地質 -衝突付加した古海洋性島弧-
http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/fujikazan/original/P59-68.pdf
「島弧-島弧多重衝突説(天野,1986;Amano,1991)に基づいた南部フォッサマグナの地質の概略を図1に示す.南
部フォッサマグナに分布する地層は,富士山や箱根火山等の第四紀火山の噴出物を除くと,主として2種類の地層群からなっている.一つが伊豆地塊(図1の A),丹沢地塊(図1の B),櫛形山地塊(図1の D),御坂地塊(図1のC)を主として構成している水中溶岩・水中火山砕屑岩類であり,他の一つが足柄地域や西桂地域に分布する礫岩・砂岩を主体とした地層群である.前者はかつて古伊豆-小笠原弧に所属していて,フィリピン海プレートの沈み込みに伴ってユーラシアプレートないしは北アメリカプレートに衝突付加した火山弧の断片であり,後者は沈み込むプレートの前面に存在したトラフを充填した堆積物と考えられる.」

参考:御坂山地
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9D%82%E5%B1%B1%E5%9C%B0

この御坂山地などの衝突の影響は、甲府盆地の成り立ちにも関係しているようです。

参考:重力異常から見た甲府盆地の境界断層 - J-STAGE Journals
https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/48/4/48_4_439/_pdf
「甲府盆地 は, 西方 を巨摩 山地, 北東方を関東山地, 南東方 を御坂 山地 に囲 まれた内陸盆地 であ る(Fig. 1). 盆
地の西縁 には市之瀬 台地(1), 南東縁 には曽根丘陵(S)があり, 断層変位地形 が明瞭に認あられる. (引用終わり)」

参考:自然&科学 丹沢の地質 <神奈川県立宮ヶ瀬ビジターセンター>
http://www.kanagawa-park.or.jp/miyagase/shizen_6.htm
「約600万年前、丹沢は本州がのっていたプレートとゆっくりと衝突し、丹沢が下にもぐり込んだため関東山地は隆起しました。」(引用終わり) 

 参考:南から来た火山の贈りもの
 http://izugeopark.org/izugeomain/

 参考:伊豆の大地の物語 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人
 http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Izu/Izushin/daichi/daichi.html
 伊豆の成り立ちを詳しく説明されています。
「…、伊豆半島のおいたちは以下の5つの時代に区分されている。
(1)深い海だった時代(2000万~1000万年前)
 このころの伊豆は、本州から南に数百キロメートル隔たった海底火山群だった。これらの海底火山から噴出した溶岩や火山れき・火山灰などが当時の海底に積み重なってできた地層は、古い順に仁科(にしな)層群、湯ヶ島層群と呼ばれている。
(2)浅い海だった時代(1000万~200万年前)
 伊豆全体が浅い海となったため、海面上にその姿をあらわし、火山島になった火山もあった。この時期に噴出した溶岩や火山れき・火山灰などの地層は、白浜層群と呼ばれる。
(3)本州への衝突と陸域の出現(200万~100万年前)
 伊豆が本州に衝突して合体しようとしていた時期である。この時初めて伊豆の大部分が陸地となり、以後はすべての火山が陸上で噴火するようになった。 この時期以降の堆積物を熱海層群と呼ぶ。
(4)陸上大型火山の時代(100万~20万年前)
 50万年前までに伊豆は本州から突き出た半島の形になり、現在見られる伊豆半島の原形ができあがった。陸地となった伊豆半島のあちこちで噴火がおき、天城山や達磨(だるま)山などの大きな火山体ができた。
(5)伊豆東部火山群の時代(20万年前~現在)
 20万年前ころになると、箱根火山をのぞく他の火山はすべて噴火を停止し、かわりに噴火を始めたのが伊豆東部火山群である。伊豆東部火山群の最新の噴火は、1989年7月に伊東沖で起きた手石海丘の海底噴火である。(引用終わり)」

参考:相模湾西部周辺のフィリピン海プレートの境界(短報)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/38/6/38_6_427/_pdf
「本地域の造構運動の根本的な特徴に触れておく.相模湾とその周辺はPHSプレート最北端部の収束境界域であるが,この部分のPHSプレートが伊豆・小笠原弧という島弧である点が際立った特徴である.東方からの太平洋(以下,PAC)プレートの沈み込みに伴う火山フロントが,富士山~ 箱根山~ 伊豆大島からさらに南方に連なり,PHSプレートを,東側の非火山性伊豆外弧リソスフェアと西側の火山性伊豆内弧リソスフェアに分けている.本州弧に対するPHSプレートのNNW~NWへの収束運動は,少なくとも5Maより前から続いているとみられるが,非火山性伊豆外弧リソスフェアは関東地方の下へ沈み込みを続け,浮揚的な火山性伊豆内弧リソスフェアは伊豆半島の北方地域で浮揚性沈み込み・衝突・付加を繰り返してきた点が本質的に重要である(例えば,石橋,1986b,1988a,b).その結果,相模トラフ・駿河トラフというプレート沈み込み境界が陸でつながる形になつた.つまり,現在,プレート収束境界が上陸していることと,それを火山フロントが切っていることは,決して偶然の特異な現象ではなく,密接な因果関係がある.(引用終わり)」
 PHSはフィリピン海プレートです。この伊豆半島地域及び関東地方でのフィリピン海プレートの状況は相当複雑であるようです。駿河トラフと相模トラフは火山フロント部分から分かれた非火山性のプレートが沈み込むところであり、その等深線は関東平野では南東側に湾曲しています。石橋教授がおっしゃる通り、このプレートと地殻構造の三次元解析は、関東大震災などの災害を予測する上で決定的に重要だと思います。

 また伊豆半島などが衝突した影響は大きいと思われます。インドがユーラシア大陸へ衝突したことによりエベレストなどの山脈や他の高原が出来たように。インド大陸とは陸塊量が違うと思いますが、何らかの共通性はあるのではないでしょうか?

参考:ヒマラヤの隆起
http://www.ha.shotoku.ac.jp/~kawa/KYO/DEM2/tec/history/himalaya.html

参考:大陸の衝突-ヒマラヤ山脈
http://finding-geo.info/world/Himaraya.html