『NHKスペシャル 激動の日本列島誕生物語』宝島社を読了しました。

その中で以下の4つの大きな出来事が紹介されていました。
1.大陸からの分離(日本海の成立)
2.火山島の衝突(伊豆、丹沢など)
3.世界最大規模のカルデラ噴火(西日本の連続的な噴火、山地形成)
4.「東西圧縮」による東日本の隆起(山地形成)


1.大陸からの分離(日本海の成立)
「2500万年前、ついに大陸の縁が裂け、太平洋から海水が入り込んで、大陸はさらに分かれていった。海水が入り込んだところは巨大な入り江となり、日本海のもとが生まれた。そして日本列島のもとになるふたつの陸地が、観音扉が開くように回転しながら大陸からどんどん離れていった。(引用終わり)」
 このような考え方は、火成岩や火山岩に鉄が含まれており、それらが地表で冷えて固まるとき、その時代の地磁気の方向に磁化することから導き出されたとのことです。個々の場所の記憶された地磁気を整合性が取れるように復元すると、上記のような仮説(観音扉が開くように、東日本は反時計回りに、西日本は時計回りに、別々に回転した)になるようです。

 またなぜ大陸の縁で引き裂かれるように列島が分離したかについては、コンピュータシュミレーション結果から、太平洋プレートが沈み込むときに、マントル内部から東向きに強い流れが生まれ、その流れに引っ張られるように大陸が引き延ばされるためとのことです。
 
 しかし日本海拡大に関しては、マントルの上昇流により大地が引き裂かれるように、陸地が引き延ばされるという見方もあります。上記の本では、このマントル上昇流による玄武岩質の火山噴火については言及していませんでした。太平洋プレートの沈み込みによるマントル内部の運動により、縁が引き延ばされ、そこからマントル由来の上昇流も当然起こるということなのでしょうか?またマントル由来の火山噴火が「背弧海盆」によるものとする考え方とも整合するのでしょうか?

(背弧海盆として火山活動活発→日本列島地塊の移動、日本海形成)
 関東平野の基盤構造(盆地状)については、約1650万年前の日本海拡大により形成されたとする見方があるようです。なお日本海拡大の時代とは、太平洋プレートのもぐり込みにより、大陸地塊と日本列島(地塊)の間に背弧海盆としての火山活動が活発となり、日本列島(地塊)が大陸から引き離された時期のようです。

参考:背弧海盆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E5%BC%A7%E6%B5%B7%E7%9B%86 

参考:『関東平野 の 成立 (地下構造) 産業技術総合研究所 地質情報研究部門』
http://watasumu.web.fc2.com/05ShizenKa/100730_Kanto01Chika.pdf

参考:日本海はどうしてできた?
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/03_03_06.pdf
参考:日本海の形成と島根半島
http://sanbesan.web.fc2.com/shimane_library/izumo_enya03.html
「 「島根半島には、地質時代で新第三紀中新世(2600万~650万年前)と呼ばれる時代の地層が分布している。この時代は、日本海が拡大し、日本列島がユーラシア大陸から離れたという、日本の自然史において大きな変換期のひとつ。島根半島で見られる岩石の多くは、広がりつつあった日本海の海底や海岸付近で形成された火山岩や堆積岩である。その成り立ちは、地球規模のダイナミックな変動と無縁ではない。」
「日本海が拡大した過程には、海底が拡大し、日本列島が横に移動したという説(拡大説)と、日本海部分が陥没した(陥没説)という2通りの説がある。近年は拡大説で説明されることが多く、本章でもこれに基づいて紹介する。
 中新世の初期、当時のユーラシア大陸東縁部で活発な火山活動が始まった。それに伴い、大地が拡大を始めた。拡大の中央には地溝帯と呼ばれる谷が形成され、次第にその幅が広がった。同様の現象は現在でも見ることができる。アフリカ東部の大地溝帯(グレート・リフト・バレー)がそれである。大地溝帯はマントルの上昇流によって大地が引き裂かれつつある場所で、拡大を続けている。このまま拡大が続くと、アフリカ大陸は大地溝帯を境に分断されることになる。拡大を始めた当初の日本海付近は、大地溝帯のような状況だったのだろう。」
「広がりつつあった日本海の海底と海岸では激しい火山活動が繰り返された。島根半島には海底火山の噴出物が広く分布している。海底火山の活動によって海底に堆積した火砕岩(凝灰岩類)は緑色を帯びることが多く、それは島根半島でも見ることができる。中新世に日本海の海底火山の影響を受けて形成された地層は、緑色の凝灰岩が普遍的に含まれることが特徴であることから、この地層が分布する地域は「グリーン・タフ(緑色凝灰岩)地帯」と総称される。グリーンタフ地帯は島根県以東の日本海沿岸地域を中心とする範囲で、鉱物資源に富む地域として知られている。島根県には、この火山活動の影響で形成された金属・非金属鉱床が多く存在する。(引用終わり)」

参考:日本の地質-日本海のできるまで - 栃木県の地球科学
http://finding-geo.info/Japan/making_of_Japan_Sea.html
「 断層活動とともに、活発な火成活動も起こっています。日本各地の広い範囲に玄武岩や安山岩の火山岩が噴出し、厚くたまるとともに、地下にもドレライトなどの貫入岩として残されています。 」
「 この時期の火山岩にはハイアロクラスタイトや枕状溶岩など、水中に噴出した証拠が多数見られます。すなわち、陸上の環境から水中の環境へと移り変わっていったことを示しています。また、火山岩類の多くが変質して一般に緑系統の色を呈するようになっているため、「グリーンタフ」と呼ばれることがあります。ただし、グリーンタフとは「緑色の凝灰岩」を意味しますが、実際には溶岩や貫入岩も多いので、この言葉はあまり使われなくなってきています。 (引用終わり)」


(プレートテクトニクス理論と地向斜造山理論)
 日本列島の地質(地塊、岩)の成り立ちについては、日本では1980年代くらいまで地向斜造山理論という考え方が主流で、その考え方はプレートテクトニクス理論とはまったく異質のもであったようです。

『啓林館 地学II>第2部 プレートでおおわれた地球>第2章 私たちの日本列島>第2節 日本列島の歴史
第2節 日本列島の歴史』より
http://www.keirinkan.com/kori/kori_earth/kori_earth_2/contents/ea-2/2-bu/2-2-2.htm 
「プレートテクトニクスの考えが生まれるまでは,日本は全体として古生代の初め頃からほぼ現位置あるいはそのすぐ近くのアジア大陸東縁に位置していて,日本列島をつくる地層はそのそばに生じた地向斜の中に堆積し,その場所で造山運動を受けたと考えられてきた。しかし,プレートテクトニクスが発展してからは,大陸や島弧は相互に近づいて衝突しり,あるいは分裂して離れていくものであると考えられるようになった。・・・岩石磁気や化石などを用いた最近の調査結果によると,そのようなことが日本列島に現実に起こったらしいことが確実になってきた。このような日本列島のおいたちを新しい観点からみなおす仕事はまだ始まったばかりであり,特に中生代以前については不明瞭の部分が多い。(引用終わり)」

 参考:地向斜造山理論
 http://www.ailab7.com/tikousyazouzan.html
 
 現在ではプレートテクトニクス理論を基にした「付加体」という考え方が主流になっています。
 参考:日本列島の地質と構造
 https://www.gsj.jp/geology/geology-japan/geology-japan/
「海洋地殻は、海嶺で噴出した玄武岩溶岩の上に、深海堆積物や海山を載せています。これらの一部は海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られてしまいます。これを付加作用といい、はぎ取られた地質体を 付加体 といいます。付加体のうち、海洋プレートの沈み込みにともなって地下深くもぐり込んだ部分は高い圧力を受け、変成岩となります。また、海洋プレートの沈み込みはマグマを発生させ、火山活動及び深成岩の貫入を伴います。」
「…日本列島は海洋プレートの沈み込みによって成長してきた生い立ちを持っています。そのため、以下のような地質の特徴を備えています。
 
 過去から現在まで、幾つもの時代の付加体が集積し、その一部が再配置されたつくりになっています。
 日本列島の基盤は一般に大陸側ほど古く、太平洋側ほど新しい構造となっています。
 地質時代を通じてマグマ活動があり、さまざまな時代の火成岩が残されています。
(引用終わり)」

 なお『プレートテクトニクスの拒絶と受容』泊次郎著 東京大学出版会によると、プレートテクトニクス理論が本格的に学会で認められたのは、西側諸国(日本を除く)では1970頃、なんと日本では1980年頃だったようです。日本では「地団研」という「民主主義を目指す団体」が日本独自の理論に固執したため、その受容が遅れてしまったとのことです?
 プレートテクトニクス理論は、米ソ冷戦の最中に、軍事的な目的のために深海底を詳しく調査したことなどにより立証されたようです(地磁気の逆転状況などから)。その後にプレートテクトニクス理論を柱にして、「地球科学、地球物理学」という学問体系が出来上がったようです。その歴史はまだ45年ほどしかありません(日本では35年ほど)。
 そのため少々古い地質学の解説書には、地向斜造山理論を用いて説明をしているものもあるようです(当時では学会の正統な理論でした)。
 しかし最近別の仮説も出てきているようで、地質学関連の研究はまだまだ分からないことだらけのようです?