『都市計画の世界史』日端康雄著 講談社新書より引用します。

「近代都市の深刻な問題の一つは、人間疎外やコミュニティの欠如がもたらす社会不安である。その解決のための社会運動に参加し、都市計画論に取り入れたのがクラレンス・A・ペリーである。
 
 ペリーは一般の家庭がその住宅地として望ましいと考える条件として、小学校、運動場、小売商店などの施設が利用しやすいこと、その場が土地柄に適して開発され、交通事故の危険が少ないということをあげて、ダイヤグラムとともに次の六条件にまとめられている。

 (1)近隣住区の規模は一般に小学校一つを必要とする人口が適当であるが、その区域面積は人口密度によって変化すること、(2)住区の境界は、周囲を幹線街路などで明確に囲み、通過交通は住区内を通り抜けないようにすること、(3)住区内には、住民の生活に要求に適合する小公園、およびレクレーション用地が空地として計画され、うまく配置されること、(4)住区内の公共施設については、その誘致圏が住区の大きさと概ね一致する学校その他の公共施設を住区の中心に配置すること、(5)地区店舗については、その人口に適した一つ以上の店舗地区を住区の周囲、特に交差点や隣接する住区の同様な店舗地区の近くに配置すること、(6)住区内の内部街路系統については、循環を容易にし、かつ通過交通によって利用されにくいようにすること。

 ペリーの近隣計画論の評価については、住環境の計画・設計と、計画的につくられた住環境での社会改良の、二つの面がある。つまり、第一は近代都市計画の計画技術としての評価であり、都市住民のコミュニティ形成への効果である。

 ペリーが近隣計画を構成する上で論拠とした社会的事実の認識と社会的目標に対する疑問や反証が、1940年代後半から50年代にかけて社会学者から提出されている。

 「近隣の自己充足性」について、社会学者R・B・アイザック、R・デューイらは、実態として都市の近隣は崩壊・消滅しつつあり、現代の都市生活者は、一定の地理的範囲にとらわれない広範な生活行動を展開し、過去の田舎、村の近隣と違って、住宅地にただ居住するだけであるとする。居住の場所によって形成されるコミュニティの生活を復活しようとする都市プランナーは、人々の時勢の要望に逆行するものである。
 しかし、ペリーは近隣住区の自足性の程度を論じてはいない。また、近隣住区内の居住者の日常生活は、その範囲内に閉塞するべきであるとも説いていない。彼はむしろ標準家族の日常生活の行動トリップを近隣内と近隣外に区分して、目的別に積み上げている。そして、都心へのアクセシビリティ(利便性)を確保するために、近隣住区を包囲する幹線道路の必要性を強調しているのである。

 産業革命後の混乱の都市で、社会改良主義者たちが目指したのは、急速に展開した工業化がもたらし、さらに、もたらすと予想された悲惨な都市社会での人間性回復、あるいは来るべく民主的社会の理想都市であった。…都市の公衆衛生問題の解決よりも、都市の人間集団の精神面での再構築であった。(引用終わり)」


 <「近隣計画論争」は、現在でも通用する課題であるとも思われます。高齢化やデフレによる二極分化などの背景とともに、都市でのマンション化率の高まりなどから、「コミュニティ」の重要性が叫ばれるようになっています。しかし、それとともに煩わしい人間関係を敬遠する個人主義・利便性社会も進行してるようです。

 都市計画では、コミュニティでの合意形成などのソフト面(精神面)における施策も考慮しないといけないようです。マンション管理組合のあり方を問う問題は、まさしく「近隣計画論争」の小型版のようです。>