忘我没頭の日々 | ジョンギブログ 〜スポーツのある人生〜

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2004年から2013年までの10年間、母校の大学でラグビー部の指導をした期間を一言でいうと「忘我没頭」した期間でした。

 

大学卒業後にNZ留学をしようと決めた理由は、確かに指導者を志してのことでしたが、実を言うと留学期間も留学後も、本当にフルタイムの指導者になるかどうかを悩みながら過ごしていました。

(同時に自分がなりたいと言っても監督になれる保証も何もありませんでした。)

何が自分を悩ませていたのか? 道を決めきれなかったのか?

生活の問題? いやそれよりも大学時代にいろんな葛藤を覚えた我が母校で、果たして自分が専任教員としてやっていくことができるのかどうか。

その踏ん切りがどうしてもつけることができなかったことと、もう一つ叶えたい目標であった、スポーツビジネスに関する仕事を諦めることに躊躇していたからでした。

 

それでも自分が情熱を注いだラグビー部を、どうにか立て直したいという思いは強くて、帰国後2003年の年が明けたまだ寒さが残る頃に、当時すでに大学を定年されていた、全源治監督に「ラグビー部のの指導がしたくて、NZ留学を終えてきました。今から大学の教員や職員になることはできないでしょうか?」と直訴しに行きました。

その時、ラグビー部の練習場であった朝鮮大学校第二グラウンドの隅に建てられた、通称「全さん部屋」で旧友の先生らお三方で飲み交わしておられた全先生は、驚きながらも喜んで自分を迎え入れて下さり、まずはその場にご一緒させていただきました。

しかし、現実問題として新年度開始が目の前に迫っている中では、あまりにも唐突であり無理な話で、全先生も笑みをに浮かべながら一言「遅い!!」と言われてしまいました(笑)それでも大学や体育学部とも話し合ってみるから、少し待ってなさい。と言っていただくことができたのですが、その後連絡があり、このタイミングで新年度から大学内の職に就くのは、教員はもちろん職員としても難しいということでした。

 

東京から大阪に戻ってからは、今後の身の振り方を考えながら短期の工場アルバイトなどをしながら過ごしていたのですが、部屋で休んでいたふとした時に、そういえば留学期間にスポーツ専門学校で学んだトレーニング知識と英語を生かして働けるような場所が東京にないだろうか?

まずはその仕事をしながら、外部コーチとして大学ラグビー部の指導をできないだろうかと思い立ち、当時各家庭にも普及しだしていたパソコンとインターネットで、「トレーナー 派遣」、「トレーナー バイト 英語」というような検索ワードで検索すると、偶然にも探していた条件に近い情報に巡り合うことができました。

 

 

続く