“デンガラ”
はじめて聞いたとき、何のことなのか意味がわかりませんでした。
中学2年生のある日、二つ上の兄が学校からやけに大切そうに、時折その“デンガラ”を持って自宅に帰ってきていました。
大雑把な兄がやけに大切そうに時折家に持ち帰ってきていた“デンガラ”とは、エンジ色と白のラグジャーでした。
それまではエンジ色って色自体あまり聞く機会がありませんでしたし、大阪を走る近鉄線の電車の色にそっくりな色という印象でした。
兄曰く、とても大切なものだというそのジャージ。
兄が所属する高校ラグビー部では、部員たちはその公式戦のときのみ身に纏うファーストジャージを格別に大切に扱うようで、そのジャージを扱う兄の姿からもそれは十分伝わってくるものがありました。
兄:「これが大阪朝高ラグビー部のデンガラや。“伝統の段柄ラグジャー”やからデンガラや。」
自分:「へ~。」
当時同じ部屋で過ごしていた兄がたまに持って帰ってくる大阪朝高のファーストジャージ。
その特別なラグジャーに対する兄の畏敬の念に次第に感化され、僕の中でもデンガラに対する憧れと特別感は、次第に強くなっていきました。
物心ついた頃から、大阪朝高の運動会などには行くことも多くて、そんな時から見てきた屈強なラグビー部の先輩たちとそのジャージー。
思えばそんなクラブとジャージに早くから憧れを抱いていました。
それから2年後、自分もその伝統のジャージを格別に大切にするラグビー部でラグビーを始めることになりました。
※高校3年生の全国予選。大阪桐蔭戦。右から2番目が自分です。
今年の高校ラグビー全国大会で全国3位に輝いた母校の後輩たち。
彼らのおかげで、正確には自分が高校を卒業した後に、伝統を引き継ぎ次々と輝かしい成績を上げてきた後輩たちのおかげで、大阪朝高ラグビー部出身であるということの認知度が非常に高くなりました。
そんな彼らのインタビューによく出てくるのが
“伝統”という言葉でした。
花園では“伝統の低いタックル”を心掛けたと。
僕が在学したのは今から25年前の話です。しかしその頃にもすでに部員たちは自分たちのラグビー部は伝統あるクラブで、公式試合用のジャージーは特別な伝統の段柄ラグジャーで、自分たちのプレーは他のチームとは違うべきなんだと、そんな気持ちを抱きながらラグビーをしていました。
チームの文化や価値観とも言えると思います。
メンバーが毎年変わる学生スポーツで、それを守り続けて継承し、また新しい価値を作り続ける、歴代の監督やコーチの方々には心から敬意を表したいと思います。
そして何もないところから伝統を作ってきた先輩たち、それを継承する後輩たち、その1ページを作った自分たち。
スポーツの世界で勝者になることは簡単ではありませんし、時の運に勝敗が左右されることも多分にあります。
それでも、チャンスを勝ち取り檜舞台でスポットライトを浴びた後輩たちの姿を見て、同窓の繋がりを感じることのできた年末年始でした。