No Fixed Abode -11ページ目

(承前)


岡山着。駅前にはやはりこのお方が。



さすがは本場岡山の桃太郎、格がちがう。キジを五羽従えている(違)。サルがちょっと心細げなのが気になるが、心配せずとも、このあと彼らは鬼が島へ渡って殺戮と略奪の限りを尽くしてくるのであるから放っといていい。それにしても、鬼の財宝はそもそも盗品なのだとしても、第三者がそれをさらに盗んでわがものとすることには窃盗罪が適用されるのではないか。というか強盗罪か。あと傷害罪とか。人でないものを殺害したことに「殺人罪」は適用できないかもしれないが、ともかく「めでたしめでたし」じゃないだろう、桃太郎よ。そういえば、イヌ・サル・キジをきびだんごひとつという低賃金で命懸けの事業に従事させるとは、労働基準法第5条「強制労働の禁止」に抵触しているというか、ヤミ金並みにアコギというか、薬物の使用も疑われるというか、もうダメだコイツ黒すぎ。


岡山の闇から目をそむけ、わたしは路面電車の走る大通りをてくてく歩く。


こんな店があった。



コンセプトがよくわからない。なにゆえに「大蔵省」と「通産省」なのか。あ、カラオケスナック「通産省」ってあれか、「通信カラオケ」か。(そうなのか?)


城が見えてきた。「白すぎ」、もとい「白鷺城」こと姫路城とは対照的に黒い岡山城は「烏城」と呼ばれている。門をくぐって天守閣へ。



なかなかいい。とはいえ、この城は昭和に再建された鉄筋コンクリート造り。ちょっと引きで見てみよう。



ココにご注目いただきたい。拡大してみる。




なんでしょうか、この国道沿いの民芸レストラン臭は。この看板はどうもいかん。天守だよ?


昭和の復元天守が軒並み鉄筋コンクリート造りで「風情がない」という意見はよく聞くけど、これは建築基準法で木造の大建築が規制されていたためで、そこは仕方ない。問題は復元の基本理念がちょっとアレだということなんじゃないかなあ。岡山城が焼失したのは昭和20年の空襲のためで、何百年も前に焼けた城と違って、外観の忠実な復元が困難ということはなかったはずなのだけど、どうせなら観光施設として利用しやすく、という思惑で、このように天守としてあるまじき下世話感を醸し出すことになってしまったかと想像するのだが。


ぜひ中の様子も見たい。怖いもの見たさというべきだろうけど。しかし後楽園も見たい。どっちかというと後楽園が見たい。「ビミョーなもの」(過去大阪城・名古屋城という二大昭和天守を見た経験から断言していいと思う)で今回の旅を終わらせていいのか。後楽園なら間違いないはず。なんせ日本三名園だから。いや、でもなあ・・・・・・


逡巡していたら、一人旅らしきお嬢さんに写真を頼まれる。縦位置と横位置で2枚撮ってカメラを返す際に再生して見せてあげたら「わあ、じょうず~」といわれ(わかってますって社交辞令ですわそれでもね)、気をよくする。気分よくなったのでこの気分を持続させるべく、ビミョーであることがほぼ間違いない岡山城は次回ゆっくり見るということにして、後楽園へ。


後楽園へは旭川を渡って行く。そこには懐かしの白鳥ボートが。



と思ったら、一羽あきらかに白鳥じゃないのがいる。・・・・・・ツル?


(続く)



(承前)


おのれの中二心を呪いつつ、山道を下る。



写真ではわかりにくいかもしれないが、こういう山道は上りより下りの方が難しい。ちゃんと足元を見ていないとけっこう危ないので、もうどこのお嬢さまかと思うほどしずしずと足を進め、天津神社へ向かった。


神社に隣接する空き地には、以前こんなものがあった。(この写真、撮影時期は不明だが、数年前に撮ったものと思われる)



が、今は撤去されていた。たいへん残念である。顔出しコレクターとしては、こうした「誰得」物件は、そもそも「誰得」であるがゆえになお一層、文化遺産として保護する努力を怠るべきではなく、関係各位には早急に対策をたてていただきたいと考えている。「誰得」なのはまあいいとして、この顔出しのキャプションには謎がある。「備前焼の歴史とともに一千年」の主体は何者かということだ。備前焼とともに一千年の歴史を歩んだ者とは、いったい誰なのか。このおじさんなのか。たしかにろくろについて備前焼とともにあるということはわかるのだが、このおじさんが一千年以上の歴史を有するとすれば、彼はもはやおじさんでないことは明白である。いや、おじいさんであるとかそういうことではない。人ではないということだ。神、なのか、この陶工は。もしやこの顔出しは、神と人との合一をはかる神器なのか。ならば撤去は神をも恐れぬ蛮行であるといわざるを得ない。ぜひとも再設置をと願うばかりである。


とかアホなこと考えてないで、先へ進もう。空き地を抜けて、石段を上ると神門が見える。18世紀に建造されたらしいこの神門の屋根は備前焼の瓦で葺いてあるのだ(神社そのものは15世紀以前に建立されたそうだ)。




参道には備前の陶板が敷きつめられていて、よい雰囲気。



隋神門には、こんな感じで備前がちょこんと。雰囲気のとてもよい神社。なのだが、なんだか手書き看板が多い。




この調子であっちこっちにある。格言的なものもあれば、そうでないものも。「はい!」というだけのシンプルなものもあった(上の神門の写真の右下あたりに写っている)。で、この「できた」ってなんだろう。「来た時よりも美しく」「できた」ってことなのだろうか。


お参りを済ませて、駅へ向かうのに、ちょっと回り道をして不老川沿いを歩いてみた。風が吹けば涼しいけれど、まだまだ暑い日なので水際を歩いてみようと思ったのだ。これは橋の下。野の花も咲いてていい感じ。



見た感じはともかく、とくに涼しくはなかった。





イモムシもいた(苦手な方もいらっしゃるかと写真は小さ目にしておいたが、6~7cmはあった。お好きな方は拡大してどうぞ)。スズメガの幼虫だろうか。


ひこひこ歩くイモムシをぼんやり眺めていたら、電車の時間が迫っていた。1時間に1本なので、逃すわけにはいかない。いそいで駅に戻る。


さいわい間に合い、岡山行きに無事乗車。さて、岡山で何をしようか。やはりここは後楽園行っとくかな。


(続く)

休みのたびに雨が降るこの夏、18きっぷが使い切れないのではないかと危ぶんでいたのだが、某日、曇り時々晴れの予報が出たとて、行き先もなにも考えずに家を出た。いつも通りの無計画。


8時20分ごろに駅に着いた。最初に乗れそうな電車は姫路行き新快速。ということで西に行くことにした。姫路に着いて、すぐ乗り換え可能なのは赤穂線か。ならアレだ、春に行った日生で昼飯にしようではないか。そういえば、前回食べた「もやい茶屋」の並びに、同じく漁協直営の海鮮丼の店があったし、そこで食べるというのもよい。この前乗れなかった定期船で島めぐりするのもいいかも。今回は11時前には着くのだし。と、ここまで計画が立てられたら上出来ではないか。よしよし、きっといい旅になるわい。


乗り込んだ車両はかなり混んでいたが、次の駅で相当数の人が降りるので、無事空いた席に座ることができた。よしよし、幸先がいい。持参の文庫本を開く。そして意識を失う。まあいつものことではある。


気がついたら新大阪。それにしても聞こえてくる車内アナウンスがかなり独特。あえて文字で表すならば

「いめにゆにん、あんにゃいまぉん」

と表記するしかない。ネイティブ日本語スピーカーのわたしでさえ、既得情報と経験を総動員させて、やっとこさその「いめにゆにん、あんにゃいまぉん」が

「姫路行き、発車します」

であるとわかるほどなのであるから、これは日本語初学者が耳にすることがあれば、著しく自信を失わせることになりはしないだろうかと、起こってもいないことを心配せずにはいられないほどに破天荒なものであったとご理解いただければ幸甚です。

そんな愉快な電車に揺られること1時間40分、終点の姫路が近づいてきた。大天守保存修理中の姫路城が見えてきた。この前通った時にはまだ覆いがあったのだけど、それはもうはずされていて・・・・・・白い。ちょっとびっくりするくらい白い。びっくりして写真を撮り忘れたくらい白い。いやそういう理由じゃなくてカメラが間に合わなかっただけで、あんなに白いと知っていたら、準備していたのにと悔しがるほどに白い。とにかく白い。あとで調べたら「白すぎ城」と呼ばれているとか、だれが言い出したのかしらんけど、うまいやないか。


姫路では赤穂線への乗り換え時間が1分なので、写真を撮っている暇がなかった。次回に期待ということにして、さっさと乗り換えて、日生に向かうことに。家を出た時には晴れていた空が、どんよりしてきた。やはり島めぐりはからっと晴れた日にしたいので、日生では昼飯を食べるだけにして、岡山方面へ行こうじゃないかと決める。


播州赤穂駅で岡山行きに乗り、11時前に日生着。さっそく五味の市へ。


閑散としている。よく考えたら、水曜日って全国の市場が休みなんで、魚の水揚げが少ない日じゃなかったか。そういう理由なのかどうか知らないけど、鮮魚を売っている店はない。



空っぽの展示台の下、猫も寝るしかないという。


観光案内所でもらってきたまち歩きマップに「撮影スポット」と書かれていた裏手に回ってみる。





(海の写真を撮らずにこんなもんばかり撮っていたことに、帰ってから気づく)


表ではこんなの売ってた。




実用品として売られているわけではなかろう(使用済みだし、高価すぎる)。備前焼なのだろうか。と思ったら、備前の里へ行ってみたくなったので、次の目的地を伊部に決め、昼飯にしようと「日生のどんぶり屋」へ。

行ってみたらそこは水・木定休であった。まあしかたないので、春に行った「もやい茶屋」へ。前回確かめてはいなかったのだが、ここは月・火が定休日。交代で営業しているのだろうか。今回は穴子丼を選んだが、おなじ漁協経営の「どんぶり屋」が別にあるのだから、なにもわざわざここで丼を食べなくてもよかろうと気づいたのは、食券を買ってからのことであった。穴子丼は可もなく不可もなく、いや全体的に味付けが濃い。丼に、切り干し大根煮と大根なます(大根がかぶっている)とわかめの味噌汁、それにたくあんがついてて、どれも濃い目の味でのどが渇く。店を出て自販機で水を買い、伊部を目指す。


伊部は二年前にも、なんの目的もなく訪れたのだった。(前回の記事→「西へ行ってみた」

そのときは、せっかく来たのだから、前から欲しいと思っていた備前の徳利でも見ようか、と思ったのだけど、子どものこづかい程度の金しかもってなくて購入はあきらめたのだった。ま、当然というべきか、お財布状況はあのときとさして変わってはいない。しかし今回のわたしはひと味ちがう。コンデジを所持しているのである。あの展望台を再び訪れてみるのもよいではないか。と、ギャラリーはひやかすにとどめ、忌部神社へと向かった。ここへきて、いい感じに晴れてきた。



登り口はこんな感じ。けっこう急な坂。



あちこちにこんな看板が。ほかにも「木を勝手に切るな」とかその手の看板が林立している。無法地帯なのか、ここは。


神社にお参りして、展望台へ。例の道はこの通り、あいかわらずずんべらぼんである。



上のほうにちょろっと見えてるのが、目的地。


これね。これがアレです。



どうです。いや、物干し台ではなく。わたしが日本一愛している展望台なのだ。へんな鐘とか作ってファンシーな方向へ走ったりなどしない、剛毅なまでに潔い構え。というかそもそも人を呼ぼうという色気がまったく感じられないのだが、それは展望台としてはどうなのか。大丈夫か。道くらい整備したらいいのにと思わないでもないが、もしかしたらこの険しい道は、こちらの意志の強さを試しているのではないか。そして選ばれし者を待つのは、言語を絶する崇高なヴィジョンなのではないかなどとあらぬ想像をめぐらせてしまうのである。いざ。



そこからの眺望は



そんな中二マインドを軽くぶちのめしてくれるのであった。


(続く)