ちと遅くなりましたが美術展のことなど 3―「マウリッツハイス美術館展」編(後) | No Fixed Abode
(承前)

第4章「肖像画とトローニー」

いよいよ本展示の目玉、ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」の部屋。この小さな作品一作に一室が充てられている。豪勢だ。それでは、と一歩入るともう、うねうね蛇行する長い長い長い列ができている。そしてこう書かれた看板。ああ、合理主義。

     最前列でご覧になりたい方: 少しずつ移動しながらです
     並ばずにご覧になりたい方: 遠目で肩越しからです


なんかどっちもどっちで。まあ一応近くで見るかな、と並ぶことに。しかし遅々として進まない行列。わたしのすぐ前の小さい子が、長時間並ぶのに飽きたらしく、首にかけたイヤホンガイドをいじくりまわしている。場内が暗いため、そのバックライトが目を射る(あれ、けっこう迷惑だと思うんだけど。光量の調節ができるといいのに)。だんだん近づいてくるモノを見ながら連れが、「オランダで見たときは、こんな人並んでへんかったで」という。

(そういえば彼は以前オランダ・ベルギーを旅して、マウリッツハイス美術館やらゴッホ美術館やら、ゲントの「神秘の小羊」やらを見てきたのだった。このときもらった土産がまた突拍子もないもので、ご紹介したいのだが、長くなるのでやめる)

わたしはこの作品を見るのは2度目だが、前回天王寺の大阪市立美術館で見たときもこんな感じだった。

(当時はまだ天王寺名物青空カラオケが健在であった。これについても書きたいが、関係ないのでやめる)

(ついでにいえば、わたしが前回見たのもこの友人とであった。学生時代からのつきあいなので、この縁はもう腐っている。それはともかく、連れはこの作品を見るのが都合3度目だというのに、最初に天王寺で見たことをこれっぽっちも覚えていないのであった。「フェルメールとその時代展」に行ったことは覚えているが、「真珠の耳飾りの少女」を見たことを忘れている。この作品に執着のない日本人もいるわけだ、ともいえるのだが、けっこう大事件であったこの展示を忘れているというのはどういうものだろう。待つのに飽き飽きしている我々の間で、この話題はかなりの盛り上がりをみせたのだが、収拾つかなくなるのでやめる)


「まあ日本人、フェルメール好きやからなあ」のひとことで片づけておこうかと思ったが、こういう状況があまり好きではなく、この絵自体も実をいうとそれほど好きではないので、「でも有難がりすぎ。それと、勿体つけすぎ」と、ついいらぬことをいってしまい、フォローのつもりか「アレだ、あの、ラーメン屋とかで、つい行列できてるほうに並んでしまうという人間の心理をうまく利用したマーケティング戦略」と、話をさらにわけわからん方向に持っていこうとするので、軽くたしなめられる。

さて、モノがゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。すでにわたしはこの状況にゲンナリしているが、並んでしまったものはしかたない、あきらめてゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり歩く。ゆっくり、ゆっくり。そしていよいよ絵の前へ。

$No Fixed Abode


ここに至って、すでにゲップが出そうな状態である。あやうく、あ、もう結構ですごちそうさまでしたと口走るところであった。引っ張られすぎて飽きるというアレである。そして止まると叱られるので、ゆっくり、ゆっくり、通り過ぎながら鑑賞。皆がじわじわ動きながら食い入るように絵を見つめているという、この馬鹿げた状況がなんだか矢鱈に面白くなってきて、つい笑ってしまった。そうだ、わたしはにらめっこで勝てたためしがない。そんなことはどうでもいい。

実はわたしには、フェルメールの絵を見て感情的になにごとかが起こったという経験がない。光の扱いがうまいなあ、とは思う。だからこの絵よりもむしろ「天秤を持つ女」なんかのほうが好きだ。実物を見たことはないけども。

$No Fixed Abode


さて絵の前をじわじわ通り過ぎ、せっかくだから「遠目で肩越し」にも見てみようかと、途切れることなくじわじわ動く列の後ろに回る。・・・・・・遠目だろうと肩越しだろうと、やっぱり立ち止まって見るほうがいい。

さ、その部屋を出ると、フランス・ハルスやらレンブラント・ファン・レインやらがどかどか掛かっている部屋である。ここでのお気に入りはフランス・ハルスの作品。有名な「笑う少年」もあるが、それよりコレが好きだなあ。

「ヤーコプ・オリーカンの肖像」

$No Fixed Abode


「アレッタ・ハーネマンスの肖像」

$No Fixed Abode


夫婦の肖像。実際見るとわかるんだけど、筆がすごく早い。ほれぼれするほど。だからといってぞんざいな感じはまったくしない。迷いがなくて、達者。シビレたね。


第5章「静物画」

ここもなかなか見ものが。ピーテル・クラースゾーンの「ヴァニタスの静物」もよろしかったけど、お気に入りは、これ。

カレル・ファブリティウスの「ごしきひわ」

$No Fixed Abode


小さな作品。その小ささもいい。たまご色の壁に小鳥。こういう愛らしさ、もうただただ好きなんだなあ。しかし見てるときは気づかなかったけど、これは「静物画」というジャンルわけでいいのだろうか?


第6章「風俗画」

この部屋もピーテル・デ・ホーホやヤン・ステーンなど見ものが多かったけど、やはりこれでしょう。贔屓の画家、ヘラルト・テル・ボルフの「手紙を書く女」。

$No Fixed Abode


もう、ほんと好き、テル・ボルフ。一昨年の豊田市美術館での展示(「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」)でも、わたしはテル・ボルフの「ワインを飲む女」ばかり見ていた。同年の京都市美術館での展示(「フェルメールからのラブレター展」)でも、わたしはテル・ボルフの「眠る兵士とワインを飲む女」ばかり見ていた。
さて、「手紙を書く女」。筆さばきの緻密なこと。そして、光。色からいって自然光なんだろうけど、スポットライトのように当たる光で、女性が暗い室内から浮かび上がるように描かれ、手紙(恋文ですね)を書くのに没頭しているさまを印象づける。その一所懸命さ、いじらしさまでをも浮かび上がらせる光。フェルメールの、窓から入る自然な光がつくる室内の陰影も美しいが、こういう、いわば物語に奉仕する光というのも、気楽に絵に身を預けることができて、心地よいものだなあ、などと思う。

ああ、そういえば、「ラブレター展」のメインのフェルメールに同じタイトルの絵があった(「ついで」で思い出すなよ)。

フェルメールの「手紙を書く女」

$No Fixed Abode


こちらも(「も」ってことはないだろう)いい絵。この陰影、光のやわらかさはさすがに他にない。ビクトル・エリセの映画『エル・スール』の冒頭を彷彿・・・・・・いや、逆か、普通は。うーん、どうもフェルメールのことを書くときに、屈託があるなあ。いかんなあ。昔から「みんなが」好きなものには背を向けたがるクセがあるんだな。だから(かどうかは知らないが)わたしがほしい絵のポストカードはいつも売ってないわけで。テル・ボルフの「手紙を書く女」のポストカードも、当然のごとく売ってなかったのであった。

会場を出てグッズ売場へ。「手紙を書く女」はなかったけど、「漂白場のあるハールレムの風景」、「ごしきひわ」、ピーテル・デ・ホーホの「デルフトの中庭」のポストカードを購入。「真珠の耳飾りの少女」もいちおう買ってやっ、もとい、購入。(観光地の土産物屋によくある、「○○に行ってきました」というサブレ的な・・・・・・いえ、なんでもありません)

ここが賑わってましたね。

$No Fixed Abode


「真珠の耳飾りの少女」なりきりセット(勝手に命名)。
結構長いこと見ていたが、見返って撮っている人がいないどころかピースする人まで出る始末。

そのあとは常設展示の縄文・弥生を体験できる展示室で、埴輪は触りたおすわ銅鐸鳴らして子供に呆れた目で見られるわ、中年ふたりで何やってんだかの後、神戸に行った際には必ず寄る飲み屋で一杯。

ご注文は?
友人「エビス生ふたつ。それと枝豆」
わたし「若いかの沖漬け」
友人「おでん盛り合わせ」
わたし「串かつの、茄子とうずら卵とイカ、2本ずつ」
友人「あ、串かつのポーク、これは1本」
わたし「串焼きの、しし唐とイカげそ、2本ずつ」
友人「串焼きのラム1本」
わたし「たこから揚げ。とりあえず、そんなもんで」
友人「・・・・・・おまえイカばっかりやんけ!」
わたし「・・・・・・ホンマやな」

欲望にまかせて注文していたら、イカタコづくしになった模様。すし屋での流れは「かっぱ巻き→げそ→ひらめ→いか→納豆巻き→あおりいか姿→鯵→生だこ→あなご→げそ→かっぱ巻き→お勘定!」というわたしなので許してほしい。回らないところには数えるほどしか行ったことがないが、この偏食っぷりが理由であるわけでは特にない。  

$No Fixed Abode


                                       (山口華楊 「いか」)

閑話休題。

方向音痴(2013年の目標は「地図をちゃんと読む」だそうだ)はともかくとして、彼はインテリなもんで、最初はアメリカの反知性主義の伝統について、イカタコをほおばりつつ語っていたのだが、まあ相手がわたしだから仕方ない、そのうちトゥイステッド・シスターは反知性主義の犠牲になったんじゃないか、なんてハナシになってしまった。ゲテモノ的なメイクして "We're right, we're free, we'll fight, you'll see!" と「権威にNo!」のロックやってたうちはよかったのに、シャングリラスをカヴァーしたり、上院での歌詞検閲制度に関する公聴会やTV討論会に、ヴォーカルのディー・スナイダーがフランク・ザッパやジョン・デンヴァーとともに出席して論陣張ったりと、実は教養あるしアタマいいんだぜ、ってとこ見せたらテキメンにダメになってしまった(ような気がする)トゥイステッド・シスター(レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンのトム・モレロがハーヴァード時代に聴きに行ってたなど、インテリ受けするバンドではあったけどね)。そういえば「ユー・リアリー・ガット・ミー」でぐるんぐるん腰振ったり、「頭の中にはエロ以外ありませーん」みたいなフリして『1984』を大ヒットさせたあと、ソロでビーチ・ボーイズをカヴァーしたデイヴィッド・リー・ロスもそうだけど、ちょっと教養あるとこ見せたら、総スカン食うよなー、むしろ聴衆のためにやってたのになー、なんてね。もちろん無責任な放言だけど。



オトーサン役の人、熱演だなあ。肺活量すごいんだろうなあ。





内臓がどうかならないだろうか。





おまけ(笑)。コレけっこう好き。