生物還元物質「植物マグマ」の無限のパワー⑤

 

 

第4章 人間にとって毒とは何ぞや


1. 毒の字の持つ意味
国語の時点では「毒」とは、健康や生命に害のあるもの(こと)が書かれている

 毒という字を分析すると、下の「毋」はすることなかれで、否定を表す。上は土に一が余分にあり、土に余計なものが混ざっていたりするもの、あるいは土にクサカンムリが一つ足りない十で正常なクサ(十十)ではない植物がはえたもの、つまり異常なものが毒の原点ではなかろうか。生体は健康に適応したものを食べて、生命活動をしたいのだが、体に有害作用をもたらすものを全く入れずに、長い一生を平穏無事に暮らすことなど出来るはずが無いのは言うまでも無いことである。しかし、私たちは毒に対する一般的な認識としてどのように持っているかと言えば、食べたり、塗ったりしてすぐに症状や反応が生じなければ、とりあえず大丈夫だろうという安心感が頭を支配する。そして、疑ってかかるという危険予知が消え去ってしまう非常に悪い習慣・習性が身についてしまっている。それでも近年は長期間の摂取で体が蝕まれ、ボロボロになってしまったアスベストによる肺癌、鉛、水銀、カドミウム、マンガンなどの重金属中毒などは、人類にとって最悪ともいえる有毒事件ではあるが、貴重な体験でもあった。

 こうした過去の犠牲から、化学物質の本性が白日のもとに暴かれたのだから、この教訓を生かさなければ犠牲者は浮かばれない。でも人類は懲りずにすぐ毒性が生じないものに対して気を許し、少量なら問題ないだろうというような安易な気持ちで化学物質と付き合っている。人間とは、本当に学習能力の欠如した動物ではないか。

 毒の字がついた法律に「毒物及び劇物取締法」があり、医薬品、医学部外品を除く農薬、工業薬品等の日常流通する化学物質のうち、毒性の強いものを指定し、毒物と劇物を分けて規制している。さて、皆さんは毒物と劇物の違いが分かりますかな。


2. 毒物と劇物、どっちが毒性が強いの

 毒物と劇物、どっちが強い毒をもっていると思いますか?

 よく道路を走っているタンクローリーに、「毒」とか「劇」とか書かれているのを目にすることがおありのことと思いますが、では、毒物と劇物はどんな違いがあるのだろうか。当然、これらの化学物質の取り扱い責任者の試験を受けている方なら知っているのが当たり前でしょうが、それ以外の人にはあまり知る必要が無いのかもしれないが、一つの知識として覚えておかれるのもよいのではないだろうか。

 人体への有害作用の強弱を極める試験方法の一つに、一回だけ食べさせたり、ある時間だけ、一定量、あるいは一定濃度の化学物質を吸わせるなどして、一定期間内に死亡するか否かで毒性の強さを決めるLD50値、LC50値という急性毒性試験がある。このLD50値が30mg/kg体重以下の化学物質を毒物、30〜300mg/kg体重が劇物として指定されている。これは何を意味するかといえば、一回の経口摂取が、体重1kg当たり30mg以下で半数が死ぬ量を表している。つまり、体重50kgの人だったら、30mg×50=1500mg=1.5g 食べると、100人のうち半数の50人が死ぬ量をあらわす。強烈な急性毒性を示す代表である青酸カリなどは毒物に指定されている。劇物は30〜300mgの範囲であるから、毒物から見ると急性毒性は弱いことになる。つまり、急性の死亡毒性だけを見れば毒物は劇物より毒性が強し、ということになる。

 しかし、これはあくまでも一回の投与なので一回では死なないが、繰り返しの投与で悲惨な毒性症状を呈する物質は沢山あり、むしろ、これらのほうが恐ろしい。さらに、もっともっと低い濃度で全く無反応でありながら、次世代以降に中毒症状が生じるようなものはもっと始末が悪い。


第5章 健康にとって野生は味方、合成は敵


 今、私たちに最も欠けていることは、土とか水、空気、そして自然界に勝手気ままに生息している生き物に目を向けていないことである。人類は彼等がいなければ自分たちは成り立っていかないのだという自然の摂理をしっかりと認識しなければ生命体の未来は暗いと言わざるを得ない。

 衣、食、住その他、何でも人工化、化学的に作られた世界にどっぷりと浸っている文明諸国の人々にとって、自然界などには、ほとんど眼中にはない。だから、人工化したものの怖さを知らずに無知のまま平気で、使って体に入れている。

 私は本文の中で、人工化の怖さを嫌というほど話していきたい。それも、何十年も前に私が体験してきたこと、危険だとわかっていたことが、今ではもっとひどい状態になっているようなので、有害物質の現場から離れて30年が経つのに、未だにこの世界では時間が止まっているようで進歩がない。いや、もっと悪い方向に進んでいるのかもしれない。それは言いすぎだと言われるかもしれないが、早く時計を動かして、止まっている時間を正常化する必要に迫られていると感じているのは、私だけではないはずである。

何十億年もかかって作り上げてきた地球の表面の生命の土をないがしろにして、地中深くから希少な鉱物を取り出すために、堀り起こし、目的とするものをとったら、それ以外の膨大な地中の無生物土壌を大切な生物の産物の土の上に積み上げていく。この地中の残渣には生命活動を支えているものなどはあまりないので、その地域は生命活動に悪影響を与える毒が、逆に出現するなどの問題が過去にいくたびも生じている。足尾、別子、佐賀関など日本のあまたの鉱山の鉱毒問題などはその最たる例である。

 パンドラの箱とはあるがままのこれまでの状態から、その奥底に隠され、封印されていたものを引き出してしまったことで、状況が一変したことを指す。現代生活などはまさにパンドラの箱が開きっぱなしで、地中深くのものは引っ張り出すわ、大空の果ての地球を覆っているオゾン層という防御壁も壊しにかかって、宇宙の有害な光線やエネルギーがこの穴から吹き込むなど、人間はやりたい放題の環境破壊をして、自然と人間とを遠ざけている。


1. 化学物質に打ち勝つものは野生生物が最適だ

 人類は化学物質を作ることは出来たが、生命体だけはどうしても作ることが出来なかった。つまり、生命体を合成することは不可能なのである。もし、生命の合成が可能になれば、人類は永遠に生き続けることも出来るかもしれない。しかし、どんなに科学が進歩しても、生命だけは作れない。これはまさに神の領域だからであろう。

 とするならば、人間の英知をもってしても作ることの出来ない神の領域が創造した生命体を使えば、化学物質など必要としない生活が可能になるのではないだろうか。

 さらに、化学物質の持っている有毒作用をも無毒化できるはずである。つまり、自然界に勝手気ままに生息する生命体のうち、キーマンとなっている植物をターゲットにすれば合成化の世の中に対抗する武器作りができる可能性は高いという可能性に到達した。


2. 化学物質と生命体との接点は何だ

 化学物質の構成成分は、地球上に人間が作り出した、もうこれ以上小さく出来ない、単一物質である元素の集合体であり、これが原子間を結合させている電子の存在によって物質が形成されている。しかし、電子が存在しなくなれば、物質としての存在もなくなる。

 生命体も原子の結合した集合体であり、当然のことながら、電子の存在で成り立っている。それ故、原子間の結合に携わっている電子が生命体から抜き取られると、生体は劣化したり、異変が生じて不具合が生じ、病気へと向かうことになる。物体も生体も共通しているのは、構成成分が原子であることと電子の存在が不可欠である。


3. 野生植物から有機結合体を除去すれば、生体に有害作用は生じない

 野生生物は自分を防御するための手段として有害成分を含有しているものがある。又、毒はなくてもトゲを持っていたり、アクがあるとか、さまざまな自己防御方法を備えている。

 我々のご先祖様は幾多の犠牲のもとに、食べられる生き物と、毒があって食べられないものを区分けすることを伝えてきた。しかし、キノコでも、見分けのつかないものがあり、今でも死亡者や中毒者が毎年出ている。また、高麗人参に似た毒人参もあり、水仙とニラを間違えて出荷して、中毒事故を招いたこともあった。

 かように自然界のものには、一つ間違えるとトリカブトのようにとんでもない毒性をもっているものもあるので、化学物質に対抗する無毒な物質作りの原料選びには細心の注意を払わなければならない。

 しかし、植物原料の選択は全く必要がなく、どんな植物でもかまわないという発想でないと化学物質に対抗するものとして、広く普及することは出来ない。要するに植物から毒性となる元素を除去してしまえばどんな植物でも利用できるのである。勿論、繁殖力旺盛の植物の方が採取がしやすく、又、生命エネルギーも高いことから、より良いとは思うが、本来はどんな植物でもかまわない。ただし、一種類ではなく、海のもの、陸のものなど、バラエティに富んだ多種類の方が良いのは当然である。

 生命体は有機結合体であり、水素、酸素、炭素、窒素の4元素で95%を占め、それ以外の100種類あまりの元素は無機質(ミネラル)と呼ばれ、数%しか存在していない。

 生物の毒性部分の大部分を受け持つのが、水素、炭素、酸素、窒素で、この原子間の結合に携わっている電子間の結合にくさびを入れることによって、この4原子がバラバラになる処理を行い、生命体を無機元素体に加工してしまえば、限りなく無毒になる。植物はもともと毒さえなければ食べられるものである。

 古来より、人類は植物を生命活動のために食べてきた。それ故、生命無機元素体(Bio Inorganic Elements)として摂取しても生命体には異物とはならない。これが化学物質とは決定的に異なる点である。


4. 人類の真の救世主は雑草、雑木、そして海の雑草木、つまり海藻類である

 名も無く、強く、たくましく自然界に根を張り、勝手気ままに自生している植物に対して、文明人は邪魔者扱いして、庭に生えていると根っこから引っこ抜いたり、刈り取ったり、もっとひどいのは除草剤などの薬品をまいて、根から枯したりと、ひどい仕打ちをしてきた。

 誰も雑草木を大切にしようなどとは思っていないのに、雑草木は毎年同じ場所に生えてくる。人間など手を入れなくとも、逞しく自分で生きているので、その能力には栽培したものと比べて大変な違いがある。この違いが、人類にとって健康に大きな影響を与えてくれている。

 作物と野生植物の主要なミネラルの分布を見れば一目瞭然で、表5-4-1を見てもお分かりのように、雑草木では、カルシウム、ケイ素、カリウムが拮抗して多いが、作物、つまり作られたものは、カリウムが圧倒的に多く、次いでリン、マグネシウム、そしてカルシウムとなっている。

 この作物のミネラルの分析は、女子栄養大学が分析調査したものを参考にさせていただいたが、ケイ素が測定されていないので、私が稲ワラで調べたところ、カリウムの2倍も多いことが分かり、これを参考にすると、作物は大地に最も多いケイ素が多く、さらに化学肥料のミネラル分布になっていることは疑う余地がない。

 ところが、雑草木は自分の体に必要なものを勝手に吸収していることが手にとるようにわかる。そのバランス生体のミネラルバランスと共通しているのである。

 それは人類が植物を中心に食してきたからに他ならない。

 こうした背景のものに私は野生植物を化学物資の毒消し、毒出し、そして、取って変わるものの武器作りの原料に選んだ次第である。では、何故、野生動物は使わないのかといえば、水俣病でも分かるように動物は植物に比べて化学物質の拒否能力が高くないこと。たとえ、野生であっても人工毒の影響を受けてしまいやすいのと、動物は植物が存在しなければ生きていけないこと。つまり、植物は動物にとっての生命線なのである。それ故、私は野生植物が私たちにとって真の救世主であると考えた。


表5-4-1 

野生植物と栽培作物中の主要な元素バランスの差異





野生植物、栽培作物中のカルシウムの指数はすべて1.000であり、この指数をもとに各植物の元素バランスを見ると、野生植物はカルシウムを最も多く含有し、次いで、ケイ素、カリウムとなり、作物はカリウム、リン、ケイ素が多く、カルシウムはかなり低いレベルである。しかし、稲わらはケイ素が最も多く、大地に圧倒的に多い元素を必然的に吸収さられている。
玄米、小麦、その他の野菜、果物は残念ながら、ケイ素の判定が無いが、カリウム、リン、マグネシウムがかなり多く、カルシウムが少ないことが特徴的で、化学肥料のバランスの影響が、はっきりと現れた結果を示している。作物は作られた物と書くが、まさにその通りで、野生植物とは全く異なっている。

 

 

 

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