
こんばんは、今日は朝から電車で出掛けていたのですが、
駅で何やら署名をしていましてね、何かと思って寄ってみると、
『○○麻痺(度忘れ)の○○ちゃんを普通学級に通わせたい』
こんな感じの集団でしたね。
電動車いすに座る子供がそうなのだと思うのですが
どう無理しても普通学級は無理だと思いましたね。
そこで無言で立ち去る事に・・・
したのですが、協力者の人間に捕まってしまいました。
ぜひ署名を!
そう言うのですが、気が進みませんので
済みませんが・・・とやんわりと拒絶したところ
こんなにがんばっているのにやさしさは無いのか
見たいな事を言われカチンと来てしまいました
現場ではちょっと口が悪い言い方をしたのですが、
その時言ったことを書いて見ます。
普通学級に付いて行けないのに無理やり通わせるのは優しさなのか?
回りの助けが必要だと判っているのに『普通』にこだわる理由は何か
助けが必要と言うのは『迷惑』だとは思わないのか
『迷惑』を押し付ける事になんら抵抗は無いのか
特別学級は避難もしやすいところに設置されるが、
普通教室で上階に配置された時有事の際の避難の困難さは理解しているのか
『普通』だと教えながら育てるのは良いが、いずれ違う事に気が付く時どうフォローするのか
『普通』と『特別』扱いを同時に望むのは矛盾しているとは思わないのか
こんなところでしょうか・・・
もっといろいろ言った様な気もするのですが
こんな時に限ってICレコーダー忘れるなんて・・・
まぁそんな事はどうでも良いのですが、
なんにしても、無理して普通学級に入れても誰も幸せになれ無いと思うのですよね。
障害を持つ子供に対して他の児童への説明も難しいですし、
○○ちゃん係みたいなのを作ると言う話も出ましたが
それって飼育係の生き物とか教材や資料としての扱いなんじゃないかと、
それは『普通』では無いですよね?
その点特別学級や養護学校ならそういった扱いのプロが配置されていることでしょう
そして、周囲も近い症例の人が集まっていて
そこのコミュニティでは『普通』でいられるのでは無いでしょうか。
結局いくら話しても平行線だったので立ち去ったのですが
その後いくら考えても普通学級に通わせて良い事が在るとは思えませんでしたね
良くて介護や福祉の良い教材として超特別扱いされて
自助努力の精神を育むことなく卒業という事になるでしょう、
その後の人生にそれは、
いや、他の生徒には良い勉強であり経験も詰めるので良い事なのですが、
本人はきっとその後のギャップにストレスを感じるのでは無いでしょうか。
私は冷たい人間なのでしょうか・・・
あなたはどう考えますか?
それではまた。