先ずは、こう語りかけたく思い、プログを立ち上げたのが3月31日。「博士のランダムノート」だった。
「足元から」はすべての「基本」。日本人として足場(あしば)、つまり、誇りと自信、信念をしかと持っていれば、変化激しい国際社会の流れに目と思考を奪われることはない。相手の話を懐(ふところ)深く聴き取ることができるし、言うべき意見も堂々と示すことができる。
政治家に少なくない無様(ぶざま)な姿をみるとわかる。ヘラヘラと薄ら笑みを浮かべて、明々後日(しあさって)の方向や通訳ばかりをうつろに見て、相手の目を見て話そうとしない。無難に終えることばかりを考えて、意味も考えずに「YES」を連発する。「腰抜け外交」「土下座外交」と揶揄(やゆ)されて来た所以(ゆえん)がそこにある。
ここ数年、特定アジアでは「反日」の政治利用が盛んになって来た。わが国の国旗を踏みつけ、燃やす姿もメディアを通じて報じられている。これは、どう理由をつけても「国辱」に他ならない。その国辱に対してクレームひとつつけられない政治家や、国費を遣って渡航し、わざわざ「反日デモ」に無断参加した議員もいる。これを「国賊(こくぞく)」といわずして何というべきか。
国を一軒の家にたとえてみたい。「国旗」はその家の「表札」、隣家との間を区切る垣根は「国境」、「領海」、「領空」に等しい。そして「玄関」の「鍵」が「防衛」といえよう。
考えてみてほしい。たとえば、あなたのお家の「表札」を隣人らが度々(たびたび)燃やす。そんな暴挙(ぼうきょ)にでれば、あなたはどういう気持ちがするだろうか?腰抜け政治家たちのように、薄ら笑みを浮かべて「ハイ、ハイ」と応えるのだろうか?
もうひとつ考えてみてほしい。「玄関」に「鍵」は不要なのだろうか?どこかの亡国政党が「非武装中立」を唱えて久しいが、その理屈からすれば、「玄関に鍵は要らない」というに等しい詭弁(きべん)である。まして、隣家がどこも「鍵」をしっかりかけている状況にあってだ。
世界地図の中の「極東」を見てみよう。わが日本と「目と鼻の先」に位置する国々はいずれも強大な軍事力を保有している。さらに、今日の国際世論を巻き込もうかとしている領土問題が深刻化している。「玄関」に「鍵」もかけずに、ドアや窓を開けっ放しで留守にできるような状況ではなおさらなくなっている。
こうした状況を踏まえた上で、次回からは各論に少しずつ掘り下げてまいりたい。
このブログは、筆者と読者のみなさんの談話室である。「博士の独り言」と連動しつつ、筆者から1つずつテーマを提案させていただき、みなさんと共に記事を作ってまいりたい。