生きるを学んだ「スターシャ死亡編」 | 笑顔でも顰め面でも「一日」は24時間

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今日は朝早く起きて洗濯を済ませて…





こちらへ❗




ほぼ満席状態で…




こちらに乗艦❗❗❗
(知っている顔が沢山いらしたと思いますが、殆んど見つけられずにすみません💦)



 スターシャ死亡編のオリジナル…

 




わたくしはDVDに特典映像で(一部再編集されて)部分的に入っているものしか観た事がないので、本編として、オリジナルの台詞で観るのはお初でした。




通称「スターシャ死亡編」である1977年初公開版ですが、観終わったと後に感じたのは「生きる事」でした。以降は個人的に、現在の年齢だから感じた事だと思いますが…




この映画自体は半世紀近く前に創られました。当時は無かった物も、文明の進化と共に現在には多々あります。




ですが、当時も現在も共通しているのは「命には期限がある」ということ。




本編では、スターシャが既に他界されているにも係わらず、ヤマトがイスカンダルに到着された時にはスターシャの声で温度などの案内があり、マザータウンに古代君達を連れて行く自動乗り物(❓)が出て来て、スターシャのホログラムまで案内します。




スターシャ(ホログラム)も、生きているかの様に質疑応答し、コスモクリーナーDは、待っていたかの様にヤマトに積み込まれて行きます。




イスカンダルの科学はそこまで進化をしていたのです。




でも、それらをもってしても、イスカンダル星とイスカンダル人の寿命をどうこうするまでにはいかなかった。(他の星への移住は他の星の人に迷惑を掛けたくないという気持ちだからしなかったにしてもです)




だから、スターシャは、まだ未来への可能性のある地球人を救った。人には決して不死はないけれど、だからこそ現在を「生きてほしい」から。




そんなふうに考えさせられました。




やはり名作は、時が流れて時代が変わっても私達に伝えるものを持っている…そう痛感した年末年始休暇初日の昼でした…




大きな画面で観る機会をいただき、関係者の皆様には心からの感謝を申し上げます…✨✨✨