お見送り | うみまるくんに出会う旅

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義母の葬儀を終えました。

中々葬儀が出せないままの日が続きました。

被災地・石川にとどまらず、全国的傾向なのでしょう。

亡くなってすぐ手配を始め、義母を高岡から金沢へ移すところから始めました。

でも、火葬場の空きが来た時には、もう初七日が来るところでした。

 

 

 

葬儀の際、義父が挨拶の中で

「妻と家に帰りたかった。」

と言いました。

その家も、お仏壇も、義母が永眠するはずだったお墓も地震ですべて奪われました。

今、義母の遺骨は我が家でお祀りしています。

 

 

 

九州から戻ってきた義弟がお通夜前日

「親父に輪島の家を見せたい。お墓も確認して来る。」

と言いだして、雪の舞う中輪島へ義父を同行しました。

そこで、義父は残酷な現実を見てしまいました。

今後、納骨までの段取りをどう進めるか、という話の中で義父が

「四十九日は輪島に帰って、できると思ったんだけどなぁ。」

とぽつんと言いました。

高齢の義父に判断を求めるのは残酷なように思えます。

 

 

 

 

私は結局よそ者で、輪島は相方が生まれた土地という以外、思い入れがない。

結婚当初から、町の過疎化は確実に進んでいました。

「長男だから、いずれここへ帰ってくるように。」

と亡くなった相方のおばあちゃんによく言われました。

でも、町には子供たちの同級生も数えるほどしかいない。

スーパーも病院も、本当に何もなくて・・・

それでも、まだ私も相方も若かった。

明日はどうにかなるかもしれない、と呑気に思っていました。

でも、過疎化は一度も止まらなかった上に、二度の地震が襲いました。

二度とも地震で家が壊れるような土地に、再度家は建てられません。

 

 

頑張ろう能登!

とか

頑張ろう石川!

と言うお決まりの言葉に安直に乗れるほど、もう私も相方も若くないです。

100歳まであと3年2か月の義父も、輪島以外の土地で残りの人生をゆっくり過ごせばいい。

・・・とすぱっ!と言えないのが、苦しいですが、さてどうしたものでしょうね。

もう、考えるのもイヤになりました。

 

 

 

 

いつもいいねをしていただいていた皆様のブログへのご訪問を、中断したままです。

月が替わったので、少しづつ再開しようと思います。

今朝、フォロワーさんのところからご訪問、拝読させていただきました。

中々追いつかないと思いますが、また楽しみに読ませていただきます。

ありがとうございました。