アンネがいたこの一年 | プラネタ旅日記

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児童書専門古本店プラネタ(無店舗)の管理人が細々~となにやら呟いております。大半は読書記録。時々頭の悪さと猫馬鹿具合を炸裂させてます。

ニーナ ラウプリヒ, Nina Rauprich, 松沢 あさか, 吉川 聡子
アンネがいたこの一年


内容(「BOOK」データベースより)
アンネの病気は、すっかりなおっているはずでした。クラスにもとけこんで、ザビーネとは大のなかよしでした。それなのに、アンネはいなくなりました。なぜなの?ザビーネの胸はその思いでいっぱいです。ひとは生まれて、いつか死ぬ。「でも、どうしてこのわたしだけがこんな病気にかかってしまったの?ものすごくこわいのよ。いまは元気だけれど、いつまた病気がぶりかえすかと、こわくてたまらないのよ」アンネはだれにもいえない気持ちを、聞いてもらいたかったのだ。もっと聞いてあげればよかった。けれどあのとき、わたしだってこわかった…。アンネがいた一年間を思い出しながら、ザビーネが書きつづる「アンネ」ノート。



死はとても厳粛で、親しい人であればあるほど、悲しみも大きいものです。
ザビーネの母親がアンネとの付き合いを少し嫌がったのも、保護者会が開かれたりしたのも、出来れば自分の子どもを悲しませたくない、「死」と言う恐ろしいものを知らせたくないと言う思いなんだろうな……。
と、そんなことに、読み終えてから気付きました。
読んでいる間はすっかりザビーネ視点なので、初めの内の母親の態度を疎ましく思ったりもしたのですが(笑)
死は誰にも平等に、必ず訪れるもの。
だけどその訪れ方は平等ではなくて、生まれたばかりの赤ん坊だって死んでしまうことがあるし、100歳を越える長寿で死ぬこともある。
病気や事故で死ぬことがあれば、災害などの犠牲になることがあるし、悪ければ、誰かの手によって命を断ち切られてしまうこともある。
生きている今、特にまだそんなに親しい人の死を迎えたことのない子供は、「死」がどんなことなのかよく分かっていない。
何となくは分かるっているけれど、「命を大切に!」とか言われても実感が湧かない。
そんなに突然に、この命が失われるわけがないと思っているからでしょうか。
死と向き合い、戦ってきた(戦っている)アンネと、祖母の死さえオブラートに包んだような経験しかしていないザビーネ。
どちらも極々普通の女の子です。
友達がいて、好きな人がいて、夢があって。
大切な友人の死を迎えたザビーネにはきっと、それまで持っていなかった感情が生まれたことでしょう。