~ドリプラに心を動かされた大人達の物語~


以前、夢のプロジェクトに本気で取り組んだ花屋雅貴さん。でも、そのプロジェクトは失敗。


夢破れたときに、夢を忘れずにいるために選んだ場所。


それがここ、ドリプラ。



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僕は携帯コンテンツの制作会社に勤めていた。どんどんサービスができて、どんどん会社も大きくなって、おかげで僕は部長にさせてもらえた。部下は社員、アルバイトも入れれば50人の部署を任されたこともある。


まだ30歳にもならない年齢だったけど、いろんな会社の偉い人に会うことができた。銀座の街でお酒を飲ませてもらったこともある。ハリウッドの映画会社とも話をしたし、サッカーワールドカップの企画にも携わった。


2007年2月、僕を育ててくれた5年半勤めたその会社を辞めて転職した。


モバイルゲームを作っている会社だ。


そもそも僕の社会人としてのキャリアはゲーム会社から始まった。というか、僕はゲームプログラマーになると決めていた。中学生のころにはそう周りに言っていた。


そして大学卒業後、大手ゲーム会社のゲームプログラマーとして採用された。そんな僕が、携帯業界に移り出世させてもらって部長と呼ばれることが普通になった頃、「もう一度物作りがしたい」「ゲーム作り楽しかったな」と思った。


会社のプロジェクトで出会った人にお酒の席でそんなことを言ってたら、「モバイルゲームの会社で取締役を探しているからどうか?」と言われた。


「えっ?」


家に帰って言われた会社のHPを見てみた。オーナーの名前を見て、


あれ?これってあの会社の社長だった人?


その名前は20年前の僕が好きで好きでたまらなったゲームを沢山作っていた会社の社長の名前だった。


そこからしばらくして、僕は六本木のオフィスの大きな会長室にいた。


「どうだ、やってみるか?」


これは運命だ…


「はい」


今がそのときに違いない…


僕はゲーム業界に戻ることになった。



僕は取締役の肩書と一緒に会社を移った。取締役だから「新しい事業の柱を作って会社に貢献すること」がミッション。


だけど、そこには部下はひとりもおらず。僕ひとりの部署だった。


それでも良かった。

もう一度ゲームに関われる。



そこで僕は「エコゲーフォレスト」という企画を立案する。ゲームをすればするだけ森を元気にできる。


エコをネタにしたゲームを無料で楽しんでもらう。広告収入が入ったらその一部を森林保護団体などのNPOに寄付する。バーチャルの世界で楽しめば楽しむだけリアルな森が元気になる。


時代もエコと言っている。


バーチャルからリアルへ。


ゲームと言う暇つぶしの時間が社会貢献の時間に変わる。


ワクワクした。


僕は全く畑違いの環境関連の団体にアクセスした。「ゲームかあ、面白いかもね」といろんな人が話を聞いてくれた。1年間で300枚の名刺を配った。無料の講演会で交換した名刺を頼りに、気付いたら上場会社の社長さんにプレゼンしていたなんてこともあった。


1ヵ月かけて作った事業計画書を持って取締役会で予算を承認してもらった。その予算で社内のラインも調整してミニゲームを10本だけ作ってもらえるようにしてもらった。世の中にはすでに100本以上が無料でできるサービスがあったけど、仕方ない。


相変わらず部下はいなかったけど、外部の開発会社と連携しつつ、企画、開発、提携先開拓、プロモーション、予算管理。社会人になって覚えたこと、全部をつぎ込んだ。新聞だって取り上げてくれた。



「できた」



2007年12月、僕はエコゲーフォレストをサービスインさせた。


2008年は新しい希望の1年になる…はずだった。



サービスを開始してプロモーションにもお金をかけた。だけど、思ったほどはユーザは集まらないし、思ったよりもすぐにやめてしまい会員数は伸びない。


取締役会で承認された予算はすぐに底をついた。


次の取締役会は居場所が無かった。



なんで?



小さなころからゲームが好きだった。海と山しかないような田舎から夢のゲーム業界を目指した。気付いたら、その夢を与えてくれた会社の社長だった人から声がかかった。


これは運命のはず。

今はダメでもきっとうまくいくに決まっている。


世の中の流れにものっている。沢山の人が良いねと言ってくれている。これまでこの会社が作っていたものとは違う切り口で新しい価値を付け加えている。新聞だって、ラジオだって取り上げてくれた。



僕はここにいていいはず。



2008年6月に新しい社長が就任した。僕は取締役では無くなった。


毎週の会議で「これはどうするの?」と言われていた会話が、「これはいつまでやるの?」という会話に変わり、社長と一緒に外出したときに「そろそろ他の案件やった方が良いんじゃないの?」と言われた。



「いや、だって、この企画は…」



ひとりしかいなくて、うまくいくか不安なとき、これでいいのか?と自問自答するとき、「大丈夫きっとうまくいく」と言い聞かせて、「がんばろう」と一歩前に進んで、「エコゲーが広がると緑が増える。きっと愉快ですよね」と話をしてきた。



そんな僕の想いや行動は「結果」という事実の前ではなにひとつ役に立たなかった。



僕は居場所を無くした。



2008年11月、僕は初めて次の転職先を決めないまま辞表を出した。子供はこの年の5月に生まれたばかりだった。


それは僕にとって夢のプロジェクトだった。


でも、うまくいかなかった。


子供の頃の夢と自分とつながったプロジェクトだった。


でも、うまくいかなかった。


何も持ってなくても想いだけで飛び込んだ。そして何人もの人に話を聞いてもらった。一人しかいなくても文句も言わずやった。


でも、うまくいかなかった。


夢は叶わないのかな。


2008年12月、ドリプラを見に行った。

エコゲーフォレストをやっていたときに渋谷で花を植えるボランティアをしている人に会いに行った。「ゲームをしたら渋谷に花が増えるって良いな」そんなことを思ってた。


その人が転職した先でドリプラというのをやっている。チケットを回してもらってビックサイトに観覧に行った。


それが僕とドリプラの出会い。


そして、社会人経験がちょうど干支を一回りする、2010年4月。次に勤めた会社もやめて、無職に。



そんな僕が2010年、2011年とドリプラのスタッフとして関わっている。


夢を語る人達を応援してたら、僕もまた夢を見れるときがくるかな?そう思いながら。


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「夢に挑戦する大人に、子どもは心を奪われる。」


ドリプラ本選は12月10日(土)、東京ドームシティホールにて。


チケットは私までメッセージ下さいませ。