今日は、保健省の我々のプロジェクト担当者の

お母さんのお葬式に行ってきました。


場所は私が住んでいるキスムから、

車で1時間弱北西に行ったところ。




途中の町。
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お芋とトマトを売っています。
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その後の町、ルアンダ。
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ルアンダのお店。
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舗装されていない道に入ります。
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15分ほど行って、

細い道に入りました。もうすぐ!
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着きました。

聖歌隊が歌っています。
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大勢の人が参列しています。
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全部で500~600人位いたような。
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お昼を頂きました。

真ん中にドン!とあるのは魚の頭。
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このお母さんは89歳と、ケニア人としてはかなり長生きされました。



9人の子供に恵まれましたが、9人目が生まれた頃に

旦那さんを亡くし、その後は一人で9人を育て上げたとのこと。



ケニアの乳幼児死亡率は1000人中78人(2003年)、

このニャンザ州はケニア国内でも保健指標が劣悪で、

乳幼児死亡率は1000人中133人(2003年)。


さらにマラリアやHIV感染が蔓延しています。

ニャンザ州のHIV感染率は約20%。叫び

5人に1人が感染しているわけですから、相当高い数値です。



そんな環境の中で9人の子供が栄養失調になることもなく、

全員が元気で、きちんと教育まで受けさせたのには、

感嘆します。



しかも正式に誰かに雇われたことはなく、

NGO等の援助は拒否したのに、

食べ物には困らなかったそう。



また、このお母さんはとっても寛容な人で、

困っている人が食べ物を求めてやってくると、

誰にでも食べ物を分け与えていたとか。


自分の家の最後の食糧まで与えていたそうです。



すごいですね。

一体どうやって食べ物を手に入れていたのでしょう?



1982年に強盗が家に入り、お母さんはひどく殴られ

足を骨折してしまいます。



1989年と再び1998年に家で転び、同じところをまた骨折してしまいます。



足の関節が上手く働かないので、ひざに金属を入れられますが、

数年後に「どうしても金属を取って欲しい」と言い、

ひざの金属を除去。



それ以来ずっと車椅子で暮らしていたそうです。



彼女は痛みをずっと訴えながらも、元々の原因となった

強盗に復讐しようとは考えなかったそう。



「復讐は神にまかせよう」と。



お葬式では皆が「彼女はキリストの生き証人だ」と

言っていましたが、わかるような気がします。



敬虔な信者でなかったら、そんな風にはなかなか考えられないですね。




司教のお話、家族からの言葉が終わり、

故人のお顔を拝見&献金するために並びます。
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プロのカメラマンがいて、日本の遊園地のように

写真を売っています。
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多くの人が写真を買っていました。私も!
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棺を埋葬しに行きます。
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安らかにお休みください。


帰り道。今にも雨が降り出しそう。

この後すぐ雨が降ってきました。
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