↓ 台北へ留学していた時。
 滞在していたホテルのオーナーさんが差し入れしてくれた「青ねぎパン」。
 オーナーさんが子どもの頃は、これが毎日の朝食だったそうです。
 素朴な味で美味しかったデス。

 
さて。本題は「だ・である」形で、単文の訓練である。
 
 朝食について、若い頃から悩んでいる。
 大学時代、一人暮らしをしていた。怠け者の学生だったから、起きる時刻も不規則だった。
 一人暮らしを始めてすぐは、朝食をピザトーストにしようと決めていた。そういったものへ憧れる年ごろであったのだろう。横着なわたしは、玉ねぎとピーマンを刻み、タッパに入れて冷蔵庫へしまっていた。
 しかし、朝食をとるべき時刻に起きずに、そのまま大学へ行き、食堂でとる昼食が、その日の「1食目」になることが多く……。
 ある朝冷蔵庫をあけると、野菜を刻んだタッパの中では、薄い灰色を帯びたカビが密生していた。
 ピザトーストの朝食を、こうしてあっさりと諦めた。
 
 親元にいた頃は、母がつくるミルクティーとトーストという朝食が、なぜか好きでなかった。パンの厚みかもしれないし、マーガリンの塗り加減かもしれない。さらには、今では完全に「コーヒー派」になったわたしについて、ミルクティーを好まないことは、一種の予兆であったかもしれない。
 なので、母が用意した朝食を真似ようとしたことは、これまでに一度もない。今も、高校時代の朝食を思い出すのに、かなり苦労したものだ。
 
 大学卒業後。1年間実家暮らしをしたのち、再び一人暮らしをした。3年半の暮らしで終わった。
 勤めのための一人暮らしだった。休憩時間は早い週で11時15分から、遅い週は13時15分からだった。だから、その週、自分が何時に休憩を取れるかを計算しながら、朝食を選んでいたような気がする。
 とは言え、責任を持って働くわけだから、「お腹が空いて力が出ないよぉ」とヘタレるわけにはいかない。
 この時期はかなり、朝食をとるように工夫をした。しかし、殆どが失敗に終わった。今では笑い話である。
 
 まずは真空パックの切りもち。もちは腹持ちがいい。だから真夏でも、毎朝2個食べていたことがある。それを母に言った。母は子どもの頃、実家が餅屋をしていた。
「あんた、『夏の餅は犬でも食わん』言うんやで。あんたは犬以下か」
 バカにされた。
 
 次に気に入っていたのは、「ベーコンエッグ丼」。玉子を1つ割って落とすといっぱいになるくらいの大きさの、小さなフライパンを持っていた。まずそこへ、長さ5センチくらいのベーコンを2枚敷く。油は敷かない。ベーコンから出るから。さらに言うと、ベーコンを裏返しもしなかったと思う。ベーコンに火が通るまでのあいだ、わたしは顔を洗ったり化粧をしたり、よそごとをしていた。
 ベーコンに火が通った頃、玉子を1つその上へ落とす。半熟の状態で火を止める。
 そうしてできたベーコンエッグを、よそったご飯の上へ載せる。さらにしょう油を垂らす、完成!
 好きな味だった。だけど今考えると、すごいカロリーである。
 いつしかなんとなく飽きて、食べるのをやめていた。
 
 勤めに出て一人暮らしをしていたのは3年半だ。しかし後半の1年半は、わたしは右手を悪くしていた。最低限の料理しかできなくなった。包丁とはさみ以外を使うことを、書字も含めて全て左手で行った。食事をする時に箸やスプーンを使うのも、左手だった。めんどくさかった。
 上司から、自転車に乗ること、ブレーキをかけることも手には良くないのではないかと言われた。まるで、「自転車に乗れるくらいなら字も書けるでしょ。痛がっているの、嘘なんじゃないの?」と、疑われているように感じた、という話は、今勝手に創った。
 単純なわたしは、上司のその提案を素直に信じた。幸い、当時住んでいた寮から職場の傍まで、路線バスが通っていた。それまでの雨の日はよくそのバスを利用していた。それ以来、わたしはバス通勤をすることになった。
 バスは、1時間に3本しかなかった、というか、「3本もあった」と言うべきか。07:30前のバスに乗ると、早く着き過ぎる。07:50前のバスだと、道が混んでいたら遅刻してしまう。
 そこで怠け者のわたしは、決意した。
 07:30前のバスに乗り、早めに職場近くへ行っておき、喫茶店かミスドで時間を潰してから出勤をしよう!
 ミスドの開店は午前8時だった。開店を待って店に入ったこともある。
 なので、1年半のあいだ、わたしは職場近くにある数軒の喫茶店のモーニングか、ミスドのモーニングで朝食を済ませていた。
 
 仕事を辞めて、心身ともにボロボロになって、また実家へ越して来た。
 右手を早く治したかったし、働いていた時にかなり貯金をしていたから、数年は働きには出なかった。本当は、貯金を使い果たすまでに、小説でプロになっていたかった。
 それも無理だと気づき、派遣社員として働き始めた。その会社では1年余り働いた。本当はもっとつづけたかった。
 その頃の朝食。
 この数年で「フルグラ」と名称を変えた、フルーツグラノーラ。そのうえに、伊藤園さんから出ている「緑の野菜」というジュースをかけていた。
 試してみて欲しい。
 正直言って、マズい。
 しかし当時のわたしは「体にいいノダ」と言い聞かせ、意地と惰性だけでその朝食をつづけていた。
 でもそのスタイルの朝食が、一番長くつづいていたかなぁ。意地と惰性でね。
 
 そして台北へ留学していた時。
 日本で言うところの「リッツチーズサンド」。あれと同じものが、違う名前でスーパーに並んでいた。日本にいる時から、それを朝食にすることはよくあった。しかし日本でわたしが暮らしている周辺のスーパーには、それがある時とない時とがあったから、コンスタントに部屋へ置いておくことができなかった。
 しかし、わたしは、リッツチーズサンドが大好きなのである。好き過ぎるのである!
 台北のスーパーでは、12枚入りが2本入った形で売られていた。いつスーパーを覗いても、同じ場所に並べられていた。朝3枚食べようと決めた。1週間以上もつ。わたしは、3枚食べては、日本から持参していたセロハンテープで、アルミの袋に封をした。
 何度でも言う。わたしはリッツチーズサンドが、好き過ぎるのである!!
 日本でもよくあることだ。
 夜中、無性にリッツチーズサンドが食べたくなる。「ここにある」と思うと、我慢ができなくなる。部屋の明かりをつけ、気が済むまで……それは大体「あるだけ全部」である……食べる。歯を磨くために部屋を出る。目が冴える。寝不足で翌朝を迎える。
 わかってはいるけれど、止まらないのだ。そのせいで太ることも承知しているけれど、やめられないのだ。ひとえにそれは、リッツチーズサンドが好き過ぎるせいである。
 
 今も、リッツチーズサンドを朝食にしたい。スーパーで見かける度にそう思う。だけど、わたしは「彼」を愛し過ぎていることを身に染みてわかり過ぎている。だから、敢えて手を出さない。
 
 朝は米にしようと考え、ふりかけを常備しようとしたこともある。
 しかしうちには母がいる。朝食の時間帯が重なるから、太ったばあさんとおばさんとが、狭い台所でデカいケツをぶつけそうになるのが面倒で、ひとつきもつづかなかった。
 
 今は部屋にバナナがある。嫌いではないのだけれど……バナナって、くだものだけど……くだものと言えば、もっと果汁が溢れるもの、というイメージがある。バナナからは果汁は滴らない。バナナをくだものに分類することは正しいのかな、と、バカな理屈をこねている。
 
 リッツチーズサンドに対する自制心を保つことができたら、それがベストなのかなぁと思う。
 
 朝ごはんを巡る悩みは、まだまだ尽きそうにない。
 
 独身で、親と同居しているおばちゃんの、ぜいたくでくだらない悩みごとでありました。おしまい。