↓ 即位の式典がおこなわれた日、京都へ行っていました。
写真と本文とはちっともカンケーなくて。
きのうのことが、めっちゃ不愉快で、これまでうやむやにして気にしないようにして来たことまで、噴出させていると気づき、記事にすることにしました。
きのう映画へ行きました。タイトルは出しません。面白くなかったから。
不愉快その1
後ろの席のおば(あ)さん2人が、ずっとしゃべっていました。
うるさくてたまらず、不愉快で、映画の内容がほとんど頭に入りませんでした。
映画が佳境に入ったらこういう低俗な人たちでも黙り込むのなかと期待しましたが、その人たちが口を閉ざす時間は1秒もなく。
わたしにとってつまらない映画だったからといって、見せ場が少しもなかったわけではありません。その点は商業作品として(ナマイキですが)最低限の評価はしています。
しかし、ああいう低俗な人たちは、どんなものを見ても感じとることが低俗だから、大きく心を動かされることはきっとないんだろうなという結論に至りました。
高校生のころからわたしのなかには「低俗なものを心底軽蔑する」という信念があります。
自分もさほど高尚な人間ではありません。わたしを低俗な人間だと捉えている人はいっぱいいるでしょう。
だからこそもっと賢くなりたい、もっとものを知りたいと思って生きています。
しかし、低俗な人は、恐らく自分が低俗であることに自覚がなく、さらに仮定ではありますが、「みんな自分たちと大差はない」という、おそろしい勘違いに陥っており、ときに違ったタイプの、例えばわたしのようなナマイキな人間を目にすると、拒絶反応を引き起こすのでしょう。
わたしからすると、そういう人たちは、向上心に欠けるのです。相手にする必要はありません。
不愉快その2
これを書くと、どの映画を観に行ったかバレてしまいそうですが。
末期がんの2人の女性が、残された時間でしあわせを探す、というあらすじの映画でした。
母と観に行きました(母の認知症予防のために、週に1度は映画かカラオケへ連れ出そうとしています。放っておいたら1日12時間は、寝そべって、韓国ドラマを見てばかりいる人ですから)。
母とも帰り道、
「末期がんの患者が、世界各地を旅行するって、ないよな」
「すべての心残りがなくなってから亡くなる人なんて、ほとんどおらんよな」
と、感想を話し合いました。
わたしは自分が小説を書くとき、
「現実がディストピアだから、バッド・エンドの小説は書かない。
読んでいるあいだだけでも読者がディストピアの現実から逃避することのできる、楽しい夢を見させてあげたい」
という考えを、近年持ち始めています。
それをこの映画に当てはめるなら、映画のなかでだけでも現実離れしていることは、悪くないのかもしれません。
しかし、いくらなんでも「嘘」をつきすぎてはいけません。
それは、幼い子どもに対して、
「雲はわたがしでできているんだよ」
「虹の橋の向こうには何があるのかな?」
「赤ちゃんはコウノトリが運んで来るんだよ」
という、非科学的なことを教え込むのに似て、実際に直面したときに大きな失望(ある人にとっては絶望かもしれません)を与えるもので、わたしとしては大いに疑問があります。
とは言え。
わたしが長編小説のテーマに据えている「非武装平和主義」という主張も、別の政治指向の人たちから見ると、前述したような「夢」や「幻」の類のもので、冷笑されるだけかもしれないな、と思う次第です。
以上。
とーってもむしゃくしゃしておりました_(._.)_
おしまい。