(4月13日付け、朝日新聞より…)

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…月まで3キロ――。浜松市天竜区の山あいを車で走っていると、思わず目を引く道路案内に出会う……。

月は意外と近いのか…。訪ねてみると、月に思いをはせる人たちの歩みがあった、、、
月への案内は、車が行き交う船明のトンネルから外れた県道360号にある。たまに通る車が過ぎると、風で森が揺れる音や小鳥のさえずりだけが山に響く…。

橋を渡り、ダム湖沿いの道を抜けると月にすぐ着いた。38万キロ離れた空に浮かぶ月とは違い、ここは月という集落…。3月中旬に訪ねると、サクラが咲き誇り、全国高校選抜ボート大会の準備が進んでいた。。。

『月という響きも、込めた思いも素晴らしいと思っています…』

月で生まれ育った元浜松市職員の田辺徹さん(71)は話す…。
学生時代に都会に出たが、月に戻ってきた、、、

田辺さんが自治会長だった2015年、月を後世に伝えようと、みんなで月が生まれた地に石碑を建てた。由来をこう記した。。。

南北朝時代、楠木正成に仕えた鈴木左京之進は、一族郎党12人と落ち延びてこの地に屋敷を構えると、正成公の心の清らかさこそ中空にかかる月のようであると考え、自身の心のあり方を村の名につけた。また一説には、いまはわずかな人数だが、やがて満月のように発展するように願ってつけた――。

橋ができる前までは渡し船に乗らないと行けない月だったが、林業で栄え、約60年前には、地元の月小学校に約110人の子どもたちが通うまでになった…。

しかし時代とともに過疎は進み、月の住民はいま、ほとんどが高齢者の約35世帯65人に…。
月小も統合されて久しく、いまはない、、、
それでも、月を盛り上げようと、若手や女性たちが中心となり30年近く、中秋の名月にあわせた「ムーンライトコンサート」を湖畔で開いてきた…。
月夜に「コンドルは飛んでいく」といった名曲が響き、多い時には約500人の観客を魅了した。。。
月に商店はなく、買い物も通院も不便だが、いまなお「鈴木さん」が多く暮らし、支え合う。導かれるように訪れてくる観光客も少なくない。田辺さんは月の魅力をこう話す。『ここには満天の星と月があり、夜空を行き交う飛行機に思いをはせる…。これほどのぜいたくはないですよ…』

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…このロマンチックなネーミングに惹かれて集落を訪れる人は多いと思うんですが、、、

それだけでは過疎化の波は止められないんですね??

ただ何とか残そうという機運も感じて、それが全国的な波及効果を生むことを願ってやみません(。・_・)ノ☆・゚:*:。★・゚;




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