千葉県成田の麻賀多神社

 

 

成田にあるショッピングタウンの仕事に行くとき 立ち寄っていた神社がありました。

行くきっかけは忘れたんですけど いつも仕事前にお参りしていました。

この頃,神社がマイブーム,お参り好き。

 

 

当時 門前仲町にある気功整体の先生にお世話になっていたのですが

この先生、霊感が凄くて、前世もバンバンみえちゃうし 後ろの人とも話す、 

守護霊の言っていることを教えてくれる。

目はレントゲン状態で 体の中が全部見えるのです。

肝臓の胆汁が出てないとか ~~が詰まっているとか、、、あせる

 

整体に伺うと、今日もたくさん連れてきたわね~なんて言われちゃう(笑)

スタジオやTV局に行った後は多かった。

 

ジュエリーのデザイナーさんは 商品にパワーをいれて頂いてた。

いれて頂くとよく売れたようです。

住まいも住所と見取り図を見て霊視されてました。

みんな引っ越しの時は 先生にファックス送りまくり(笑) 

たまに うえからの指示で 地方の神社にいって何かしているぶちゅー

 

〇保〇子さん等の霊能者さんがブームの時がありましたけど

同等かそれ以上の方だったと思います。

 

お金にも独自のルールがあって 気功整体の費用はいただくけど、霊的なものは一切受け取らなかったです。

遠隔治療だけは 受け取ってくださってたけど それも全部インドのマザーテレサの所に送っていました。

インドのサイババにも会いにいって 白い粉ビブーティをいただいてました。

おすそ分けで もらったんですけど どっかいっちゃったニヤニヤ

 

先生は算数が苦手で計算ができない(笑)

エジプト人前世の時にお金に執着していたからだって笑って言ってました。

だから治療費も驚くくらい安かった。

口コミで全国から治療を受けに来られるんだけど それを上手にさばけない、、、。

それを見かねて 先生を説得してお客様に告知して値段を上げて

スケジュール調整のお手伝いしました。

このころから マネージャーみたいなこと(サポート)が好きだったんですねゲラゲラ

毎月 一日の朝8時に先生宅に行くのだけれど 5分で一か月の予約が埋まりました。

 

TV関係者も治療を受けていましたが この先生だけはTVに出さないようにしようって

暗黙のルールがありました。

有名になったら 受けられなくなるかもという不安からだったんです。

 

 

その先生が ある日こういう所で こんな名前がある所に行きたいんだけどって言いだしたんですよ。

私 そのころ先生にくっついて色んな所に行ってたんですね。

「日と月」が付くところ って言われてたかな?

何の事だかわからない

 

探すのは今みたいに ネットなんてない時代です。

 

 

ある日 コンビニの本のコーナーに何気にいったら むかし愛読していたウシシ「ムー」という本があったのね。表紙だったか 日月神社という文字が目に飛び込んだ。

正確には天之日津久神社(日月神社)

 

 

それが 最初に書いた いつも立ち寄る神社の境内に、天之日津久神社が出来たっていう記事だったの。 

正確にいうと 本殿の後ろにある小さな祠。

 

ここは 岡本天明さんが自動書記で日月神示が降りたところって書いてあった。

ここで 「岡本天明」さんといお名前を知ることになりました。


 

さっそく整体の先生を連れていきました。

麻賀多神社の大きなお社の後ろに

小さな祠の神社が 可愛らしく鎮座おわします。

 

そして いつもはいない宮司さんがいたのには驚いた笑い泣き

伺うと むかし 日月神示の自動書記をされた岡本天明さんがこちらで神主さんを

されていたご縁でこちらに作られたそうでした。

 

その後 天明さんがお亡くなりになられ 奥様が三重の菰野に至恩教という郷を開かれたそうです。

 

私達は そういういきさつで至恩教の存在をしり、

今度は 先生と三重の至恩教に行くわけです。

 

その 行く前の話なんですが お家で昼寝していてね、 ふと目を開けたら 

白髪のすらっとした 白っぽい着物姿のご老人が上から私を見ているのです。

目がパチッと あいました。

目を閉じて、また、寝ちゃったんですけど、 後から あれは何だったんだろうって思っていました。

 

それで 先生と三重の至恩教に行ったんですね。

ここには 日月神示を読まれた方が全国から集まっていました。

いろんな人がいましたよ。老若男女、修験道やら作家さんやら社長さんやら研究家さんとか。

 

そこの会報誌を パラパラとめくってたら 裏表紙にあのご老人の写真があったのね。

この人だぁ~~ 夢か幻かわからないけど 見たわ~って

この方はどなたですか?って聞いたら ご老人は岡本天明さんおーっ! でした。

あら、あなた知らないの?って顔されました。

知らないです、すみません。

存じ上げてたら めっちゃ感動したと思います。

 

その会報誌はもうないのでお写真をお借りしました。

この方です。

 

今は何処にいらっしゃるの?ってきいたら とっくにあっちに行ってらっしゃいました笑い泣き知識ゼロです、すみません。

という不思議な思い出です。

 

私はそのころ 渋谷の千駄ヶ谷というところに住んでいたのですが、そこの氏神神社が鳩の杜神社なのです。ここも昔 天明さんが宮司をされていた時期があったそうです。ご縁って不思議ですよね、、。

 

その後至恩教は火事にあい、天明氏の絵は燃えてなくなりました。

そして奥様がお亡くなりになって事実上終わりました。

残ったのは 預言書の日月神示のみとなったのでした。 

未だに解明しきれていないのかな?

それにまつわる本は沢山出ています。

 

その端っこでかかわらせていただいたなって思います。

 

追記 その後 整理しておりましたら 

奥様の三典先生が講演されていた時に書かれた資料が出てきました。

 

 

 

 

ちょっと お手伝いしていた時期があったんですね。

 

 

この日月神示を書いた後に出てきたので 不思議だなぁ~と思います。

あの頃が懐かしいですね。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。