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Plan B -腎がん罹患後の記録-

発覚から手術までの体験とその後の人生再設計を記録していきます。

・腎がんを経験してから、何となく趣味っぽく残った数少ない習慣がハイキング。始めたきっかけは仕事(上司?)のストレスで、イライラしてどうにも寝付けず、それがまたストレスとなって明け方まで眠れない日が続くので“どうせ寝られないのなら朝早くから運動すれば熟睡できるだろう”という発想で始めたもの。

 

・中学校の部活以来、ほとんどまともに運動をしてこなかった自分には予想以上に効果てきめんで、仕事がうまくいかない、なんだか寝つきが悪い、判断に迷いがあるし新しいアイデアが出てこない、となると「そうだ、山に行こう」という思考回路が発動。諸所の理由で眠りが浅い、寝られないという方がお読みになっていれば、先ずは“疲れ切って、帰宅してすぐに眠ってしまうほどに体を動かす”ことを強くお勧めしたい。

 

・因みに、なぜにジョギングやスイミングなど自宅周辺で完結できる運動ではなくってわざわざハイキングかというと、①自分自身は走るのが苦手。体質的に、走ると太もも周辺が強烈に痒くなる(温熱蕁麻疹?)、②ハイキングは、前日に装備を整え朝早く起きて山に向かい、登頂してゴールと思いきやだらだらと下山して帰宅する、という一大PJなので相応の覚悟が必要≒登り始めたら簡単には投げ出せられない(これ大事!)、③(難易度や天候によるが)ときどき「あ、これ下手すると死ぬんぢゃない?」と生を意識する、の3点あたり。

 

・ハイキングを始めてよく思い出すのは、若い頃にお付き合いのあった会社の社名由来で「健全な身体に健全な精神があれかし」。当時は朝早くから終電まで安月給&サビ残でこき使われる身で、且つヘビースモーカー&安酒晩酌の生活であったためか全くピンと来ていなかったのだが、今にしてみれば身に染みる真理と実感。自分の場合は、たいていは肉体的疲労>精神的ストレスで眠りにつけると学んだので、困ったときこそ山に行くことにしている。

 

・一度も振り返ってこなかったので、備忘的に20年以降の国内ハイキングの実績を以下に記録。首都圏の初心者・日帰り・低山が中心で特に誇れる内容ではないのだが、こうしてみると21年は一回だけとの気づきがあり、実際に当時は仲間先輩(その後みな退職)に恵まれ楽しく仕事をしていたなあとの記憶が蘇った。また家族でのハイキングは思ったより多く、それなりに子どもに山を経験させることができていたことに驚き。本人的には全く好きではなさそうだが、学校行事の“山の教室”なんかでは自然と皆をリードする立場のようなので知らずに力はついてきているように思う(親バカ)。

 

・ハイキングを初めた当時ほど仕事上のストレスはないのだが、ここもと日々感じているのは自身の老。45歳を目前にして明らかに基礎体力は衰えているので、50歳までを目途になるべく日本の(日帰りで行ける)名山にチャレンジしたいと思う。月に一度は週末を使って全国各地の山にトライしたいと思っているので、お薦めの山があったら是非教えてください、笑。来月には、家族の了承を得て山形に独り向かいます。


-入笠山(長野、20年8月)-家族

-鷹取山(神奈川、20年9月)-家族

-車山(長野、20年9月)-家族

-高尾山(東京、20年10月)-家族

-大山(神奈川、20年10月)-単独

-大山(神奈川、22年1月-単独

-弘法山・念仏山(神奈川、21年10月)-単独

-頭高山・八国見山(神奈川、22年3月)-単独

-鎌倉アルプス(神奈川、22年4月)-家族

-仏果山(神奈川、22年11月)-家族

-高尾山(東京、22年12月)-家族

-鋸山(千葉、23年4月)-家族

-剣山(徳島、23年7月)-家族

-櫟山(23年7月)-単独

-赤城山(栃木、23年8月)-単独

-塔ノ岳(神奈川、23年9月)-単独

-三ノ塔((神奈川、23年11月)-単独

-筑波山(茨城、23年12月)-家族

-塔ノ岳(神奈川、24年1月)-単独

-羅漢寺山(山梨、24年1月)-単独

-大山(神奈川、24年4月)-家族

-岩木山(青森、24年9月)-単独

-棒ノ折山(埼玉県、24年9月)-単独

 

・日本は山が多くていいですね。八王子あたりに拠点があれば毎週末のように南アルプスにチャレンジできそうなのでアパートでも借りてしまおうかと夢想します。