前回の続きです。

今回のテーマは「自殺の前に指導ができたか」です。

 前回のポイント1つ目、
 ・被害者本人(家族ではない)から「お金を取られた」「殴られた」などの訴えがあったかとうか。
 について。

 いじめられているという訴えか、裁判で証言してもいいという目撃証言か、現行犯でない限り指導はできません。

 昔なら怪しい段階でも捕まえてきて追求するということもできましたが、現在ではできません(人権侵害で訴えられかねません)。いじめの指導をしようにも証言、証拠がない限り怪しいと思っても手が出せないということです。

 こういう場合には、経過観察で事件が把握でき次第指導となります。学校側でいじめを隠蔽(いんぺい)したという話がありますが、確証がなく指導できなかったという学校や教育委員会の発表にはうそや偽りはないでしょう。マスコミの「いじめを放置した」というのはこじつけです。普段「人権侵害だの証言に頼っての捜査で証拠がない」などと騒ぐくせに、こういうときは「きちんと調べていない、いんぺいだ。」では大いなる矛盾です。いじめは基本的に証拠がない場合が多く立証はきわめて困難です。

 学校には捜査権もなければ逮捕、告訴の資格もありません。いじめや万引き、暴行、窃盗などの指導は法的根拠がない「非」合法的行為です。伝統的に、学校が荒れないための指導でしかありません。この手の指導では教員が親に訴えられ退職に追い込まれるケースも見聞きします。中学1年~3年の間にはいじめの1件や2件は必ずあります。いじめをリアルタイムで指導し完璧なクラス(学校)を作るのはかなり困難でしょう。

 別の観点として、担任、学年主任、学校(校長)に生徒指導の能力が不足していたということは言えるかも知れません。大きな事件になる前に、ある程度証拠や証言をつかみ、いじめの芽を摘んでおくのがコツですが、それは授業を成り立たせる能力とは別の問題で、教員の授業をする能力とはまったく異なる部分になります。

 校内での暴行、窃盗などはある程度責任を問えるでしょうが、自殺の責任や自宅の現金盗難、祖母の預金を下ろして渡したなどの話は、学校に責任を問うのは無理だと考えます。(市長はパフォーマンスで因果関係ありで和解する方針のようですが。)

次回は「夏休み後のは生徒同士の人間関係の変化と自殺までにいじめをどのぐらい把握できていたか」です。