今回は、リーダー育成の話です。

 某、機械系メーカーに居たときの経験から。
かつて、旧一期校(←古すぎか?)出身がズラッと並ぶ会社で開発試験の助手として派遣されておりました。
 昔、言うことを聞かない生徒とサボり癖が抜けない教員に愛想尽かして教壇を離れた経験があった私は、その会社での指示のでたらめさと管理のでたらめさに驚いたものでした。普通、派遣が居る職場では、遅刻でくび、髪染めて出勤してくびというレベルの低い輩が混ざっているところが多いので、当初はかなり戸惑いました。
 まあ、それでも慣れて来ると、それは「大学の研究室」のやり方や雰囲気をそのまま持ってきただけだということが分かってきました。あるとき正社員に、「業務指示をきちんと出さないとだめでしょう。」というと、「自分は大学時代から人から教わったこともないし、教えたこともない。」と答えました。話によると、大学生のとき、教授が長期の海外出張に行ってしまい、研究室の中で一人でテーマを決め、一人で実験をし、一人で論文を書いて卒業したとのことで、結論は、「勝手にやれ」でした。基本的にタイムカードもない職場でしたので、本当に「自由」な職場でした。
 課全体がテーマ別請負制といった感じで、必要に応じてプロジェクトが組まれ、チームは1人で請け負えない場合に限って組まれてプロジェクト終了と同時に解散、派遣は解雇でした。この職場では、できるだけめんどくさい人間関係は避け、研究・開発に没頭したいといった人が多いようでした。
 このような職場は多くはないと思いますが、ここのメンバーが将来出世、出向し彼らが課長になったときに、マネージメント、リーダーなどの経験、概念がないままでは、組織が成り立たたなるくなるのではないかと思いました。成績もトップクラス、能力が高くても、一生を考えると、作業力以外のリーダーとしての経験とノウハウも必要であり、偏った嗜好、経験はまずいなと考えました。

 実は、研究・開発だけでなく、リーダー忌避の傾向は昔からありました。
 バブルの頃から阪神大震災前後の頃の話(約20~15年前)ですが、当時、校内暴力が止んで数年、平成に入ってからの子供の変化として、リーダーを嫌がる、リーダーに価値を見出せなくなるといった変化が起こっていました。おまけに、悪のリーダー?(≒番長)もいなくなって悪事も個人主義的になりつつありました。
 指導上もクラス委員や各種委員会指導は教員にとっても大きな負担で、昔はリーダー候補に事欠かなかったのですが、まともに立候補しようとする生徒が皆無になりました。子供を説得してクラス委員に立候補させて指導するといったパターンでしばらくやっていましたが、そのパターンからも撤収し、クラス委員は連絡係りといった状況のクラスが増えました。
 当時、教員たちが社会変化や子供の意識の変化に乗っかって少しずつリーダー育成から撤収していたように思います。

 それから十数年たち、数年前から、私が教えた世代が20代後半、30代前半となり、グループリーダーになる年となりました。案の定、リーダー不足は深刻となり、技能・技術志向、リーダー忌避の影響はあちこちに出ているなあと実感しました。

 現在、学校の中から授業以外にあった部分が消失してしまっているように思います。数字には出てこないが確実に社会に影響を与えていると私は思っています。

 授業以外で必要なものがあるのに、現在は受験勉強一本で、卒業後に何が必要かといった概念が抜けていると思います。子供にとっても1日は24時間です。その時間をどう配分するのかもよく考える必要があります。勉強の時間・・主に塾の時間などを減らして別の社会経験をさせることも必要でしょう。
 仕事をするには能力だけでなく、偏った嗜好を排除し経験を積ませることが必要です。

 社会も変化して、昔は自然に身に付いた能力や経験がどこかで意図的に教えないと身に付かなくなったということを社会全体で認識する必要があります。

次回は大学の教職課程の話です。