【主義主張】 | カメラマンの独り言

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「カメラマン」「経営者」としての独り言を
だらだらと、そしてつらつらと書いています。

先日、選挙用のポスターで使う写真が欲しいという依頼があり撮影致しました。

選挙用の写真撮影の場合、通常の「証明写真」「記録写真」と意味合いが違い、その写真でその方の内面・主義主張まで写真で表現しなければならない。

なので、通常より多くの時間を割き、本人と語り合い、お人柄、訴えたい事、ターゲットなどを理解した上で撮影します。

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さて写真がデジタル化された現在では、撮影した後に「修正」というのができます。

ご本人は「若さ」を強調したいという事で、撮影後に肌などを修正して欲しいとの事。

一緒に打ち合わせしていた弊社の若い衆も「背景をクロマキーにすれば切り抜いて合成できる」とか「RAW(という画像形式)だと後で修正できます」とかとか。

…えぇ、可能です。

そうすればどんな状況でも「それなり」にできちゃいます。

ある意味、その写真一つで、その人の「運命」まで左右する撮影。

後で修正できるように撮影しておくべきだとは思います…。

でも、私個人としてはなんか違和感があって仕方がなかったのです。

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えと、ボロボロになった古い車のレストア(復元・再現)を例にしてお話しします。

このレストアって考え方が「2通り」あるんです。

1つは「作られた当時のまま厳密に復元する」という方法。

もう1つは「その車体を活かして、エンジンや足回りを変えて今でも通用する車に作り直す」という方法。

どちらにも理由があり、どちらも間違いではないです。

ただ、双方には譲れない「主義主張」があります。

前者の作られた当時のまま復元であれば、今の車に比べ遅くて運転しづらい車になるかもしれません。

後者の場合なら、見た目はそのままに、今の時代でも十分通用する車になるけど元々の車とは別物になる。

どちらも視点を変えれば一長一短があるんです。

まぁ結論から言えば「クライアントが納得するもの」が「正しい」。

けれどクライアントが求めているからと言って、前者の修理屋さんに後者の事を求めたら良い物はできません。

多分修理屋さんの「主義主張・こだわり」が曖昧になってしまい、結果どっちつかずのものになるからです。

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話を戻します。

私は写真撮影において「ありのままの真実を、ありのままに伝えたい」という理念・信念があります(ほぼナショジオ)。

ブログのどこかで書きましたが、今のカメラを使ってから35万枚以上シャッターを切っていますが、後で修正のしやすい「RAW形式」で撮影したのは両手の指で数えられる程度しかありません。

「プロカメラマンなら現場で仕上げる」

「現場で出来ないものは、写真には撮らない」

えぇ、古い考えだと思いますよ…。

でも、どうしてもこの「私の主義主張」は変えたくなかったのです。

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依頼されてから撮影までの間、背景をどうするか、光りの当て方はどうするか、若さを強調するためにはどうするか等々改めて研究しました。

頭の中でシミュレーションし、完成後のイメージ、印刷物に使用する際のイメージを徹底的に追求し、どうすればそれが「再現」できるのか。

弊社の若い衆にはさぞ「社長、何、面倒くさい事をしているんだ?」と思われた事でしょう。

会社でみんなが帰った後やお休みの日に、一人もくもくとテスト撮影をし、最適なストロボの発光量、角度を出し、あえてホワイトバランスをずらす事により、ストロボだけでグラデーションを付けてみたり…。

肌についても、確かにパソコンで修正できるけど、より「自然」にしたいのであえて「メイクさん」を呼ぶ事にしてみたり。

結果…。

全くの無修正で、予想を遙かに上回る写真になったと喜んで頂けました。

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間違いなくこの時代において私(松本)は、古い考え方のカメラマン。

こんな面倒くさい事をしなくても、撮影後にパソコンを使ってコツコツ修正して、イメージに近づけて行けばできる撮影だと思います。

でも、何て言うんだろう…?

やっぱりどんなに機材がデジタル化されて便利な時代になったとしても「アナログの良さ」って必要じゃないかと思う。

途中でお話しした「車のレストア」でも、今の時代に合わせたレストアなのか、その当時を懐かしむレストアなのか。

ただの「移動」だけならオートマチックは確かに便利なんだけど、「運転」ならマニュアル車のノスタルジックな面白さにはかなわない。

映画「Cars」の言葉を引用するなら…

「昔、車は楽しみに行くために走っているんじゃなくて、楽しみながら走っていたの…」

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カメラ任せ、機材任せ、パソコンでの後処理にするならオートマチック車と同じような気がします。

でも、自分であらゆる事を考え、端から見ればバカみたいに面倒なセッティングをする。

それはある意味「マニュアル車の面倒くささ」を楽しんでいたのかもしれません。

「写真は楽しむために撮影するんじゃなくて、楽しみながら撮影して欲しい」

この「楽しみながら撮影」が理解できない限り、写真って上手にならないんじゃないかって思います。

もちろん「報道」「記録」の場合はちょっと意味合いが違ってきますけどね。

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一通り撮影し、写真データをパソコンに移して本人に見てもらう…。

「うぉっ!これ、マジで自分ッスか!?」

「そうだよ。だって今撮ったでしょ?」

「すんげぇ~、これ誰ッスか?自分、こんな奴知らないッス!」

…。
…。
…。

よくよく考えたら「これって真実とは違うのか?(笑)」と思いつつ、本人も知らなかった「真実を引き出せた」という事でいいんだろうなっと(笑)。



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