今日の府中は雪雪で中止になりました。ウチのまわり(神奈川県央部)は今のところ10cmくらいですかね。ちょっと出かけてきましたが道路はガラガラでした。

 20代の頃は気合も入っていたので、雪だろうが嵐だろうが競馬場にて馬券を買っていました。当時は自由席はほとんど野ざらしでしたね。穴場の天井にヒーターがついていて、その下に人がひしめきあっていた思い出が有ります。コンクリートの床から冷気が上がってきてつらかったです。今ではヒートテックとかもあって全然良くなりました。でも、今は天気がいい日しか行かないかな。。。


 思いつくままに雪の日の競馬思い出を、、、


・「ホクトベガのフェブラリーハンデ」

 ホクトベガは比較的初期から気になっている馬でした。父がナグルスキーで同父のナリタハヤブサが好きがったということもあったのでしょう。ナグルスキー産駒はダート専用機という当時の空気の中、ホクトベガは芝でクラシックの王道を進んでいました。この年は桜花賞とオークスの1~3着がまったく同じ。ベガ-ユキノビジン-マックスジョリーで、このちょっと下にホクトベガがいた感じでした。で、秋に当時の4才限定だったエリザベス女王杯でノースフライトに競り勝って戴冠。翌年以降は古馬牝馬のトップクラスとして牡馬との戦いを繰り広げました。古馬になってからはけっこう切れる脚が使えているイメージでした。差して届かずって感じでしたけど。ベストレースはサクラチトセオーの2着だったAJCCでしょうか。

 で、当時は古馬牝馬向きのレースが無かったので地方ダートを使ってみたわけですが、伝説のエンプレス杯は現場にて見ていました。当時の学校が横浜付近だったので学校帰りに川崎・大井というのが当時の定番でした。この何年か前に障害でシンボリクリエンスが大差勝ちをしていましたが、これは着差がつきやすい障害。ホクトベガの地方初戦は雨で不良馬場ということを考慮しても「衝撃」でした。

 帰りに川崎駅の近くの居酒屋で「関東にダート王降臨」みたいに盛り上がった記憶があります。

 が、しかし、このあと芝にもどっちゃうんです。ホントに賞金を持っている古馬牝馬には厳しい時代だったと思いますね。芝で5戦走り、芝路線をあきらめたのか、再度ダートに矛先を転じます。川崎記念でライブリマウントを破ります。当時のライブリマウントは無双状態でしたからホクトベガが勝った時は嬉しかったですね(寒かったですけど、、、)。

 こんな感じでのフェブラリーハンデでした。この日は午前中から超極寒。メインレースの頃には真っ白になっていた記憶があります。赤ペンを持つ指先の感覚が無くなるような日でした。G1昇格前ですがダート王を決める一戦という位置づけでした。 が、この年は小粒だったんです。ビッグショウリとアドマイヤボサツが1番人気と2番人気で、その次がホクトベガでした。地方からアマゾンオペラ(石崎)とヒカリルーファス(早田)が出走していて、ホクトベガから地方馬への馬券が本線でした。まあ、ホクトベガの圧勝っぷりは多くの方が知ってますが現場組としてはあの日の雪の降りっぷりと寒さっぷりは忘れられないですね。

 雪の降りしきる中を突き抜けたホクトベガはホントにかっこ良かったです。帰りに府中の西門を出たところで熱燗すすって家に帰ったんですよね。

 このあとのホクトベガ伝説は多くの方の知る通り。


 話はそれますが、アマゾンオペラはこのあとも長く走り、最後はホッカイドウ競馬に移籍します。この時の馬主さんがツインターボの黒岩春男氏なんです。ごく個人的に一方的に奇縁を感じます。黒岩氏はツインターボの後はしばらく中央で馬を走らせていなかったのですが、3年くらい前にホッカイドウ競馬でエルヘイローが活躍して中央入りしたんです。中央競馬で黒岩氏の勝負服を見た時は懐かしかったです。


 関東の雪はまだまだ降り続いています。窓から雪を見ながらウイスキーのお湯割りを飲みながら極楽気分で書きました。90年代前半の名もなき馬たちの思い出も書いておきたいです。酔いつぶれるたびに記憶が消えて行っているような気がしてます。この時期の南関の馬の話はもう何年もしてないです。アクチブハトリ、サンライフ、ハナセール、ヨシノキング、ウェルテンション、ビッグランサー、スルガスペイン、シノサクシード、懐かしいね雪