8月30日(金)トウカイテイオーが25才で死亡しました。

熱心に競馬を見ていた時期の馬なのでなんか思いを馳せてしまいました。トウカイテイオーの世代はツインターボの世代でもあるわけなので、思い出すことを書いてみようと思う。

 この頃は横浜の大学に通っていて、土日は競馬場かウインズに通ってました。友達にも競馬ファンが多くていろんな出来事がレースや馬達とセットで思い出されます。競馬場もウインズも人であふれかえっていました。指定席をとるのにも始発では無理な日もありました。始発で競馬場の入り口にたどりついて開門ダッシュ!スタンドの自由席をなんとか確保。。。というのが多かったです。

 関西馬が強くて強くてどうにもならなかった頃で、関西ではパッとしない成績の馬が関東に遠征してきて手当たり次第にレースを勝っていたときで、関西の秘密兵器だらけでした。トウカイテイオーは無論天敵だったわけですが、記憶に残る勝ち方をする馬でみんなに好かれる馬でした。


【若葉ステークス】関東初登場で中山に見に行ってました。馬なりで上がっていって持ったままでの楽勝。「ぐぬぬ、、、強いぞこの馬は、、、」と盛り上がりました。この時の2着は小田切さんの馬でアサキチという一部に熱烈なファンも持つ馬です。

【皐月賞】この日は部活の練習とかちあってレースはライブで見れなかった記憶。テイオーの2着は何が来るのか?というのがテーマだったんですがシャコーグレイド???となった感じでした。この世代はそれなりにタレント揃いで、こっちがホントの関西の秘密兵器イブキマイカグラ、関東の最後の砦(過剰人気)サクラヤマトオー、武豊とシンホリスキー、イイデ軍団(セゾン・シビア・サターン)、芦毛がかっこ良かったヴァイスシーダー、最初は良かったビッグファイトなどがいました。ここにはいませんが、関東ファンとしてはマル外のリンドシェーバーが実は強いのでは?とか思ってました。仲間内では京成杯を勝ったダイナマイトダディがここにいたら・・・・・なんて強がりを言ってました。リンドシェーバーが勝った朝日杯の3着馬のブリザードって馬も好きでした。いつも出遅れて追いこんで3着、目黒記念で根本騎手が突如逃げた時は大爆笑だったような、、、

【ダービー】この時期になるとテイオーの2冠は盤石といった感じでした。直前にイブキが回避したのも大きかったです。今風に言えば「テイオー持ってるな!」ということです。2着・3着・4着が全部5枠の馬だったのでレースを見ていて「何が来てもダメだ、、、、」と絶望感にひたりながら、楽勝するテイオーを茫然とみていました。実は仲間内でのこの日のメインは駒草賞で「オレのウマ」ツインターボと友人の「オレのウマ」ストロングカイザーが一緒に走っていました。なのでテイオーのダービー2冠よりも逃げバテたターボの記憶のほうが鮮明に残ってたりします。このダービーで5着になった馬でソーエームテキというのがいたんですが、父コトノアサブキというマル地馬でひそかに人気してました。


 なんだかテイオーの記憶ってよりかは、その相手たちの記憶のほうが鮮やかだったりします。ダービー以降のテイオーのドラマは本や雑誌で書かれていますが、テイオー世代としては夏の上がり馬ナイスネイチャもこの世代です。引退後に浦河の渡辺牧場まで見に行きました。社台でテイオーも見学したんですけどフェンスの向こうにいて遠くからながめるだけでした。もう20年前の話になってしまうので記憶も危うげな感じですが、net keibaさんのおかげで記憶の上書きができます。これはありがたいですね。実家にこの頃のレープロがどっさり残ってます。今度帰ったら虫干しを兼ねて引っ張り出してみようかな・・・・と思ってます。