私の中には、まだまだ相手をコントロールしたい気持ちや見返りを求める私がいることがわかった。
でもはたして相手をコントロールしたいと思う気持ちは本当の気持ち?
わざわざ苦しい思いをしてまで
なんでコントロールしたいと思うの?
矩子先生のダーリンが言った、ダライ・ラマの
「1日1日は崩壊の積み重ね。1日終わったら崩壊して次の日また一から積み重ねていく。あぐらをかいていたらダメ。昨日一緒にいてくれた人が今日も一緒にいてくれるとは限らない」
この言葉の意味をまだまだ理解しきれていない私 体感していないからかな
だっていつも自分がいなくなろうとする側
離れようとする側
自分でどうにかしなきゃって
答えを出さなきゃって
なんでそーゆう思考になるのか掘り下げてみたらふと子供のころ両親が離婚する時に
「父親が母親かどっちについて行くか」
選ばなくちゃいけなかった事を思い出した
母親に、「どっちについていくの?」
って 言われて 凄く怖かった 不安だった
(もうお父さんに会えないの?)
そんなこと聞けなかった
お父さんは酷い人だから お母さんを悲しませるから 私はお母さんが大好きだから、お父さんのことも好きだけど
「お母さんについていく」
とても寂しい気持ちになったのをかすかだけど憶えてる
あの時お父さんを追いかけて
「行かないで 仲直りして」
言いたい気持ちを
「そんなこと思っちゃダメだ」
走り出したい気持ちを抑えて
必死にないものとして感じないように
見ないように
その場から動けなかった
私はそれからずっとお父さんを嫌いだと思い込んで生きてきた
どうして仲良くしてくれないの?
私たちがいるから?
いなければ違かったの?
お父さんお母さん 私はふたりとも大好きだよ
選べないよ 別れないで 仲良く四人で暮らそうよ
小さいきえちゃんの心の叫びは届かなかった
だから今大人の私が聞いてあげる
わかってあげる
感じてあげる
お父さんとお母さんが不仲なのは
お父さんが働かないでギャンブルして
借金作ったのは
お母さんが幸せそうじゃないのは
いつもイライラしてたのは
寂しそうで悲しそうなのは
お父さんとお母さんが離婚したのは
私のせいじゃない
結婚が幸せなことと思えなかったのは
結婚=苦労 不幸せ 離婚
のイメージがあったのは、全て私以外のところに原因があった
私はお父さんとお母さんじゃない
二人の子供だけど同じ人間じゃない
結婚しても離婚するとは限らない
不幸せになるとは限らない
自分の努力次第でいくらでも幸せを感じ与えることは出来る
今、治療後の歯の麻酔が切れて痛み出した
そこに傷があるって気付かないと治療は出来ないって前に矩子先生が言ってた
傷をあるのにないものとして生きていたら傷ついた心はいつまでたっても成仏出来ない
同じ事を繰り返し 幸せからどんどん離れていく
傷に気づいたら 存在を否定しないで
長期戦になっても一生かけても
治していきたい 根こそぎ
おばあちゃんになっていつかこの世の役目を終えるその時に
心に沢山の傷を残したままじゃなくて
ひとつでも多く傷を癒して
傷つく前のピュアな私に戻りたいな
そう思った 綺麗事かなぁ
そんなことない
私は向き合い続ける
結婚=幸せなもの
に書き換えていくために!!!