河井継之助を語る上で欠かせないものとして、この「ガトリング砲」があります。
河井継之助がこの日本に三門しかなかったガトリング砲を二門も購入したのは、河井継之助が目指していた長岡藩の武装中立実現のためです。
河井継之助の狙いは、強力な兵力・兵器を背景に、西軍と会津藩・米沢藩など東北諸藩との間に中立を保とうというものでした。

1分間に200発の弾丸を炸裂させます。

長岡城の攻防戦では、長州藩の奇兵隊に向かってガトリング砲が火を噴きました。
長州の奇兵隊をたびたび窮地に追い詰めますが、圧倒的な薩長軍の兵力の前には、少数の長岡藩は劣勢となり、
司令官である河井が、足を狙撃され戦線を離脱すると長岡藩兵は、戦意を喪失し、会津に逃れる事となりました。
河井は、その傷が元で只見町の塩沢で息を引き取りました。