本当は記事にするかどうか迷っていました
あまりに残酷すぎる事件に胸が引き裂かれる思いでした
身体で19人の尊い命を奪い、言葉で数え切れない人の心を傷つけ引き裂いてしまったひとりの人
あの人の心に宿っていた命は正気を失っていただろうし、自分の命の尊さすらもわからなくなってしまったかわいそうな人なのかもしれない
けれど、私にとってかけがえないみんなの命を軽んじられて黙っていられるほど私は優しくないです。
きっとあの人に言わせれば今の私もその対象なのでしょうが。
私がどれだけ伝えようと思っても、感情が入りすぎてそれもまた独りよがりな意見になってしまうでしょう
なので、滋賀県の近江学園・びわこ学園の創設者糸賀一雄先生のお言葉をお借りします
(滋賀県のHPより引用→こちら)
この子らを世の光に
『この子らを世の光に』と『この子らに世の光を』の違いについて
「を」と「に」が逆になれば、この子どもたちは哀れみを求めるかわいそうな子どもになってしまいます。しかし、この子らは、みずみずしい生命にあふれ、むしろ回りの私たちに、そして世の人々に、自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれるすばらしい人格そのものであります。
この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく、私たちは努力しなければなりません。糸賀先生は最後の講義で「この子らを世の光に・・・」の言葉とともに、大きな福祉の思想を私たちに託して逝かれました。
無財の七施(むざいのななせ)
愛は深めていけばいくほど、どこまでもどこまでも深まっていきます。
そしてそれは純化されていきます。
そのことを私たちは知っておきたいと思います。
・・・<財産がなにひとつなくても出来ること>・・・
眼施(げんせ)・・・人にやさしいまなざしをもって接すること
和顔悦色施(わがんえつじきせ)・・・にこやかなほほえみをたたえた顔で接すること
言辞施(げんじせ)・・・言葉の美しさ、やさしい声で接すること
身施(しんせ)・・・勤労奉仕のこと
心施(しんせ)・・・感謝の心
牀座施(しょうざせ)・・・席をゆずってあげること
房舎施(ぼうしゃせ)・・・一宿一飯の施しということ
私たちの人間関係というものには、「無財の七施」というものがあるんだということを、どっかで聞いたことがあったなあと、思ってくださればありがたいと思います。(糸賀一雄氏の言葉から)
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今の私にもできることがいっぱいある
無財の七施は、財施(財産を施すこと)よりも尊いと思うのです
何故ならそこには必ず心が伴っているから
お金を施すには心がなくても、たとえ見返りを求めていたとしてもできます
みんなの表裏のない心のまんまの姿にどれだけ救われた人がいるか
どれだけ人として大事なことを学んだ人がいるか
私はみんなに会えたお陰で、上辺だけの優しさは通用しないことを教えてもらいました。
人として素直になることの大切さを教えてもらいました。
まぁいっかが大きな事故に繋がることも教えてもらいました。
なにより、みんなとの時間は心地がよかったし、数え切れない位幸せな気持ちにさせてもらいました。
みんなと言っていますがひとりひとり違います
ちゃんと個性が光っています
あの人のように決して一つの言葉で一括りにできるような存在ではないのです
みんなの命の尊さと、存在の大きさが1人でも多くの人に伝わりますように
そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
今回の事件で傷ついた方々の心が救われる日が来ますように
※ただ、現場のマンパワーが足りずに疲弊している職員がいることはれっきとした事実です。綺麗事では済まされない位、その日を終えることで精一杯の現場がたくさんあります。これには組織・地方・国で具体的な対策がなされるよう願うしかありません。
職員とみんなが心豊かに過ごせて、ご家族が安心して任せられる現場が増えますように。