これから、何度かに分けて
これまで私が辿ってきた
『目醒め』について、
少し長い文章になりますが、
体験の流れをそのまま残したくて
一つの記事にまとめてみました。
これは、覚醒や悟りを
勧める文章ではありません。
むしろ、もしそれに惹かれた時に、
一度立ち止まって考えるための
ものかもしれません。
私が実際に体験したことと、
その後に考え続けてきたことを
長い時間をかけて向き合ってきて、
やっとここにきて何となく
自分で解釈した記録になります。
人それぞれ体験は違います。
同じようにしたからと言って、
他の人も同じようになるとは
私は思っていません![]()
それは生まれる前に、
どの程度まで覚醒すると
決めてきたのか。
これまでの人生で、
どこまで自分自身と
向き合ってきたのか。
そういったことも
関係してくるのかもしれません。
私は、私が体験したことしか
語れません。
だから、この文章を鵜呑みにせず、
「自分はどうかな?」と
何度も立ち返りながら
読んでください。
体験の一つとして
読み進めていただければ幸いです。
意識が反転した
この無我、あるいは真我と
呼ばれる状態、
または源意識と呼ばれる状態の
最中には、そもそも書いて残して
おこうという発想自体が
ありませんでした。
だからこそ、当時の私は、
記録を残すという選択肢すら
持っていませんでした。
いまこうして書いているのは、
人間としての意識に
戻ってきたからこそ、
振り返り、さまざまな情報や
考え方と照らし合わせることが
できているのだと思います。
当時は、起きていることを
説明する言葉もなく、
自分自身でも理解できて
いませんでした。
時間をかけて人間として生活し、
考え、迷い、今になってようやく
言語化できる地点に戻って
きたのだと思います。
覚醒と聞くと、
さまざまな種類があるように
思います。
私が体験した覚醒は、
一つは「ハートの覚醒」
と呼ばれるもの、
もう一つは
「無我」あるいは「真我」、
または「悟り」、「源意識」
と呼ばれるもの、
この二つではないかと
今は考えています。
でもこれが
本当に正しい表現なのか、
今でもよくわかりません。
あくまでも、私が体験したことに
便宜上名前をつけたり、
意味付けしたりしているだけ
だからです。
次回へ続きます![]()