こんばんは。
本格的に冬になってきたな~と思っていたら、
明日からまた暖かくなるようですね。
私事ですが、12月1日に祖母が97歳で他界しました。
あと4日で98歳でした。
先月初旬から体調を崩して入院し、高齢ということもあり
そう長くはもたないと言われていました。
祖母とは私は生まれてから高校を卒業するまで同居しており、
共働きの両親にかわり私たち弟妹を育ててくれました。
両親に叱られているときには、助け舟を出してくれたり、
とっても優しい本当に大好きなおばあちゃんでした。
そして10年前に実家の近くに帰って来てからも、
私の子どもたちのこともかわいがってくれました。
なのに最近では、子育てや仕事に追われていることを理由に
あまり話し相手にもなってあげていませんでした。
すごく申し訳なくて、すごく後悔しました。
愛して育ててくれたお礼もちゃんと伝えたくて、
毎日仕事帰りに病院に通い、アクセスのボディプロセスや
エネルギーワークをしながら、いっぱい話をしました。
といっても、人工呼吸器をつけて意識がない祖母に向かって
私が一方的に話をしていただけですが・・・
看護士さんのお話では、人間は最期まで耳だけは聞こえている
そうなので、祖母に届くことを祈りつつ昔の話や感謝の気持ちを
伝えました。
最初の頃は苦しそうだった祖母も、だんだん苦しさが
見えなくなっていき、最期は自然に天に召されて逝きました。
最後の2日間は、両親と私と交替で病院に泊まり込んだのですが、
私が仕事に出掛けた昼休憩後に亡くなったため、
残念ながら、私は最期を看取ることはできませんでした。
昼休憩に私はいつも森の中をウォーキングしているのですが、
私がちょうど歩き終わったときに父から連絡は入ったので、
もしかしたら歩き終わるのを待ってくれていたのかなっと思います。
それから、お茶出しや通夜の料理(60人前)を作ったりと、
バタバタで、祖母の死を悲しむ暇もないくらいの3日間でした。
毎日病院で散々泣いていたので、お葬式の時には少し
泣いただけでした。
でも、少し落ち着いた今日、もう病院にいくこともなく、
祖母が遺影の中で笑っている姿を見て
心にぽっかり穴が開いたような、やっと亡くなったんだという
実感がわき、寂しさがこみ上げてきました。
失って初めて、大切なものに気づく・・・ってこういうことなのかなと
思いました。
「今」を大事に精一杯生きる。
亡くなった祖母は、どんなに困難で辛いことがあっても
前向きに生きた人でした。
私も祖母を見習って、そうありたいと改めて思います。
(余談ですが、亡くなった祖母の名前は「イマ」と言います。
まさに、名前のとおり生きた人でした。)
祖母の冥福を祈りつつ・・・
長々と書いてしまいましたが、お読みくださってありがとうございました。