3.11 | 高田圭人〜ありのままに飾らずに〜

高田圭人〜ありのままに飾らずに〜

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東日本大震災から早2年。

2年前はまだ学生で、アメリカ留学に旅立つ1ヶ月前ぐらい。

何故かわからないけど、あの時はたまたま家族全員が家にいて帰宅困難者もけが人も出なかった。

テレビはもちろんどのチャンネルを見ても未曾有の大惨事を放送。

まるで映画を見ているような感覚を覚えている。

半年後にチャリティーイベントで石巻市に行く機会をもらえて行ったけど、正直言葉にならないとはああいう心境のことをいうと思う。

テレビでは連日放送されていたとおり現地の人の声で政府や東電に対する不満や全面的な批判、が多数あがっていた。

だけど実際のところ、原発付近の地域では補助金とかが出てたらしい。

だから、自分達の責任もあるというような意見を実際聞いたこともあるし、そう思っている人もいると思う。

正直、どっちが悪くてどっちが正しいということはどんなシチュエーションでも言えることはなかなか少ないけど、
『あなた達が悪いよ、お金貰ってたんでしょ。』といった、現実や事実を冷静に見てるぶってるような発言は現場に行って空気を肌で感じたら言えない。

本当に何もなくて、道は壊れて、灯りはないんだから。

かつ、現地の人々はもうすでに立ち上がって色々な復興プロジェクトを進めて前に進んでいた。


そのプロジェクトには海外の有名デザイナーを呼んだり、東京で仕事をしている東北出身の人が戻ってきて参加したり。

そして、今もなお作業員が原発内で命の時間と引き換えに作業をしている。



つまり何が言いたいのかというと、すべてが『自己責任で済まされること』というのは時に非情過ぎてしまうということ、もちろん自分の周りに起こったことをすべて他人のせいにしていいということではない。
そして、新聞やテレビで報道されてたり、今流行りの○○とか、ネットでの評判とかを信じすぎてはいけない。
もし出来るのであれば見て自分の感覚で判断することが大事ということ。




僕らもちょっとした被害があったけども、簡単に震災を語れるわけではないし、語ってはいけなくて、そして遺族や被災した人々の気持ちを簡単にわかろうとし、わかった気になることなんかももってのほかで。

僕達が出来ることは風化させずに覚えていること、そして、今回起きたことから学び、将来起きるとされる首都圏直下型、南海トラフの地震に学んだことを活かすことだと思う。

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ありのままに飾らずに
高みをめざして













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