高齢母の住まい探し -14ページ目

高齢母の住まい探し

70代の母が血迷って購入した新築マンションや賃貸住宅のこと☆
高齢母が安心して住める住まい探し+母と私の生活を楽しく、時には辛辣に綴っていきます!
よろしくお願いいたします☆

こんにちはニコニコ


長くなりすみませんm(_ _)m

誰も見てないかもしれないけど、謝ってみましたお願い

このブログって、アクセス数を見ると多いのですが、実際に見てくださってる方は少ないようですうさぎ

外部からこちらのブログのアクセス数を見られるというものがあるんですが

少ないというか、ほとんどゼロ状態ピリピリ

もしかして私がアクセスしてるだけ??

ロボットか何かが見に来てくれてるんでしょうかね??

ロボット君ありがとうロボット

励みになります!

例えロボットでもロボット


そんなこんなで続きです。


父の借金返済のために田舎の戸建て住宅を売却した件です。

田舎田舎って言ってるけど、千葉は田舎じゃないわい!!という声が聞こえてきそう気づき


千葉は本当に広いのです。

もう橋渡って歩いて東京だよ!

通勤だって千葉から自転車て東京行ってるよ自転車

って人から、のんびりと内房や外房の海や山を見ている家まで

そりゃ色々あります。

 

うちが購入したところは、東京からも遠く、しかも駅からも遠いという場所だっただけです汗うさぎ

 

 

そんな家でしたが、ありがたいことに無事に売却できました。

 

築5年でしたが当時4千万くらいだったかな。

 

もう少ししたかな。大きかったから。

 

全部、借金で消えたけどアセアセ

 

見に来てくださった方は一組だけでした。

 

その一組が買ってくれたわけで・・・。

 

とてもラッキーだったと思います。ありがたや~。

 

 

父は泣いていたけどねうさぎ

 

でも事業をするってこういうことですよね。

 

今は簡単に自己破産する方が多いようだけど、うちはしなかったです。

 

借金に関しては、その後もずっと父は返済を続けて、70代になってやっと完済できました。

 

私はそんな父を尊敬していました流れ星

 

事業には失敗した父だけど、借金もしっかり返し、最後まで責任をしっかり持ったから。

 

父が頑張ったけど、反対に作ってしまった借金だったら、私や姉はやむを得ないと思った。

 

けど、母は違っていました。

 

ものすごーく怒って怒って、離婚はしなかったけど、父とは絶縁状態チーン

 

言葉をかけることもありませんでした。

 

虫けらを見るような視線で父を軽蔑していたポーン

 

これが血が繋がった親子と夫婦の違いなんでしょうか?

 

 

こういう話が母のなんちゃって分譲シニアマンションの購入へと繋がっております。

 

そんなことが過去にあったので、私は母を許せないのもありました。

 

自分で無動作でやらかしてしまったミスにはとっても優しい母なのでしたガーン

 

 

その後、住んだ都内の賃貸マンションは1DKでした。

 

父は会社に住んで、母と私はこの1DKに一緒に住みました。

 

家賃6万円ちょっとの1DKに大人の親子が一緒ですチュー

 

私は転職をしました。せっかくなので、大都会東京に笑

 

 

そのうち姉も帰国しました飛行機

 

仕送りがストップしたので、大学院の学費が払えなくなりました。

 

アメリカに何年もいたので、アルバイトは多少できたようですが、それだけでは生活費も賄えません。

 

当時のアメリカの学費はとても高く、日本人の住める安全な地域も決まっていて、家賃も高額でした。

 

もう少しで大学院も卒業だったので、父は姉の学費だけでも何とかしたいと考えていたようです。

 

が、私はとっとと仕送りやめろと宣言しましたムカムカ

 

呑気にアメリカで学生やってる場合じゃないですよムカムカ

 

 

姉が帰国したので、1DKに親子3人で暮らしました。

 

しかも、めっちゃくちゃ小さい1DK!

 

布団も敷けないくらい笑

 

でもすごく楽しかったラブ

 

 

それまでは、何か生活に多少なりとも余裕があり・・・

 

母は変な宗教にひっかかりそうになったり、変な通販にひっかかりそうになったり、

 

父も銀座のクラブのお姉さんに入れあげたり滝汗

 

何か家族が皆バラバラだったから。

 

 

なぜか極貧生活では昔より家族は仲良しでしたキラキラ

 

シンプルな生活に戻ったようなグッ

 

 

私もすぐに就職先が見つかり、

 

もう高齢だったけど、母まで何とかパートの口を見つけ、

 

姉は帰国して、借金返済や暮らしの安定、そして自分の残りの学費分を稼ぐために(休学して帰国した)
 

通訳だ派遣だ何だと走り回っていました。

 

今より英語話せる人が少なかったのが幸いでした星

 

 

たぶん、まだ皆若かったから何とかなったんだと思います。

 

もしこれがもっと年齢がいっていたら、とても笑って過ごせなかったです。

 

若い時の苦労は買ってでもせよというのはこのことですね。

 

本当に良い経験をさせてもらいました。

 

母はめっちゃくちゃずっと父が亡くなった今も怒ってるけどね笑い泣き