妊活への想い♡①~わたしの病院通いの日々~ | 妊活・安産・産後子育て応援♡女性としての自分を大切に♡光のサロン”プティリュミエール”青森平川市

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最近はもう解消した気持ちなので、ブログに書くこともせずに過ごしていましたが…

妊活中のお客さんと話したり、妊活中のブログを読んで湧き上がる気持ち。



実は私も妊活女子でした。
と言っても結婚前からでした。

ん?結婚前ってどういう事?と思いますよねはてなマーク


私が病院(不妊治療外来)に行き始めたのは、確か22、3歳の頃でした。

どうして通う事になったかというと…
きっかけは、周りの先輩方やその当時の保険代理店をしていた時のお客様からの『子宮内膜ポリープ』での手術給付金請求が多く、当時、生理不順や生理痛など、身体の不調が多すぎた私も心配になったからですビックリマーク


もう、思い込みです↑
私も絶対何かある。
病気が見つかるはず。
あわよくば、保険金が入る。


で、当時人気だった不妊外来専門の病院に行きました。

確か行くと、内診したり、採血したり、また、次の受診日を予約して1時間位かけて点滴をして何か検査をしたような。

私はただ、子宮の状態はどうか診てもらいたかっただけなのに…。

するとね、私が引き寄せたのか

『多嚢胞性卵胞』『高プロラクチン血症』

という病気である事が発覚。

↑排卵障害となるので、不妊症の原因となる病気になります。

やはり、ここでも処方されるのはピル。
低用量ピルはまだ副作用には耐えられたけど、中用量ピルのあの副作用は耐えられなかった。

あの吐き気。
仕事にももちろん行く事も出来ず、トイレで過ごし寝たきり状態でした。


その後も定期的に、確か排卵日などの時期をみて、10日おき位で月3回は通院していたと思います。

約1年半から2年ほど続けた通院。

結局、わたしは生理は来るものの、排卵せずに過ごしました。


初めての通院後、感じた想い。


自分って女として生まれた価値なんてない。


このまま子どもを産めないなんて、生きてる価値ない。


子どもを産むことが出来ないのなら、結婚なんてする意味なんかない。


彼氏(現在の夫)に申し訳ない。←この気持ちは多少あったな。


人としての価値が見いだせなくて、一人で絶望的になっていました。


勝手に自分で自分を否定しまくってどん底。


なんで自分が…ただ、ポリープあるかな~という軽い気持ちで検査に行っただけなのに。

実は排卵していなかったなんて。ポリープ以前の問題だ。


病院に通うにも、仕事をバリバリしていた私にとって、過酷な難題だったのです。

有給なんて使ったことない私。毎年40何日残して切り捨てられてたよ~。

そんな中、男の上司に事情を話すのもストレス。
早退なんて出来ないから、1時間ほど遅刻してのフレックス出勤での対応にしてもらったり。
毎日20時過ぎまで残業が当たり前だったけど、18時定時で帰らせてもらったり。
通院するまでにも、まず、会社への理解を示すためにかなりのストレスを抱えました。


で、病院に行っても全く症状が良くなっていない事実。
ますます落ち込むよね。
でも当時とっても真面目な自分は、

薬を飲んでいればよくなると思っていた。

通院していれば大丈夫なものだと信じ込んでいた。


朝早くに病院に行って待ってる間聞こえる、手術中の方の悲鳴。
何回聞いたことやら…それだけでも恐ろしい。
待っている間のあの雰囲気。
みんな下向いてなんか、暗い。
笑ってはいけないようなギスギスした空気。

行くたびに気持ちは落ち込むし、会社にも頭を下げて、すべてがストレスだった。

で、その激務とストレスから逃げるように、週末は飲みに行ったり、とにかく買い物してお金を使うことで発散。

今思うと、かなりの悪循環だったと思う。
けれど、そうしないと、自分が壊れそうだったからそうするしかなかった。


この気持ちは、同年代の友達に行っても理解できなかったと思うから詳しくは話していなかった。
結局自分でずーっと抱え込んでいた。
彼氏(今の夫)に言ったって、共感はしてくれないし、「別に大丈夫だべ。」位に流されておしまい。
一緒に悩まれるより、突き放してくれたほうが私にはちょうどよかったのかも。


こんな時、唯一話が出来たのは、同じく不妊治療をしていた私より年上の先輩方。
私は未婚だけど、みなさん既婚者。
たまに集まってランチやお茶をして情報を共有したり、話を聞いてくれたり、本当に助けられたものでした。
ありがとうございましたドキドキ



で、私はついに病院に行くことも辞めたのです。

まだ私は結婚はしていなかったので自分の意志で辞めました。

だって、毎回毎回変わらない検査結果に落ち込むことが嫌になったから。

だって、お金がかかるんだもん。月20000円位だったかな。大きな検査をすればさらに月プラス10000円。



病院通いを辞めてからも、仕事のストレスは変わらなかったから、お金は使ってました。
けれども、海外旅行に行ったり、温泉旅行に行ったり、物では自分の時間に対してお金を使うようにもなりました。


そして、今の旦那さんと同棲を始めたり、縁があって転職することになったり。
レディースケアしらはまに勤務したのも、不妊の話を聞いてくれていた先輩のお誘いでした。


当時不妊で悩んでいた先輩方もみんな今は二児の母です。


今思うと、不思議でならないけれど、あんなに悩んでいたのは何だったのだろう。


今の幸せがあるために起きた、台風のような出来事だったような…。