今日は稽古はなく、某TV局で新入社員内定者の研修日だ。なので、朝から講師モード。講師モードのときは、なぜだか普段自分がやっている行動に理屈をつけたがる。そこで、ふと自分にとって理想の演出とは?って考えた。


「理想の演出」とは・・

ズバリ「自分がずっと現場にいなくても、自分が思い描く作品ができあがっていく現場。」


これは、今後、変わっていくかもしれないが今はそう思っている。

僕は中学生のころから自主映画を撮っていて、そのまま高校、大学と映画を撮り続けた。その頃は、自分でカメラも回すし、編集もする。しかし、大学時代も後半になると分業化されカメラマンや編集マンと一緒に作品を制作する。


ここで初めて、人に自分の思いを伝えることの難しさを痛感する。もともと自分でやっていた微妙なニュアンスが伝わらないのだ。そりゃ、自分じゃないんだから当たり前っちゃー当たり前だけど・・(汗


だから、カメラの傾きから、30分の1秒単位のカットの長さにまで指示する。けど、そんなの言われた人にしてみれば「じゃー自分でやれよ」ってことになる。もちろん、言い方にもよるけど・・。これは、役者にも同じだ。「ここまで歩いて、ここでちょっと頭をひねって、右手をあげる」なんて演出したら、ただでさえカメラのアングルやCGの関係で窮屈な思いをしているのに、感情なんて入れようがない。


ちなみに、プロになって大御所や、ハリウッドのスターレベルにこんな演出したらクビになるかもしれません。(スピルバーグも「若いころはやっちゃうんだよなー」なんて何かの本で言ってました)


じゃーどうすればいいのか?

木を想像してください。真中には幹がある?その真ん中の幹がしっかり分かるような演出をすればいいと思う。で、とりあえず、葉っぱの色や、細かい位置は、それぞれの担当の人に任せる。幹がしっかりしていれば、多少ずれていても最初に想像した木のイメージからそんなにずれることはないと思う。


中に生えている大量の葉っぱの位置が少しずれたからって、外から見たらそんなに分からない。


それより、強引に位置を細かく直して枯れた葉っぱが大量にならぶより、青々した葉が生えたほうが全然いいと思う。そして、その葉同士が「この幹ならこの位置だろう」「この色だろう」って勝手に僕と共有してくれたら一番いい。


そうすると、もしかしたら自分のイメージを超えるような木ができあがるかもしれない。もちろん、能力的に経験値が低いとかモチベーションが足りない、葉にはしっかりした指導が必要だけど。僕の場合、あんまり酷いとひっこぬいちゃいますね・・意外と短気(笑)


で、この演出論は特に演劇では有効だと思う。なぜなら、映像の場合、一瞬でも自分の思い通りに芝居をしてもらえれば記録できる。しかし、演劇では最後が役者任せになる。しかし、その時、役者は緊張してるかもしれないし、逆に緩んでいるかもしれない。本番がどんな状態か分からない。そんなとき、無理につけた演出では、その力を出し切ることはできないだろうし、客席の空気を読んでアドリブを繰り出したりすることもできない。だから、最終的には自分たちの中から出てきたものでなければいけないのだ。


だから演出家は、皆が共有できるような「太い幹の演出」を提案すること。それが大事だと思う。

監督や演出家のことを英語では「ディレクター(director)」。つまり「方向性を決める人」ってこと。だから、大きい道を皆が分かるような言葉でしっかり決めて、あとは任せる。その方向が簡潔でオリジナリティー溢れる太い幹なら、きっと皆分かると思う。


細かいところではスタッフ&キャストと共有できるような一般性(普遍性)を持ち、全体を見るとそれがオリジナリティーがあふれている。だから、最初に演出をつければ、自分がいなくてもどんどん成長することができる。

そんな「演出」を目指していきたい。


でも、難しいんだよね・・・。まーまずは大きい幹だけを演出するのはまだ無理なので、小枝まではチクチク言わせて欲しい(汗)



ついに稽古が始まった。まずはダンス稽古。

振り付け責任者の野元準也 のもとダンサーぞれぞれが、競い合うように難しそうな振りをつけていく。ダンス経験はあるものの、現役ではない彩加とメレコは必死だ。そして、稽古2日目にして彩加が足の指を脱臼。完成したら、凄そう・・けど、これからの1か月はなかなか大変な稽古になりそうだ。



そして、5月29日。今日からは芝居稽古が始まる。僕は本読みしてると・・飽きるので(失礼)。立ちながら本読み。それで、だいたいの感覚をつかむ。そして、すぐに稽古。


今回の芝居は、ほとんどのシーンで工場で働く労働者が登場する。その数20名ほど。だから、場面転換などは一同にキャストが動くからかなり複雑。また、その間を縫ってダンサーも入ってくる予定なので、役者が1つ動きを間違えると激突する。


動くタイミングはどうするのか?音なのか?セリフなのか?照明なのか?また、単に動くのではなく、1つ1つの動きが全員揃っているなど、美しくなければならない。


前回の「異譚 女殺油地獄」ではほぼ全員正座してたのに対し、今回は動き回るので複雑さは前回の比ではない。もちろん、その分、視覚的ダイナミズムもかなり迫力を増している。


一つ一つのシーンを構成するのにえらく時間がかかりそうだ。


しかし・・29、30、31の3日間の13~21時の稽古で80%近くのシーンに対して動きが決まってきた。要するに、細かい芝居とかを無視すればある程度「通し稽古」ができるのだ!


すげー!この多人数キャストがちゃんと流れるように動いている。


さすが、俺!・・・なんてことはなく、ちえさん 、ハルちゃん 、洋平 など今回で3回目の出演をしてくれているキャストを中心にそれぞれお互いに細かい動きを合わせたり、工場の作業工程など、僕と清水(脚本)が適当に書いてしまったものを、しっかり合わせてくれている。


それに、前半早々なぜか消えてしまうオッサン演じるベテラン三輪さん も、自分の稽古がなくても一緒に演出助手してくれる。 他にも、今回が役者業を初めてやるシロに、発声練習のやり方を教えてくれている波多江さん、ちえさんなど底上げまでもやってくれて本当に助かる。 そんな訳で、稽古が始まったばかりなのに結構一致団結して進めてくれているので、僕はまた感性をフルに使って、ノリで演出したいと思う。


ノリで演出するから、稽古にこなかったり、遅刻したりすると、いなかったシーンでその役者さんの存在忘れちゃってセリフとかなくなるかもしれないけどね♪結構、理不尽ですけど・・(汗


え?こんな複雑な芝居をノリで演出すんなって・・(汗)いえいえ、見たいとこだけ見て、見るのが大変なとこはスタッフ&キャストを信頼して任せる。そういえば、CM撮影も、商品撮影とか興味がないのでカメラマンに任せっきりで遊んでてよく怒られます。


けど、よく調べると今まで天才と言われる演出家や監督は、多くの優秀な人に囲まれてるんですよ。天才とはそういうものです(笑)今回も優秀な方々に囲まれて幸せです。

チョイ前から、芝居の稽古に先じてダンスの稽古が始まった。29日からは、いよいよ芝居の稽古である。

今は稽古が始まるのが楽しみだが、ちょっと前までそうでもなかった。なぜかというと今回は脚本を一緒に書いたので、そこで結構出し切ったからである。なので刺激を受けるために演劇を見てきた。

1つ目はTVでも宣伝しまくっている中村雅俊が出ている「僕たちの好きだった革命」。堤幸彦監督が原案で、鴻上尚史さんが脚本&演出。鴻上さんは、僕が文化庁の研修員になるときの面接で意地悪な質問をしてきた人だ(笑)。で、これが視覚的な演出面は・・なんかダサかったが。物語がむちゃくちゃ面白かった。あーこれが万人に受けるエンターテイメントの脚本なんだって言う感じ。老若男女問わない面白さが、そこにあった。なので、公演後、戯曲を買った。

http://www.bigprop.com/nk/kakumei/staff.html

2つ目は新国立劇場でやっている「タトゥー」。海外の若い作家が書いたものを日本の新進演出家が演出するもので、吹越満が出演している。
で、演出はチェルフィッシュの岡田利規さん。

以前、mixiでも書いたが、公演がかなりツマラナイのに戯曲を買ってしまった人だ。ってか、ほんと何が面白いのか分らん!

けど、今回「タトゥー」を見に行ったのは岡田さんが演出だからなんだよね・・という謎。
http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000066_play.html

だってね。この人が演出するとセリフが分からなくなる。もちろん日本語なんだけど、だんだん英語聞いてる感じ?要するに、頭の中で翻訳しないといけないし、話しが進むにつれて翻訳することに疲れてセリフが音になる。だから、物語がよく分からなくなる。

あ、これ役者のせいじゃないです。というのも、役者が感情を入れないで話すからなのだ。たまに、怒ったりするけどね。他が無感情な分、そこでヒリヒリした何かを感じるから、それが狙いなのかな?

よく、役者と稽古をしていると「いい芝居はセリフが観客の心に入ってくる」みたいなことを話すけど、そういうのを一切拒否している感じ。

で、気になるので岡田さんのWEBを見ると演技論があった。
http://chelfitsch.net/essay/


ここで、岡田氏は「なによりも俳優はイメージを強く持たなければいけない。いうまでもないことだが俳優は感情を表現するというより体現しなければいけない。」と言う。

これは僕も同意する。そして、このあともほぼ岡田氏の演技論にほぼ同意。

よく内面的な感情を気にする役者がいるが、それはあくまで「副産物」で身体で、それが表現できなければ意味ない。逆に言うと、表現できていれば内面は観客には関係ない。では、どう表現するか?そのアプローチの仕方が書かれていて、ちょっとまどろっこしくて読みにくいけど興味深い。

なのに、なぜあの芝居が出てくるんだ?
見終わった後に脚本買って読んだら、むちゃ分かりやすかった!なんなんだ、こいつ!(失礼)誰をどうしたくて、演出してるんだ?何をしたいんだ?

と思ってたら岡田氏はブログの中でこんなことを書いていた。
「自分のやろうとしていることに一定以上の共感が得られているとは感じられない場所で中心的役割を担うというのは、どう考えてもとても滑稽であり、その滑稽さに耐えてそれでも自分の欲望を押し進めていくというのは、とーっても体力のいることだ。」

偉い!(上から目線でスイマセン)
よく分かるよ。その気持ち。観客も終わった後、「これ、まー面白いって人もいるだろうけどね・・でも私は・・」って言ってた。だって、今でこそ賞もらったりして、日本代表で新国立劇場でやってるけど2-3年前まで、僕らがやるような小劇場であれやってたんだよ。普通の客なら金返せって言うよ。それをやり続ける勇気と意思は凄いよ。

だからなのか、刺激を受けます。安易に真似できない、いい刺激を。つまんないけど・・。

そんなわけで、また岡田氏の作品は見に行くかもしれません。つまんないけど・・。

ちなみに、僕は小心者なので今回はそんな挑戦しません。少しでも皆に楽しんでもらえる挑戦します。とかいって、エンターテイメントだと思ってるの自分だけっていうのはよくありますが(汗)。