誤解は誰でもあるものだ

誤解のままでいた方が良い思い出になることもある

そんな、曖昧な表現を考えてみよう

 

キットゥン

 

キットゥンは英語のI miss you.の意味と辞書にある。

短期タイ旅行で、異性からキットゥンと言われ本気にする旅行者が多いらしい。

日本人を誤解させる罪なフレーズでもある。この場合「また会いたいね」程度の社交辞令と思った方が無難だ。

キットゥンの直訳は「あなたを想っている」「恋しい」「会いたい」・・となるが、数日程度の付き合いでキットゥンと言い合うのは上例の社交辞令または下心が大半だと思う。莫大な財産目当てか、一目惚れされるくらいの容姿があれば別だが(それは「キットゥン」ではなく「下心」)・・・・キットゥンと言い合うには一定の継続した付き合いの時間が必要である。例えば、タイに留学、駐在、ホームステイなど・・・。短期旅行者であれば、毎年同じ家庭を尋ねるなど、ある程度の付き合いを経て本物のキットゥンが自然に言い合えるようになる。

 

 

facebookはキットゥン一色

 

私は週1日数時間だけfacebookをチェックする。今日このブログを書いたのは久しぶりに40人ほどの卒業生とキットゥンを言い合った(書き合った)からだ。本当に学校に会いに来てくれるとは思っていないし、相手も本気で尋ねようと考えている訳ではない。そこで、「なつかしいですね、もし機会があれば会いたいですね(多分会う時間はないと思うけど・・・)」というのがキットゥンの平均的なニュアンスだと思いながらチャットしている。しかし、そこにはなんとなく日本と違う暖か味を感じる。

翻って日本の年賀状の添え書き。「ご無沙汰しております。今年は是非一度お会いしたいですね」という年賀状を毎年貰い、私も送るが卒業以来、年賀状以外の連絡は来ない(し私もしたことがない)。タイ人の教え子やその知人は年に1-3度は連絡してくれる。その際23往復の会話で十分気持ちが伝わってくる。

 

 

卒業生 たまに連絡がある。話題の如何に問わずキットゥン

2012年―2015年 吉田英人撮影

 

 

 

 高校での「キットゥン」使用例

 

  長いソンクラーン休み明けの第1回目の授業、持ちあがりのクラスへの第一声に「キットゥン!」と叫ぶことが多い。そして日本では「お久しぶりですね、みなさんお元気ですか」と言うと説明する―これを最近恒例にしている。タイ語の「久しぶり」は直訳で「長い間、会わなかったですね(マイ・ダイ・チューカン・ナーン)」とか「長いこと(顔を)見ていないですね(マイ・ヘン・ナーン・ナーン)」とかいうが、2か月半も会っていないので、そんなことは言われなくても分かっている。やはり「キットゥン」がおすすめ。

 

 「キットゥン」は冗談で使うこともある。「Aさん、キットゥン」「先生、口が上手いですね」「そうじゃない、あなたの提出していないレポートにキットゥン」、サボりの常習犯にも「キットゥン」(これは皮肉)、久しぶりに教室に来て、自身の美貌を自慢するためか「私のことキットゥンですか?」との確認(?)に対しては「ちょっとだけキットゥン」「あまりキットゥンじゃない」等々、冗談や笑いが好きなタイの学生には、ちょっと使い方を変えてみると面白い。

 ところが冗談で言った「キットゥン」にもどこか「暖かさ」を感じるが、日本語のような情緒的なフレーズでもない。タイ人はストレートにものを言う。かと言ってあなたの恋するタイ人に、いきなり「キットゥン」と言っても、相手は「私もキットゥンです(キットゥン・ムアンカン・カ)」で終わる。それ以上のことは何も起こらないだろう(多分・・・)。一体、キットゥンにはどのようなニュアンスが潜んでいるのだろうか?

 

 

 

キットゥンの根底は信頼関係(だと思う)

 

タイ人は人懐っこい。長く付き合っていると、初期に社交辞令だった「キットゥン」が本物の「キットゥン」になっていくと感じる人も多いだろう。そして末永く付き合うことが、本物の「キットゥン」という想いに到達するように思う。以前「日本語教師は長期滞在がおススメ」というブログを書いたが、「キットゥン」は愛着だけでなく「地域の信頼関係」に大いに関連すると感じている。1年くらいの滞在では、「去年の先生、誰だっけ?」となるが、当校に6年いた中国人教師はいつまでもみんなの記憶にあり、村中に語り継がれる。

 

社交辞令⇒思慕⇒信頼の順に「キットゥン」の密度が濃くなる。 

本物の「キットゥン」、それは信頼関係ができたあとにのみ成り立つ「相手を慕う表現」ではないだろうか。

「キットゥン」に暖か味を感じるのは根底の信頼関係が大きいと思う、信頼関係は社交辞令ではないからだ。

 

また思い浮かべば番外編でタイらしいフレーズを考察したい