父が手術をした。
退院して一週間。。実家へお見舞いにいった。

タイミングとしては再稼働の大飯へも流れていける道筋で。



日本海の文化って、東京人にはわかるまい!!

忍耐強い。

忍耐するしかない文化だと子供の頃から思っていた。

山一つ向こうは雅な関西かもしれないけれど、たったそれだけなのに

気候も風土も違う。



「反対」という言葉が向かう方策と「推進」という強い力の間に

ワタシは海を見ていた。大飯原発の真下の海で。


海がおだやかで、魚は沢山いるのだろう。
釣り船、民宿の看板が並ぶ。



山と海しかない田舎。

原発立地にはぴったりの場所。

日本はそんな地方だらけなのだ。



戦後、第一次産業に見切りをつけて都会へ子どもを送り出すために
学費を稼ぐために親は出稼ぎしたり、田んぼを売って学費を調達した。

その子供たちは都会の人となり、田舎から担い手は消えて行った。


その答えが原発の交付金で地方経済を回すことに活路を見いだすしか
頭のまわらない状態に追い込まれてしまった。


そうして、土建と原発で便利になっていく故郷が日本のスタイルだ。


核の取り扱いのめんどうくささや、細胞への影響など評価の定らないものを
国策にして、地方を温存した時代。。。


未来につけを回して今を生きている。

原発を作れば、みんなにお金が回る。

そうやって、回したお金は未来から奪ったものだ。


「反対」するワタシは何を反対したいのだろう。

原発をかかえる街の人も心配なく安らかに暮らせることを一番に望み、
押し付けられること無く自分たちのニーズで満たされますように。

優良企業で安定した暮らしをしたい人も
国家官僚として安定した暮らしを望んでお勉強した人も
そして、私達も、安らかな暮らしを望んでいる。

誰もが。

安らかに暮らしたい。

私の反対することは、安らかに暮らすことを妨げることに反対なのだ。


お金があれば、安らかに暮らせると思い込まされていること。

お金が沢山ないと安らかに暮らせない。。。

仕事がなければ食べていけない。。。

仕事を安定的に作り出すために装置が必要なら、

荒れた杉山の整備とか、農業にと願う。。

諫早湾を元に戻すためとか、土建力を使って欲しい。


田舎のめんどうくささは田舎に帰るとよくわかる。
義理としがらみ、封建的な価値観。。そして、それが愛情表現のひとつ。

帰りたいのに帰れない。。ワタシのジレンマを抱えて、

私は大飯の海をみていた。