最初のころは、胴体から末端へ伸びるという感覚を保っていた。癒着はひどいし、可動域も最低限以下。骨も詰まっていたであろうし、なんせ委縮した身体を変えるためにそのような意識であった。
つまり、「中心から末端へ伸ばす」。
ところが、ごく最近、前回で書いたように鳩尾という中心に集約され始めてきた。
そう、「中心へ末端から伸ばす」。
普通、中心へ何か縮むイメージがあるがそうではなく、「伸びる」感じ。両足・両手・頭から鳩尾へ伸びる。
そんな風にしていると、あることに気づいた。
「頭がしっかりと鳩尾に預けられると身体は安定する」。
しばらく探ってみると、ほうほう、
「頭は重石で、これをしかるべきライン上で鳩尾に乗せると、身体は安定し、足裏がピタ―っと張り付くようになる。地に足が強化される。当然股関節の捉えもバシっと決まる」。
しかし踏ん張るでも居着くではない。むしろ、地面との繋がりを絶えず感じられるので、瞬時の方向転換ができる。自分が今どの位置にいるかというのがはっきりしている状態。
つまり、「居着かない」ために「不安定」にするとか、「地面から足を離す」というのはどうも違うようだ。
「地面との繋がりを感じらて、自分の立ち位置が分かって安定していると、必然的に居着かない動きになる」のではないかな。
「頭重石」が利いている状態は、別に足は重くないし、むしろ身体は軽いし、でも地面と繋がりを感じているので安定感、いや安心感がある。
最強の地球という戦艦に乗っている感じ(笑)。
さらにそんなこんなでいると、今度は、右側に上手く乗っていないことに気づいた。
頭は1つなのだが、その重石が左右均等に乗っていない。面白いことに利き手側の右側がよく外れる。
これ新たな悪癖。
自分の左右差はまだまだある。前面の肋骨の出っ張りが左右均等ではなく、上から見ると右より左が前に出ている。
これは腕を後ろに回して、左手では左の肩甲骨を触れるが、右手では右の肩甲骨に触れないので、ここに肋骨や肩の歪みがある。
これは前から分かっていたことだが、これまではそれもあって右側の肋骨前面を伸ばすようにしていた。
しかし、それが実は「重石が外れていた」だけのようなのだ。
しっかりと「頭重石」を右側の鳩尾にも乗せると、重みで縮むと思いきや、むしろ逆で右側の肋骨がせり出るように伸びる。
右側さんが、「そうそうこれこれ~。この重みがなきゃ伸びれないよ~!」って言っている感じ。
で色々さらに気づいたのは、頭重石を左よりに乗せることが多いということ。座り、立ち、歩き全てにおいて。そう悪癖!
現在、身体がかなり良い意味で単純化された(癒着が剥がれ全身の連動が良くなったこと)ことで気づけたのだと思う。
座りは、けっこうひどい。無意識にすっと左によりやがる・・・・。左右両方にしっかり重みがかかっている時は座骨が座面に均等に感じられ、肋骨が適正な位置に必然的になる(特に右側がちゃんとせり出る)ので両肩の力は抜ける。気を抜くと、右の座骨が浮く(実際には浮いてはいない)。そうなると右側は逆に縮んで、肋骨の位置が不正になりなんだか身体がぎこちなくなる。
で、「頭重石」をしっかりと利かせて、歩いているとさらに変化が現れた。
前に「鳩尾から脚」とか「鳩尾が足の付け根」とか言っていたが、これのさらに進んだ感覚なのかは分からないが、こうなった。
「左右の胸郭が太もも」
そう、肋骨がそれぞれ太もものように感じて、あくまで感覚的にだが、肋骨で歩いている感じである。
で、今のところ、感覚的に歩いていると、
「体が左右真っ二つ」に切られそうな感じ。
右側と左側が独立戦争を開始した。
まだ感覚はわずかだが、左はけっこう優勢である。右は上記書いたように歪みのせいで戦況はまだ良くない。何かひっぱりやひっかかりを感じる。
前から書いているが、スーツ着てネクタイ締めて革靴はいてビジネスバッグ背負ってこのようなことを感じると何だか面白い(笑)。
今後の課題―頭・首・胴体のつながりを書いてから、わずか1週間。
この一週間は別に大して体操を増やしたり回数増やしたりもしていない。毎日かならず体操はしているが、前に書いたように体操の種目は今はけっこう気まぐれである。
見逃せない事実は、
「変化」は「出勤中」にも起きている。
ということ。
いかに日常の姿勢が大事かを改めて考えさせられる。