地震記事を続けようと思った矢先、訃報が飛び込んできました。月に、父方の祖母が亡くなったと。祖母はずいぶん前から介護施設に入居しており、口からモを食べることができなくなって、胃ろうチューブで直接胃に栄養をしていたそうです。認知症にもなり、何年か前から自分の子供もわからなくなっていました。祖母は、震災の被害が大きい町の1である、東松島市にいます。父の実家がそこなんです。実家は山側なので津波は免れましたが、瓦大量落下や玄関コンクリにヒビ、ふすまや引き戸はきくなって動かず、とそれなりに被害はあります。96歳とかなり高齢で、最近胃や腸の機狽燉獅ソてきていたそうですが、やはり今回の震災のショックも少なからずあったと思われます。介護施設とはいえ、停電、水不足、燃料不足で暖房が入らないなど容易に想像できます。震災から2週間位が一番疲労の蓄積が現れる時期とも聞きました。確かに私もそうだったかも。病気で高齢ならなおのことと思います。場所柄、火葬場も混んでおり、昨日やっと火葬できることに。現状を色々と考慮して、今回は火葬のみの密葬となりました。会社は休みを取り、母と一緒に祖母を見送りに行ってきました。ガャ潟唐煖M重なので、訃報を聞いてもすぐに駆けけることはできなかった。施設に入ってから何年も会ってなかったな、おばあさんに。綺麗に化粧されて、可愛らしい優しい顔でした。自宅で和尚さんに拝んでもらった後、出棺。火葬場ではお茶出しなど手伝いながら、久しぶりに従兄弟従姉妹とも会話を交わす。仙台新港近くの会社で働く従兄弟は、津波にあったそうです。会社の二階に避難したけど、体半分位まで水に浸かり、死ぬかもって思ったそう。でも何とか四時間位水が引くまで待って、事なきを得たそうだ。停電していたから暗くて待の大変だったでしょうと言ったらコンビナート燃えていたから明るかったよとあっけらかんと返された。トラックも機械も流されて、いもの仕事がまだできてないとのこと。地元新聞社に納品する紙ロールを作っているとは知らなかったよ。そういえば次の日に新聞配達されてたよ一週間分の在庫は新聞社であるはずだけど、あとは他から調達したんだろう別の従姉妹の息子さんは、女川原発の警備担当なんだって。震災後、ちょっとした火災が発生したけど、その時になぜか警備担当なのに消火活動もさせられたとか。道路が寸断されて帰れなくなり、そこにいる人達でしばらく何でもしなきゃいけなかったそうだ。原発の体育館が避難所になっており、食料のストックもあって、地元の人達は安心だったとか。何日も連絡取れず、帰ってこなかったから、従姉妹は被災したんだろうなって思ってたらしい。無事でよかったよねえ。石巻の叔母さんの家は1m位浸水したとかで、着るものがない状態。おばあさんのカーディガンとかを着ていました。そこの従兄弟は水に浸かりながら電信柱に一日半捕まって、命が助かった。叔父さんは息子は死んだと思っていたそう。私の知らない親戚の方から聞いた話。震災前日に葬式を済ませた方がいて、津波に襲われたのだが、骨箱を必死で抱えながら、泳いでなんとか助かったとか。でも香典約200万は波にさらわれ、なくなってしまった。すぐそこに、色々な現実がありました。そうこうするうちに収骨。この独特の匂い。高齢の割りには骨粗しょう症にもなってなかったようで、太めの骨でした。今頃は空の上で、父と会ってるだろうか。葬儀屋によれば、葬儀会場も法要の仕出しをする店も5月以降にならないと通常営業できない状態らしい。だから、本葬と法要は四暑纉厓烽フ5月中旬になりそう。火葬ってバンバンできるものじゃないらしい。棺桶を乗せるベッドが熱いままだと、釜の中のセラミックが温度差でダメになるそうだ。釜もベッドも助ェに冷やす時間が必要とあれば、一日の稼動を急に高めることも難しい。落ち着いたら合格祝い持って行くからねみんなそう言ってくれたのは嬉しいけど、いになったら落ち着くのだろうか。私は父の死以降、落ち着いたらと後回しにしていることがたくさんある。そしてこの震災でまたそれが延長されたわけで。この週末は後回ししていた2のことをやらなくては。町内会班長としての会計締めと引継ぎ。父の死亡保険金請求。どれも震災の次の週あたりからやろうと思っていたのよ。話が脱線しました。お祖母さん、父を産んでくれてありがとう。だから私がいる。そんな思いを込めて、最期のお別れをしました。
シネコン被害も営業再開…映画館観客2倍増!癒やし求め土曜日に観にいったけど、すごい混んでるっていう印象はありませんでした。でも、映画を観てる時に長い間の揺れを感じて少し怖かったですその時に、茨城沖で地震があったみたい映画はとっても綺麗でかわいかった子ども達も真剣に観てましたよでも、原作ってこんなんだったっけ?って思ったんだけど・・・