熊谷 正寿(くまがい まさとし) | pjbrown

pjbrown

世界の億万長者

(株)GMOインターネット代表取締役会長兼社長。

1963年 長野県生まれ。國學院高校に主席で入学するが、2年で中退。しばらくは、父親の元で飲食店、映画館、パチンコ店、不動産事業など事業を手伝う。業績不振店の立て直しを成功させる。20歳で結婚し、翌年、女児を授かる。
1991年 (株)ボイスメディア設立。ダイヤルQ2を利用して音声情報を提供した。
最初は話題となり儲かったのですが、この事業の先行きは明るくないと判断して撤退する。

次にインターネットのプロバイダ事業に目をつける。順調に成長するがプロバイダ事業は「人数×単価」の商売で限界を感じ始め、次なる事業を求めてアメリカに渡る。そこでサーバー事業に目をつける。インターネット回線の数は人口に規定されているが、Webサイトの数は人口に規定されない。だからデータを管理するレンタルサーバーには成長の限界がない。Webサイトが増えれば増えるほど、需要は無限にビジネスが広がっていくと読み、事業の柱をレンタルサーバーへとシフトしていく。

当時は大手電話会社が月額100万円くらいでレンタルサーバーを提供しており、とても中小企業には手が出せなかった。そこで安価でレンタルサーバーを提供できれば、圧倒的ナンバーワンになれる可能性があると判断して、月額わずか1万円のレンタルサーバーのサービスをリリースする。その結果、多くの中小企業様から支持を受け、契約数は飛躍的に伸びていく。

1995年 インターキュー(株)に商号変更。1999年 JASDAQへ株式上場。

2005年8月 消費者金融のオリエント信販を約270億円で買収。
ところが、買収からわずか半年後の2006年1月想定外の事態が起きる。
最高裁判所で『グレーゾーン金利は違法である』という判決が出て、過払い金の返還請求が急増したのである。2006年秋の会計基準の改定が更なる追い打ちをかけた。過払い金に対する通常の引当の基準が、合理的に見積もれる1年ではなく、過去10年分を全額引当てる形になった。

ベンチャー業界の優等生だったGMOインターネットは会社倒産の危機に瀕した。第3の事業として進出した消費者金融事業で過払い金の「落とし穴」にはまり、400億円の損失を被る。債務超過寸前、金融機関の離反、外資系ハゲタカの買収攻勢と次々と襲いかかる危機から、資材投入などぎりぎりの中なんとか切り抜けることに成功する。