9月30日。曇り、14度。

 救急病棟の医師が言ったように、その後の検査の結果手術以外の選択肢はないと言われ、入院手続きをした。手術を承諾してから手術後までに、(僕個人にとってということなのだが)興味深いいくつかのことがあったので記しておきたい。


 廊下からの眺め。
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 検査の結果を医師に説明され手術を承諾した時の精神状態なのだが、自分でも驚くほど動揺はなく、坦々とした気持ちでその現実を受け入れていた。基本的に僕は臆病な人間で、健康だった頃の自分だったら、手術と聞いただけで怖じ気づくのではないかと思っていたのだが、あまりの平静さに我ながら意外な思いであった。もちろん、スイスは医療水準の高い国であり、病院の設備や保険等のシステムが完備している国だという、無意識の安堵感があることは間違いない。


 手術後の眠りから覚め、最初に目に入ったもの(以下同じ)。

 ところが5月20日、つまり手術前日の夕方6時半(そのとき、偶然時計を見た)に奇妙な感覚におそわれた。それは、視覚的に暗い灰色の空間に沈み込むような感覚で、現実世界からどこかに移動させられるて行くような、言いようもない不安な心持ちであった。僕はソファーの背に頭をもたれかけ、思わず深いため息をつき、これはいったいなんなのだと思い目をつぶった。その奇妙な感覚にとらわれていた時間は5分から10分ほどの間だったと思うが、それが過ぎ去ったあと、自分を捉えたその不安感について、今も考え続けている。



  その理不尽とも思えるほど突然襲ってきた不安感とは、一体なんだったのだろう。病気治療のための手術とはいえ、体(臓器)の一部を切り取るという行為である手術を坦々とした気持ちで受け入れた意識の表層に対し、その薄い表層下のさらに奥深くにある生命体としての恐怖(不安)から来たものかもしれないと思っているのだが、どうだろう。



 手術そのものより不安だったことは、全身麻酔だった。手術前の諸々の検査のなかに、麻酔科の医師との面談があった。部分麻酔の可能性について質問すると、その医師は「あなたのケースだと、全身麻酔を勧めます」と言い、いくつかの説得力のある理由を挙げた。僕は止む無く全身麻酔を承諾したのだけど、そのことに対するかすかな不安は手術当日まで消えなかった。とい言うのは、70年代中頃に交換医師として大学病院に来ていた日本人の麻酔科医師に聞かされた全身麻酔の危険性を拭い去ることが出来なかったからだ。当時その医師と親しくなり、医者の世界のことや麻酔による事故のことなどをさんざん聞かされていた。それから40年近くが経ち、その頃と今ではすべての面で安全になっているだろうことを想像することは出来ても、麻酔で意識を失いそのまま・・、という不安は常に頭のどこかにあった。



 医師には守秘義務がある。しかし何人かの医師と親しくなり、医師同士や親しい間柄で、他に伝わる心配のない時は、酒でも飲むと彼らはけっこう饒舌になることを知った。当時この医師から、週刊誌に売れそうな話題をいくつも聞かされたものだった(笑)。閑話休題。

 手術の前に鎮静剤を飲まされ、麻酔科へ運ばれた。着くとすぐにものすごい美人の女医さんが何やら僕に話しかけている。僕は「きれいな人だな~」と思いながら受け答えをしていたが、一体なにを話したのかまったく記憶にない。そうしているうちに、腰のあたりにチクッという痛みを感じ、それ以後のことは憶えていない。 目を覚ましたとき、にこにこと微笑む医師の顔があった。「予想よりずいぶん長くなり3時間かかりましたが、手術は無事に終わりました」   という言葉を聞き、(生き死にがかかった大手術ではないにせよ)「ああ、俺は生きているんだ」と安堵した。朝7時に病室から運ばれ、また病室に戻れたのは午後の2時を過ぎていた。そしてベッドに移されたとたん、意識を失うような深い眠りが訪れた。



 病室の窓から。遠くに見えるかすんだ山は、ドイツの黒い森。