救急病棟の医師が言ったように、その後の検査の結果手術以外の選択肢はないと言われ、入院手続きをした。手術を承諾してから手術後までに、(僕個人にとってということなのだが)興味深いいくつかのことがあったので記しておきたい。
廊下からの眺め。
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ところが5月20日、つまり手術前日の夕方6時半(そのとき、偶然時計を見た)に奇妙な感覚におそわれた。それは、視覚的に暗い灰色の空間に沈み込むような感覚で、現実世界からどこかに移動させられるて行くような、言いようもない不安な心持ちであった。僕はソファーの背に頭をもたれかけ、思わず深いため息をつき、これはいったいなんなのだと思い目をつぶった。その奇妙な感覚にとらわれていた時間は5分から10分ほどの間だったと思うが、それが過ぎ去ったあと、自分を捉えたその不安感について、今も考え続けている。
手術そのものより不安だったことは、全身麻酔だった。手術前の諸々の検査のなかに、麻酔科の医師との面談があった。部分麻酔の可能性について質問すると、その医師は「あなたのケースだと、全身麻酔を勧めます」と言い、いくつかの説得力のある理由を挙げた。僕は止む無く全身麻酔を承諾したのだけど、そのことに対するかすかな不安は手術当日まで消えなかった。とい言うのは、70年代中頃に交換医師として大学病院に来ていた日本人の麻酔科医師に聞かされた全身麻酔の危険性を拭い去ることが出来なかったからだ。当時その医師と親しくなり、医者の世界のことや麻酔による事故のことなどをさんざん聞かされていた。それから40年近くが経ち、その頃と今ではすべての面で安全になっているだろうことを想像することは出来ても、麻酔で意識を失いそのまま・・、という不安は常に頭のどこかにあった。
手術の前に鎮静剤を飲まされ、麻酔科へ運ばれた。着くとすぐにものすごい美人の女医さんが何やら僕に話しかけている。僕は「きれいな人だな~」と思いながら受け答えをしていたが、一体なにを話したのかまったく記憶にない。そうしているうちに、腰のあたりにチクッという痛みを感じ、それ以後のことは憶えていない。 目を覚ましたとき、にこにこと微笑む医師の顔があった。「予想よりずいぶん長くなり3時間かかりましたが、手術は無事に終わりました」 という言葉を聞き、(生き死にがかかった大手術ではないにせよ)「ああ、俺は生きているんだ」と安堵した。朝7時に病室から運ばれ、また病室に戻れたのは午後の2時を過ぎていた。そしてベッドに移されたとたん、意識を失うような深い眠りが訪れた。