願いを叶えたい、変わりたい、変えたいってことは『こういう自分はいちゃいけない』と自己否定してるってことだった。


存在自体を否定して、でも完全に否定したら辛くて生きていけないから、誰かと比べてまだマシ、と思ってギリギリ自分という存在を保ち、少し経ったらまた自己否定し、という無限ループの中にいる。


絶対的に完璧じゃないとダメだ、納得いかない。そんな雁字搦めな自分がいた。


そんな自分を隠してた。自分を嫌いにならないように、他人に嫌われないように、奥深くに閉じ込めてた。



自愛、すごいです。

全部肯定していったら、『隠してたもの全部出していいよ』ってなって、少しずつ見せてくれるようになった。


どんどん知りたくなって、怖くなったら『怖がってもいいよ』と隠そうとする自分も肯定。


認められない自分を教えてくれるようになった。


情けないと思う自分もいたし、汚い自分もいた。

全部自分だった。ずっと一緒にいた紛れもない自分だった。ずっと一緒にいたのに存在を否定してた。否定したっていなくなるはずないのに。


やっと気づけた。

涙が出てきた。ドラマとかアニメ見てすぐ泣く意味がわかった。自分のことが色々わかった。



とにかく『自分を否定している』ということを認める。その事実を暴く、ちゃんと見る。

まるで気に入らない子どもを牢屋に閉じ込めてる…そういう表現がピッタリだと思うほど、隠して見ないふりしてた。


そんなの泣いて叫んで助けてって訴えるに決まってる。私はなんてことをしたんだ、と思う。

でもよく見たら子どもを閉じ込めた私自身も、同じ顔した子どもだった…。

そんな物語みたいなオチなんです。だからそんな自分も許すしかない。それしかない。


もう自由にしてあげたい。

だからちゃんと向き合う。気づく。肯定する。


そしたらもう矛盾しないで苦しまなくて済むんだ…と思うとホッとする。



向き合うのは辛いこともあるし、嬉しいこともある。

そうだったんだ。

ではまた!