差し迫った悩み | 何ゆえタイランド (無期限休止中)

差し迫った悩み




3週間立ってやっと母は、近所の店へ買い物に出掛けられるほど歩けるようになった。



まぁ、1人で歩けるようになっただけで

炊事洗濯等はまだ無理だけど鎮痛剤を服用せず過ごせるのは

弱った胃には良かったらしく、少しづつ食欲も戻りつつある。





それは良いことなんだけど…


今後の心配ごとが浮上してきた。
 





北国の宿命、


雪。




季節の訪れに待ったはない。

あと3ヵ月ほどで迎える冬季の除雪作業についてである。




先シーズンまで母は何とか玄関前の人が1人歩ける程度の一本道位、除雪はしていたが

今の状態ではそれも無理だろう。




同市内とは言え近所に住んでいない兄に頼むとしても、仕事もあるので限界がある。




結局、父の逝去後こちらの憂慮をよそに

「1人で頑張れるうちは、やってみる」

とキッパリ言い切っていた母だが



意外と早く、一人暮らしを経験する事なく
その決心は泡となって消える見込みとなった。





この地から離れたくないしどうしても


“旦那の親は他人交際”を貫いている兄嫁との同居は不本意この上ない、と譲らない母に

母の遺族年金で賄える経費のサービス付高齢者施設、所謂グループホームはどうかなど勧めていたのだが





ここに来て予定外のある問題が、発生した。






どうも母の様子に異変がある。




実は去年から感じてはいたが、トシもトシだからかな~と考えていた。


数十年間変わらない毎日使用する食器置場所から

自分で違う場所に置き、次の使用時「あら、ないない」と探しまくったり。


決まった定位置、引き出しに保管されている保険証を

「どこいったかしら~」

と検討外れの場所をがさごそとやる。



心配して兄にこそっと聞いてみても、

「トシだからしゃーないんじゃない?
親父生きてる時から二人して似たようなモンだったよ」


カラカラ笑って済まされる。




6年間留守にしていたから返って気になり、母が急に老けたように思うだけかもな…

そう自分に言い聞かせたりもした。





ところが腰を痛め、身動きが満足に叶わなくなったからか、

母の物忘れに拍車がかかる。



一番の問題は

薬の服用を忘れはしないが飲んだ五分後に


「薬を飲まなきゃ!忘れてた」


とやり出した事である。




もう飲んだでしょと教えても、その数分後に再び言い出す。

多い時には3回ほど繰り返す。

もし1人で置いておいたら、過剰摂取疑い無しじゃないか。



やっぱり“おかしい”。


暢気に取り合わない兄を放っておき、

病院行きに気の乗らない母を、つとつとと説得。

(普段、耳が遠いだけで会話に問題はない状態だから仕方無いけど)

でも時折やらかすヘマを、母なりに気には病んでいたらしい。



昨日、母をいつも通う医院へ連れて行き担当医に説明

神経内科の専門医への紹介状をいただき予約を確保した。




問題がなければないに越したことはない。

単なる気苦労で終わってくれたら御の字だ。


だけど、もし病気なら早期発見は最善策だと思う。






もしやと思いさきほど母に質問したら、

やっぱり昨日医院に行った事は覚えていても

神経内科の紹介を受けた事は全く、記憶に残っていなかった。




進行性の病では無いことを祈るばかりである。