いつぶりの更新だろう・・・(;´▽`A``



いやぁちょっとだけブログの存在わすれてました。ちょっとだけ(-^□^-)



最近、描きたいものもみつからないなーと思っていたそんな時・・・


いつもいつもお世話になっている社員さんがなんと異動することに!


オーノーッ∑(゚Д゚)


それも、「明日から異動になります」とそんな急にーー!?


ショックを受けつつ、何か、ナニカ、今までのお礼をしなければと。


何がいいかなにがいいかー・・・


考えた末、やっぱり私には絵しかないと!(`・ω・´)


何を描いたら喜んでいただけるか。。。


やっぱりこれだ!


それは、その方が乗っていたバイクです!\(゜□゜)/


まー実はちょっと描きたいと思ってたんですヨネー( ´艸`)


と、そんなこんなで描くことになったわけで。



バイクの画像を検索し、カッコイイアングルの写真を見つけ、描いてみました☆


それがこれです!('-^*)/



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いやぁーバイクって細かくって大変!(-。-;)


でもでもホント達成感ありますw



と、描いたのはいいけどーこれをどうプレゼントしようかなーと悩みました。(^_^;)


ほんとにデザインとか苦手で発想力もないので大変でした。(_ _。)



結局、お礼のメッセージを書くことにし、少し色をつけ、額縁に入れてプレゼントすることにしました☆


こんなかんじでーす(^-^)/



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(メッセージは恥ずかしいのでぼかしちゃいましたwちょっとぼかしすぎたかな。。w)



まー私にしてはまぁまぁのできじゃないかとσ(^_^;)



お別れ会のときにプレゼントしました!


喜んで受け取ってくださりとてもうれしかったです☆(*゚.゚)ゞ



やっぱり絵はいいなーとしみじみと思ったのでした(*^.^*)



また描きたいものが見つかるといいなー♪♪


また何か描けたら載せたいとおもいまーす☆


でわ(^_-)☆

今日は休みだったので、久しぶりに料理しましたぞ(°∀°)b


職場でカブの葉と皮をもらってきたので、それらとひき肉とジャガイモの炒め物作りました。


まだ引っ越したばかりで調味料が限られているので、ただ塩コショウで味付けw


さいごにごま油をかけて風味付けにアップ


あとは、納豆とお豆腐キムチのせ、もらってきたお新香のくずw


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いっただっきまーす音譜


もぐもぐもぐもぐ・・・・・・・・・・・・



おーいすぃーーーーーーーーーーーーーーーーヘ(゚∀゚*)ノ



やっぱり買ってくるより作ったほうがおいしいよね!(* ̄Oノ ̄*)






まだまだカブの葉いっぱい残ってるので、今月はカブの葉で生きてくかんじかな。( ´艸`)


またつくったらうpしよーーっと得意げ



                                             つづくv


           
   ヘンリー8世/ハンス・ホルバイン/ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵

             
ヘンリー8世家系図  

ヘンリー8世。その名が英国では「率直王」というあだ名で呼ばれる事に
違和感を感じる人は少なくなかろう。

ヘンリーはチューダー王朝開祖/
ヘンリー7世 と、前王朝ヨーク家の王女エリザベス
との間に生まれた。1491年6月24日、今は存在していないグリニッジ宮殿で誕生
した時には、すでに兄の
アーサー 、姉のマーガレット という2人の兄姉がいた。
5歳年長の兄アーサーは1489年に皇太子及びコーンウォール公に冊立されて
おり、同年にはスペイン王女との婚約も整い、誰の目にも未来の国王はアーサーと
しか映らなかった。

ところがアーサーはヘンリーが11歳の時に急死したため、急遽ヨーク公であった
彼が皇太子に立てられた。
彼は教育係から叱られる時も、側近の者が代わりに鞭で打たれたという、甘やかされて
育った子供であった。
音楽を好み、10歳でフルート、ビオラ、ハープを演奏できたという。
12歳で、スペインからの要請で亡兄アーサーの名ばかりの妃であった
キャサリン・
オブ・アラゴン
と婚約した。キャサリンがアーサーとまったく肉体関係がなかった事は
女官長他側近達も証言する事実であった。
しかし父
ヘンリー7世 はスペインとの約束を踏み倒すつもりで、2人の結婚を認めなかった。
そこでヘンリーは、1509年父王が崩御し、自身が即位するのに伴い、婚約者キャサリンを
正式な王妃に迎えたのであった。

ヘンリー8世は俗に
「ヘンリー8世と6人の妻たち」 といわれるように、6回結婚したことで
知られている。最初の
王妃キャサリン とは父王の反対を押し切っての恋愛結婚、2度目の
アン・ブーリン とはバチカンと決別してまでの不倫掠奪婚、3度目ジェーン・シーモア は2
番目の妻を処刑しての恋愛結婚、5度目の
キャサリン・ハワード も恋愛結婚、6度目のキャサリン
パー
も恋愛結婚である。
いずれもヘンリー8世自身が見そめて、恋をし、妃に迎えた女性ばかりであった。
わずかに4度目のアン・オブ・クレーフェのみ、政略の意味もあって妻にした女性であったが
それとてホルバインの描いた肖像画の美貌に惹かれたという理由もあった。

恋愛結婚したはずの王妃たちの運命は決して幸福なものではなかった。
最初の王妃
キャサリン・オブ・アラゴン の故国スペインは、最初英国の同盟国であったが、1519年に
神聖ローマ帝国皇帝カール5世が即位すると、スペインはオーストリアの一部となった。
カールは1527年サッコ・デ・ローマ(ローマ掠奪)で、法王すら支配する勢いであった。
危機感を覚えた英国は敵国だったフランスに急接近し、スペインと対立した結果、王妃
キャサリンの立場は弱まった。
おりしもヘンリー8世は、フランスから帰国した駐在フランス大使の娘アン・ブーリン
に魅了され、王子が生まれなかったキャサリンとの結婚を解消すべく法王に働きかけた。

熱心なカトリック信者であったヘンリーだが、思い通りに離婚許可を出さない法王に
腹を立て、バチカンと断絶。1534年、強引に
アン と式を挙げる。
「国王至上法」を発令して、内容的にはほぼカトリックと変わらない、しかし
法王の代わりを王が務めるという初期の「英国国教会」を成立させた。

1536年、
アン・ブーリン を反逆罪で処刑したヘンリーは、3番目の王妃にジェーン・
シーモア
を娶り、後のエドワード6世 が生まれた。同年から国内の法王領である修道院
の財産没収に着手した。わずか4年で大小合わせて400近い修道院が解散となった。
政情不安から、36年には
「恩寵の巡礼」 なる大反乱が勃発している。

37年、ジェーン王妃が産褥が亡くなったために、2年後ドイツの新教国クレーフェから
公女アンナ(アン) を迎えるものの即離婚し、1540年には20歳にも満たないハワード
家のキャサリン と結婚。2年後には反逆罪で処刑してしまう。
その翌年最後に迎えた
王妃キャサリン・パー だけは、ヘンリーの死後まで生き延びた。

1547年、ヘンリー8世は持病であったリューマチ或いは梅毒が悪化し、第3王妃
ジェーンの兄サマーセット公を摂政に任命して、10歳の皇太子の後見を任せると
ホワイトホール宮で息を引き取った。1547年1月28日のことだった。

              
ヘンリー8世年表
             
1490年 英国王ヘンリー7世の次男として生まれる
1501年 兄のアーサー、キャサリン・オブ・アラゴンと形式的に結婚
1502年 アーサー死去
1503年 母エリザベス王妃死去
1509年 父ヘンリー7世死去 
ヘンリー8世即位 
キャサリンと結婚
1517年 長女メアリー生まれる
1532年 キャサリンと離婚
アン・ブーリンと結婚
二女エリザベス生まれる
1534年 英国国教会成立
1535年 トーマス・モアなど重臣の処刑
1536年 アン・ブーリン処刑
ジェーン・シーモアと結婚
修道院廃止
1537年 皇太子エドワード生まれる
ジェーン・シーモア死去
1539年 アン・オブ・クレーフェと結婚
翌日離婚
1540年 キャサリン・ハワードと結婚
1542年 キャサリン・ハワード処刑
1543年 キャサリン・パーと結婚
1547年 死去 享年56歳