杉原千畝の出した答えはこちらでした。


ビザを発給することに決めました。
それから一ヶ月の間に2000通を超えるビザを発給しました。全て手書き。
記念館にはレプリカや写真でどのようなビザか展示しています。
領事館を退居し、ホテルに移っても書き続け、リトアニアを出る汽車が出発するまで書き続けました。
当時、一つのパスポートで家族全員分なので、救われた命は6000人と言われています。

展示はその後の避難民達の人生や杉原千畝のその後になります。
ビザを手にできた人々はロシアから船で福井県の敦賀に次々と到着しました。
当時の日本人達は彼らを歓迎したそうです。
食べ物(りんご)を渡した少年の話が紹介されていました。
着の身着のまま逃げて来た人々は日本人の優しさに感激したそうです。
しばらく日本に滞在し準備して、中国やアメリカ、カナダ、オーストラリアとそれぞれの新天地へ旅立っていきました。
その先で結婚し、子供が生まれ……その子供さん
からの感謝の手紙や寄贈されたパスポート(展示はレプリカ)が展示されていました。

杉原千畝はその後、戦時中はそのまま外交官としてヨーロッパ各地に滞在していましたが、戦後、やっとの思いで日本に帰国しました。
ところが、外務省をクビになりました。
いや、今??て感じですねガーン
(それについては、後年、名誉回復とともに国から謝罪されています)

日本では杉原千畝はあまり知れていないかもしれません。
かなり前のドラマだか映画を観た方はご存知だと思いますが。
ただ、海外(特に救われたユダヤ人の方々の国)ではよく知られています。
感謝の手紙もたくさんありました。
そしてこちら


2019年にはリトアニアの大統領も訪問されています。
さぞかし小さな町は大騒ぎだったことでしょう。

記念館を訪れて、もっと日本人に知られてもいいのにと思います。
今の日本人は国、テレビ、新聞の言うことが全て正しいと疑いません。自分で調べて考えるということをしない人も多いように感じます。
おそらくドイツのようなことになれば、今の日本人なら8割は洗脳され、同じ道をたどるだろうと危惧しています。
本当に正しいことは何なのか?冷静に自分で考え判断し、行動する力を私もつけていかなければと思いました。